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9月5日(水)

朝の10時25分に老人介護施設の自転車置場で私と新米ボランティアの友人さんが待ち合わせていた。私たちは2階の食堂へ入りその方は「私の友だちがいました」と以前話をした男性に近づいた。私は職員さんと短い打合せで誰と散歩に行くかを決めた。私がAさん、友人がBさん。日差しが強いので樹木の多い方の公園のほうに行った。日陰にあった木製のベンチに私と友人が斜め背中合わせに座りそれぞれの車椅子の友人たちと雑談を始めた。私以外がボランティアの友人を含め全員が80代だった。20、30分がたち私の手足が多くの薮蚊に刺され終わったあと遠回りして2台の車椅子は建物に戻った。この散歩中で印象的だったのはボランティアの友人さんがこう言ったときだった。「この力強い樹を見ていて下さい」「この子(私のこと=80代後半の方々から見ると私は「子供」なのかも知れない)は虫に血を与えました。虫は子供を産むために血が必要です。血を飲ませてあげることは優しい心です」ワオ、しかし私はあまりそのことは幸せではない。とても痒いのですからね。


帰りにイタリアンレストランに寄るので友人を誘いましたが、彼は彼自身の通院の予定があって出来ませんでした。ラボエムのパスタを一人でゆっくり味わったあと、久々に色々寄り道をして家路に向った。
7月11日(水)

約束事なので老人福祉施設に行った。2人の男性利用者さんの散歩に付き添った。お一人とは樹木の多い方の公園を車椅子を押して歩き、その方は普段の生活を私に語られた。もうお一人とは近くにあるミニストップに向った。どちらも「今日はどこに行きますか? こっちの公園かもう一つの公園かコンビニか」「どこでもいいですよ」と全員がそう答えられる。認知症でない方の場合ですが。「ああ気持よい。外の空気はいいや」とか「ありがとう。よかった今日は」とおっしゃって頂いた。私は、この場合いつも単なる車椅子を押す無名の通りすがりなのです。このような短い時間の奉仕は誰にとってもあってしかるべきものであり、だからといって自分が他にどうするというものでもなく、続いて行くだけのことなのだと思う。あっいま重たいことを今日は書いてしまった、「続く」だなんて、、、。
5月2日(水)

雨が降り出す前の時間に特別養護老人ホームでお二人の車椅子散歩をすることが出来た。お一人目は認知症の女性の方、二番目は認知症でない女性の方。最初の方は隣接する大きな方の公園を一週し、次の方は自衛隊駐屯基地前の鮮やかな新緑のイチョウ並木を通ってからミニストップに寄った。私たちはそこでちょっとしたおやつを買物した。それはグレープ味のグミ、たぶんナッツの入ったチョコ、そしてフランクフルトを2本だった。私たちはいったん部屋に戻って、そのおやつを二人分に分けた。彼女はベッドに腰掛けようと職員を呼ぶと(私も自分に出来るかと思って試したが上手くいかなかった)、彼はもう昼食準備のために利用者さんたちを食堂に集合させている最中だった。そんな時間だったのでいったんベッドの端に座ったものの再び車椅子に載せてもらい私が押して食堂に戻った。私は小さな紙袋に入ったフランクフルトに、ケチャップとマスタードをかけて彼女に渡した。「もう一人分」を受け取った彼女の相棒さんは90度の位置からニコニコして私たちを見ていた。


帰路、スーパーで今度は自分の買物を終えて外に出ると本格的な降雨に変わっていた。私の荷には、食料品などの他に単1電池4本パックが入っていた。じつは今夜9時以降に、無くした指輪にかんして店内を探していいですよ、というやりとりを昨日深夜のうちに終えていたのです。(つづく)
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1月14日(土)

かなりのきわどさで私は自問しました。

なにしろ物を無くします。今日はパスポートを無くしたことに気付きました。まあここが日本でよかった。まる2時間捜索して断念しました。たぶん月曜に都庁に行きます。そんな一日でした。
1月11日(水)

今日のAさんは機嫌よく私の姿を認めた。そんな態度は1年ぶりかそれ以上だ。時々彼女がするようにキッチンの入り口に向けて車椅子を停め、お茶を待っていた。「お茶をちょうだい」「あ、頼んで来ますね」職員に告げた。
「Aさん今年もよろしくお願いしますね」「こちらこそね」
なんという回復だ、だって彼女は確かにそう答えた。


私は今日二人の新顔の利用者さんのお散歩を任され、施設の裏を回ったところにある小さいほうの公園を行った。それらが終わって帰って来るとAさんは昔のように仰げば尊しを歌っていた。あおげばとおとしわがしのおん。呼吸が大量に腹膜を貫いて半分上に挙げた唇を突いて出る。いまこそわかれめ。いざあゆかん。ああなんて元気になったんだろう。
「Aさん元気になりましたね」私は言った。
「歌が好きなの」知ってます!!!
テーブルの位置はずっと同じだ。そこにはもうその上部には、何もはさんでいない。その透明なビニールの下にはかつてジェムスディーンの写真を私が何枚もネットで取り出して渡したものが入っていた。あのヤフオクで購入してプレゼントしたジミーのVHSはどうなっただろう。まずはそれはどうでもいいか。

彼女が明るいということがそれだけで私を愉快にさせた。何かに感謝した。
1月4日(水)

今朝、毎週水曜に行っている特別養護老人ホームに「ボランティアのXXですが」と新年の挨拶をした。あいにく今日は来客がありうかがえないが「来週からお世話になります」と告げた。来客(姉)が帰ったあと、スポーツクラブのジャグジーに入ると私くらいの歳の女性が世間話をしていた。
「それが食欲はすごくあるの。でもデイサービスには行かないのよね」「うちもよ。同じことばかり繰り返して言うのよ」
姉は姉でこんな話をしていた。「義母が認知症みたいで大変。たとえばお寿司を一緒に食べていて、自分の好きな種類を乗り出して選んだり、元に戻してみたりするの。ヘンでしょう?」
でもどなたかが在宅で介護されている話なのです。


数日前にやはりスポーツクラブのサウナに入っていると若い女性が二人で雑談していた。
「あのさ、XXちゃんここ来るのどっち通る? 今日もオジさんいたよね。朝からビール飲んでる人」
「え、どっちって駅から来てこっちでしょ? うんいるいる。だめだよね」
「それにさ、1本じゃないの沢山買って持ってるんだよね」
「そうそう。毎朝いるもんね。何時頃から飲んでるんだろう?」
その日なんか、私はわざわざ缶ビールオッサンの姿を探してチャリで現場を一往復してみた。一人の虚ろな目つきのオッサンとはすれ違ったが果たして彼がその当人なのか、確証は薄い。さらにベンチで座って飲んでいる人物には遭遇しなかった。もう午後を回っていたからだろう。
私は自分はいったい何をしているのだろう、と考えなかったわけでもないです。
でその方の場合、どなたかが在宅でお世話されているのでしょうか。
11月2日(水)

3人の方の車椅子散歩に同伴した。お一人は初めての方で、彼女は「空気にあたる」ことを喜んで下さった。最近入られたこの特養で、散歩自体は初めての体験のようであった。「話をぶちまけたかった」とおっしゃったので「どうぞいくらでも」と応えた。私は彼女の車椅子を芝生の方角に停め、私自身は相対する方向にベンチに座った。二人の距離は身体が触れ合うほど近かった。しばらく時間が経過した。あなたがボランティアの方なので話せた、とおっしゃり十分にその意味は通じた。


二人目の方は、いつもの方で先生と遊ぶ保育園児や家庭保育の幼児たち、草花、柿の実などに見とれた。彼女に付き添わない限り私は、幼児や草花や柿の実に関心が無い毎日で終わっていたのだろうと考えた。


三人目の方もいつもの方なのですが、私の提案で初めて公園以外の場所に誘導した。区道で一車線の車道の両脇に歩車道分離のガードレールがあるすばらしい銀杏並木なのだ。紅葉はあと半月先ではあったのですが。ツタのような植栽が並木の下にある。作業服や普段着の男たちの集団、一人歩きの女性、電動車椅子の男性とすれ違った。私は「ここは自衛隊の駐屯地です」と説明し「はいってみますか?」と聞いた。「はいってみようか」とその方は答えられ、守衛に散歩をしていいか、と聞いた。即座に彼は答えた。「困ります」頷いて笑った。だって私たちは別にどうでもよかった。それから反対側の歩道をホームに向って歩いた。


食堂の風景の中で、もう一人の気になる方はホームのニュースレターに顔を埋めるようにして読んでいらした。さらにもう一人は、何が別の動作に専念されていた。それらの横顔が記憶に焼き付いた。昼の11時45分になりそこを失礼した。
10月27日(木)

毎週通っている特別養護老人ホームでの事業。受講生は8人、4組になって交替で乗ったり押したりした。お風呂も見学した。「わあ、みなさん大変なお仕事ですね。Tシャツと短パンとかで?」私が聞いた。「そう大変です、もう汗びっしょりになります。夏なんか特に」と職員さんが答えた。車いすの世話になる自分を想像するのは容易だが機械入浴の世話となる辺りは少し努力が必要だ。遅かれ早かれ人間通る道なのですが。


午前中行った歯科病院で、息子が保育園児だったときの園長先生に20年振りに偶然お会いした。よく「XXくんのお母様、、、」と話しかけてくれた現役でバリバリだった彼女もそこを最後の職場として現在お一人暮らしをされているとおっしゃっていた。なんだ、すべての人が施設の世話になることもなく、危機管理さえ怠らなければ自由で独立しているのが普通でしょう。
8月19日(金)

それを話し合う場を初めて予定した。活動1年間経過して初めての設定だった。1ヶ月後の同じ日の午前中だ。今日はその意味でわずかに画期的です。


そのカフェとはどんな? 新築の区営住宅の集会室を借り、そこの住民の方々、大体が高齢者の単身やカップル、家族なのですが数十人参加お集り頂いている。オセロゲームをされたり、手芸をされたり、ユニークな体操、好みの懐メロの合唱なども全体で行う。ボランティアが10名程、NPOが若干名、区役所職員、地区の包括支援センター職員が若干名。なぜなら単身で介護保険のケアを受けていらっしゃる方も複数入居されている。


今日の「ふりかえりの会」では自治会副会長さんが、最近孤独死された入居者さんのお話をされた。24時間以内にはドアの中に入れたケースだったらしい。認知症の住民の方とのやりとりを話された方もいた。私は今日、実際1時間半近く中抜けしていたので、会議で発言する立場ではなかった。それにしても、今後どのように運営を進めていくべきか、それを自分たちで話し合う席は、大事だと思うので予定が決まって本当によかった。
2月5日(土)

昨夜、いま通っている文章講座の課題も提出し終わり、認知症のボランティアの記事なんぞをいちおう自分のブログに書き終わると、ネットサーフィンを始めました。キーワードは「介護」「資格」「ヘルパー2級」「認知症ケア専門士」「排便」「オムツ」うーん、うーん何か暗中模索です。今朝は思いも寄らない明るいウインドウに出会いました。それは関口祐加監督のブログでした。その名も、、。
『関口祐加のセキララな呟き』
http://blog.jisin.jp/sekiguchi/cat125/
アルツハイマー病の母君と二人暮らし。シドニーには離婚した元夫と5年生の息子が在住。母君はそうとう引きこもり。で病気も進行中。このひたひたとした非常に個人的な生活史を『彼岸/此岸』という最新ドキュメンタリー映像に収めつつある。すごいアクセスらしいです。きっと潜在的にこうしたテーマが深く社会と絡んでいるのですね。


去年、三軒茶屋のキャロットビルで行われたご講演でお会いして、私が中途半端な質問すると「一生在宅で世話をする」とおっしゃっていた。きっぱりと微笑みながら! ご崇拝し続けているつもりがご無沙汰していました。
この方のパワーとユーモアとセンスに近づきたいです。
でも私は私、監督は監督。まったく別の王国に住んでいらっしゃるのですが。
それにしても、、、。
応援します。