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タグ:傾聴ボランティア ( 9 ) タグの人気記事

9月5日(水)

朝の10時25分に老人介護施設の自転車置場で私と新米ボランティアの友人さんが待ち合わせていた。私たちは2階の食堂へ入りその方は「私の友だちがいました」と以前話をした男性に近づいた。私は職員さんと短い打合せで誰と散歩に行くかを決めた。私がAさん、友人がBさん。日差しが強いので樹木の多い方の公園のほうに行った。日陰にあった木製のベンチに私と友人が斜め背中合わせに座りそれぞれの車椅子の友人たちと雑談を始めた。私以外がボランティアの友人を含め全員が80代だった。20、30分がたち私の手足が多くの薮蚊に刺され終わったあと遠回りして2台の車椅子は建物に戻った。この散歩中で印象的だったのはボランティアの友人さんがこう言ったときだった。「この力強い樹を見ていて下さい」「この子(私のこと=80代後半の方々から見ると私は「子供」なのかも知れない)は虫に血を与えました。虫は子供を産むために血が必要です。血を飲ませてあげることは優しい心です」ワオ、しかし私はあまりそのことは幸せではない。とても痒いのですからね。


帰りにイタリアンレストランに寄るので友人を誘いましたが、彼は彼自身の通院の予定があって出来ませんでした。ラボエムのパスタを一人でゆっくり味わったあと、久々に色々寄り道をして家路に向った。
1月18日(水)

「ミニストップはどうですか? コーヒーが飲めますよ」と私が誘った。車椅子の後ろポケットから財布を出してその方は百円玉を3枚取り出した。笑いながら私に手渡した。「すみません、ご馳走になります」と私は答えた。丸椅子を一つどけて車椅子を押し入れた。ガラス窓には黄色い装飾用のビニールが経年劣化で剥げかけていた。そこは喫煙場になっていたので男たちが入れ替わりやって来ては一服して行くのが眺められた。私と利用者さんは紙コップに注いだ暖かなコーヒーに砂糖とミルクを入れて大体同じ早さで飲み終えた。この店にこのコーナーがあるとは知らなかった。そして3年間いるけどこうして色々出かけられたのはこの1年だけだ、と彼は言った。


ダイニングに戻ると、ポニーテールをしたとても若い女性が車椅子に座っていた。利用者さんのあいだのテーブル席で姿勢よくまっすぐ前を見ている。スタッフがしているのと同じ布に姓名を書いた名札を右肩にピンで止めている。けれど何の仕事もしていない。以前も見た光景だが、彼女は一体何だろう。事務所を通るついでに聞いてみた。
「あの、変な質問ですが。2階で利用者さんの間に車椅子で座っていらっしゃるとても若い女性はどなたなのでしょうか?」
「ああ、彼女は別のフロアのスタッフです。利用者さんと同じ立場でサービスの質をチェックしているのですよ」
「なるほど、そのようなシステムなんですね!」私は納得した。迷った結果だが「わからないこと」を質問してよかった。そのあと山手通りに降りドンキホーテでアイスクリームを買って帰った。
1月11日(水)

今日のAさんは機嫌よく私の姿を認めた。そんな態度は1年ぶりかそれ以上だ。時々彼女がするようにキッチンの入り口に向けて車椅子を停め、お茶を待っていた。「お茶をちょうだい」「あ、頼んで来ますね」職員に告げた。
「Aさん今年もよろしくお願いしますね」「こちらこそね」
なんという回復だ、だって彼女は確かにそう答えた。


私は今日二人の新顔の利用者さんのお散歩を任され、施設の裏を回ったところにある小さいほうの公園を行った。それらが終わって帰って来るとAさんは昔のように仰げば尊しを歌っていた。あおげばとおとしわがしのおん。呼吸が大量に腹膜を貫いて半分上に挙げた唇を突いて出る。いまこそわかれめ。いざあゆかん。ああなんて元気になったんだろう。
「Aさん元気になりましたね」私は言った。
「歌が好きなの」知ってます!!!
テーブルの位置はずっと同じだ。そこにはもうその上部には、何もはさんでいない。その透明なビニールの下にはかつてジェムスディーンの写真を私が何枚もネットで取り出して渡したものが入っていた。あのヤフオクで購入してプレゼントしたジミーのVHSはどうなっただろう。まずはそれはどうでもいいか。

彼女が明るいということがそれだけで私を愉快にさせた。何かに感謝した。
11月2日(水)

3人の方の車椅子散歩に同伴した。お一人は初めての方で、彼女は「空気にあたる」ことを喜んで下さった。最近入られたこの特養で、散歩自体は初めての体験のようであった。「話をぶちまけたかった」とおっしゃったので「どうぞいくらでも」と応えた。私は彼女の車椅子を芝生の方角に停め、私自身は相対する方向にベンチに座った。二人の距離は身体が触れ合うほど近かった。しばらく時間が経過した。あなたがボランティアの方なので話せた、とおっしゃり十分にその意味は通じた。


二人目の方は、いつもの方で先生と遊ぶ保育園児や家庭保育の幼児たち、草花、柿の実などに見とれた。彼女に付き添わない限り私は、幼児や草花や柿の実に関心が無い毎日で終わっていたのだろうと考えた。


三人目の方もいつもの方なのですが、私の提案で初めて公園以外の場所に誘導した。区道で一車線の車道の両脇に歩車道分離のガードレールがあるすばらしい銀杏並木なのだ。紅葉はあと半月先ではあったのですが。ツタのような植栽が並木の下にある。作業服や普段着の男たちの集団、一人歩きの女性、電動車椅子の男性とすれ違った。私は「ここは自衛隊の駐屯地です」と説明し「はいってみますか?」と聞いた。「はいってみようか」とその方は答えられ、守衛に散歩をしていいか、と聞いた。即座に彼は答えた。「困ります」頷いて笑った。だって私たちは別にどうでもよかった。それから反対側の歩道をホームに向って歩いた。


食堂の風景の中で、もう一人の気になる方はホームのニュースレターに顔を埋めるようにして読んでいらした。さらにもう一人は、何が別の動作に専念されていた。それらの横顔が記憶に焼き付いた。昼の11時45分になりそこを失礼した。
12月15日(水)

特養ホームへ行く。認知症の入居者さんへの傾聴ボランティア、今日はその何回目だろう。
チャリを留め、建物の中でバッチを胸に付けた私はまずは女子トイレへ。そこで両掌を洗いうがいをする。廊下に出てエレベーターで2階に昇る。パスワードは馴れた手つきで押した。カーテンで隠されたエレベーターも見慣れて来た。2階の職員さんを探し、挨拶してその日はどなたがお相手か指示を頂く。「また○○さんにしましょうか」と男の職員が言った。あ、よかった馴染みの方だ。


「○○さん、お話相手のお姉さんがみえましたよ」
白髪の非常に小柄な老婦人だ。「こんにちは」


私はその前にホール全体を見回し、前回との完璧な一致を手に入れる。大型テレビの前に正しく整列された数台の車椅子たち。椅子と一体化した老人たち。部屋の反対側にもう一つの多少小ぶりのテレビがある。とても不思議な事に電波の伝達が0.5秒程遅れ映像と音声がずれている。そっちは2人の老人が観ている。あるいはその前に座っている。大きい方は7人が観ているか、もしくはただ座っている、あるいは眠っている。


「こんにちは」私が挨拶した。
首が回り、机の上に浮かんだような頭がこっちを向いてくれた。
「こんにちは、○○さんお元気ですか?」
小さな小さなショートカットした白髪、痩せた小学生くらいの体つき。
「○○XX○○XX」ショキショキした短い言語。
「え? 何とおっしゃったのですか?」
短い頷き。
「私お喋りは嫌いなの」
「居眠りしている方がずっと楽」私は媚びを諂い、それらの言葉が行進するのを制した。


なぜなら。
ここは不思議の世界ではない。
ここが不思議の世界でない理由は、比べること自体がまがい物だからだ。


すると話してくれた。
「生まれは京橋です」
「あなたは兜町を知ってますか?」
「私は跡見女学校を出ました」
「子どもたちは全員慶応です。幼稚舎から普通科へ進みました」それだけを言った。

私は復唱し頷いた。私は作ったような笑顔を用意し、話に興味を持つかのように演技し、ここにいるのがまるで楽しいような喋り方をした。


「きれいな御髪ですね」
「でも中身は空っぽ」そんなことは無いですよ、お話色々聞きましたよ、と私が続けた。


急に両手を柏手のように打った。気がつくと、もう1カ所で別の人もそうしている。まるでホームでの作法のようだ。
「どうしたのですか?」私は尋ねた。
「ここがね」下腹部を指した。
「おトイレですか?」頷いた。15分置きに要求されると前回聞いていた。
「ちょっとお!」私が呼びますから、と応じた。


「はい、はーい」少し遠くから別の仕事をしながら職員の一人が明るく答える。「○○さん、今行きますからね」「ちょっとお!」プラス柏手。「ちょっとお!」柏手。「ちょっとお!」柏手。 私の仕事は傾聴に特化しており、茶を飲ませたりトイレに付き添うなどは職員から禁じられている。「ちょっとおおおおおおおおおおおおお!!!」「はーい」と職員。ここで不謹慎ながらちょっとユーモアを感じてしまった。今日一番最初のソレ。


「はい、○○さんトイレ行きましょうか」職員がやっと応じた。
「私お喋りはだいっ嫌いなの」
「あら○○さん、どうしちゃったの? 寂しがり屋さんなのに」職員が言った。


お喋りは大嫌い、その言葉は2度繰り返された時点で効力を得た。
その後の時間、その老婦人はしばらく叫んでいたのだが、能力に乏しい私は別の老婦人2人の方に行くよう勧められてしまっていた。
(つづく)
12月9日(木)

絵画セラピーという、お題を元に画用紙に絵を描き、後半はそれを元に個々人が話をする方法。
このクラスに通い出して、もうどの位になるだろうか? 今日は初めての方がいらしたので自己紹介もした。その度毎に「親しい人がアルコール依存症で亡くなりました」と私は言う。もちろん、夏前には単にこう言っていた「親しい人がアルコール依存症です」

「親しい人がもう2年間もイギリスにいるので淋しいのです」とか「親しい人が実刑中で今府中にいます」とか「親しい人が閉鎖病棟に入院中です」とか「親しかった人が先月再婚しました」とかだったらどんなにいいだろう。そんな一年だった。

今回はまた画用紙を折った。4つに折り(その折り方も十人十色だったので話題になった。6人しかいなかったですけど)そして、春夏秋冬の順で12色のクレヨンで自由に絵を描いた。具象でも抽象でもOK。
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私の右上が春。トゲトゲした怒りの人が横に倒れている。自分は一見好き勝手にしている。本当は心配で心配でどうしていいかわからない。この時期の自分をこんな言葉で説明したところで少しも当たっていない。けれど数値で表すとフルの100。

その下が夏。棺桶が1個だけ。実際目にしていない。数値で表すとゼロ。

その左が秋で、数値で表すと0.1。何人かの人々の姿がぼうっとあるだけ。

その上が冬。数値で表すと0.2。やはり何人かの人々の姿と何カ所かの場所がぼうっとあるだけです。
その場所の一つは最近通い始めた特養老人ホームなのだと思います。精神が縮んでいたり、伸びきってしまっていたり、誰かさんのようにトゲトゲしていたり。でもそこに私がいてもいいとスタッフに言われた。「(傾聴ボランティアを)ありがとうございます」とか「(どうぞ、この方のお隣で)お願いします」とか「(こちらのホームに来てくれて)助かります」と何人かのスタッフに言われた。すごく不思議だ。それは何故なのだろう? 

私は一度もそう言われた事がなかったように思う。
つまり、その親しい友人の傍に行く事に関して。
(来た事を無視していたり、逆に怒られたり)
だから、スタッフの言葉を考えると胸がいっぱいになる。

私はただただ、今そこにいたい。
数ヶ月前まで、そうしていたのと同じように。
毎日毎日、少なくとも心の中では毎秒毎秒そうし続けていたように。
(だから無意識の「恒常性の維持」なんだろうなって思う事もあります)
12月1日(水)

水曜は愉しみだ。特養ホームの傾聴ボランティアの日だからだ(先方では”おはなしボランティア”と呼んでいた。今日は朝方「傾聴ボランティア」をキーワード検索してサイト内で「心得」の勉強もした)。隔週の水曜の午前。15分の道程をチャリで向う。


「前回はピアノを弾かれたりありがとうございました」2階に上がるとひとりの介護者が私に言った。「いいえ、中にはお耳障りの方もいらっしゃったようで」「いえいえ、あのXXさんですがね、ご病気なので誰にでもそうなんです」「そうですか。でも今日はお話の方だけにします」「全然気になさらないで下さいね。僕らでも気にしたら何も出来なくなっちゃいますから」


最初、重たい丸椅子をカウンターの際から運びひとりの入居者(「また△△さんに挑戦してみますか?」とスタッフに提案された)の傍らに並べた。灰色のスチール製で座部も同色だ。この椅子はどうしてこんなに重いのだろう? 
それから寄り添った。そして思った。金魚すくいの網を彷彿させる、、。
だからまるで薄くてこの膜は破けてしまいそうだ。


その膜とは、、。その間中ずっと、ひとり目の方の両手を私はずっと見つめ続けていからだ。両掌と10本の指、腕の袖から出ている部分。白っぽく紙のように乾燥し透けているので紫がかった太い血管が全部丸出しになってしまっている。所々の括れに粉を吹いたような破片が浮いている。


ほんの少しお喋りをされた。「わたくしは、、、」という語調。とても上品な方だ、と私は思っていた(歯の無い風な力の無い喋りだった)。その間中、前回も別の方に対してそうだったのだが、私は掌フェチのように老人の掌を眺め続けた。その次の段階で「保湿クリームはここには無いのだろうか?」という想いに支配され続けた。


ふたり目の方は、誤りでなければ前回怒って私の掌に爪を立てた方だったと思う。気になっていた。だから私はひとり目の方がご本人の痛切な訴えにより、車椅子を押されてトイレに行かれた間に、すぐ隣の車椅子の脇に移った。「こちらに座ってもいいですか?」私が聞いた。「いいですよ(こちらも歯の無い空気のような喋りだった)」


「XXさんはお歌がお上手なんですよね」カタカナで書かれたその人の名のタグが眼鏡の蔓についていた。私が席を移る以前に、何度か「あきのゆうひを、、、」と一人でとうとうと歌っていたのを耳にしていた。
「そんなことないですよ(やはり歯の無い風なソフトで消え入りそうな喋りだった)」けれど表情を替えた。

(この方の掌には私は興味が無かった。彼女の表情が私の心を掴んだ。印象的な事が起こった)

表情が変わり、そこに謙遜の言葉が走った。何曲かを歌い、途中「あおげば尊し」を歌ったので「XXさんは学校の先生だったんですか?」と思わず聞いた。「違いますよ(やはりやはり空気のような喋り)」と答えた時にも見事にあの謙遜の表情に変わった。
個人別に決まっているテーブルの位置によく見るとジェームス・ディーンのプロマイドがあった。モノクロで手帳サイズ。力強い目線がこっちを向いている。
「あ、ジェームス・ディーンお好きなんですか?」「はい、凄ーく」「目がいいの」(以上風のような喋り)その方の表情。怒ったようで実は全然怒ってなんかいない、ということが今日分かった。憑かれたように私はその表情を眺めていた。


すると歌を一曲歌い終わった時に、すごく苦し気な表情を見た。どうしたのだろう? 何か喋っている。「○X△○X△」「、、、?」私は耳をすました。
「、、歌えただけよかったわ、、」
彼女は確かにそれだけ私に繰り返しまた苦し気な表情をした。
それが「感動」の表情である、咄嗟に私は理解した。
世界一自分は鈍感者であった。

次回ジェームスディーンの写真をネットから取り出して贈り物にしよう。
11月10日(水)

思ったより多くの老人たちが時間を過ごしているのがわかった。入居者用の二階のテレビのある広いロビー。全員が静かだ。そして動作もない。私にはお一人が照会された。


正確には最初、付き添いのスタッフとトイレに行かれていた。戻って来られると車椅子の中でそのまま眠られた。そのまま、と書いたのはたぶんトイレに行く前もそうだったのだと私は勝手に察した。「ごめんなさいね、いつもは元気なの。でも今日は眠いわ」とその方が大変小さな声で私に説明した。そして眠り続けた。手の皮膚が和紙のように薄くそれは自分の母親も同じだった。小柄な夫人だった。手編みのニットのベストに長袖のブラウス、ズボンの裾を誤って踏まないように登山用のスパッツのようなものを着けている。私は透明な掌をじっと眺め、彼女は眠っていた。


最初スタッフが私にこう説明した。3分毎にトイレに行かれる。話相手がいればそうでない、と。私は寄り添い、彼女はそれを知っているのだろうか。トイレは要求しなかった。


しばらくして、一人のスタッフが恐ろしい程元気な歩行と声で「別の方にしましょう」と私に言った。そして対称的な老人が照会された。その方はこう言った。
「何の話がいいの? 恋の話? 男の人の話?」表情も豊かだ。そして私は今度こそ聴き入った。相づちも打ち相手は頷き目を見張り笑った。気がつくと配膳スタッフが忙し気に作業を始めた。「お昼ご飯ですよね」「はい、そうです」そこで今日のところは失礼する事にした。


最初の老人にも挨拶した。少し起きているのかも知れないし、眠ったままなのかも知れない。事務室で感想とスケジュールを話してそこを後にした。


帰りがけスーパーマーケットに寄ると、どの中年の客も老人の客も活力と健康美を誇って店内を闊歩していた。けれど私の心の中にはホームの老人たちの魂がずっと残っている。じっと動かない肢体。
11月5日(金)

「入居者全員が孤独を感じてらっしゃいます」
午後、比較的近隣の特別養護老人ホーム(特別養護老人ホームとはねたきりや認知症で常に介護を必要とする方の介護老人福祉施設)に打合せに出向いた。家からチャリで20分程の場所で、私の整形外科の医院とは数百メートルの距離だ。なので通い馴れた道を行った。
「何人くらい入居されているのですか?」という質問には、150名という返事があった。とても多いと思った。そのうち私の行おうとしている「傾聴ボランティア」を希望されている方は「ほぼ全員」だと言う。現在「お散歩のお相手」なども含め、そうしたボランティアは4名だと聞く。150対5ですか! しかし、大多数の方は、まとまったお話をするのは既に難しい状態にあるとも聞く。


いつくかの注意点がシートにプリントされていた。要約すると。
①手洗いとうがい
②守秘義務
③敬意のこもった接し方
④にこやかな話の聞き方
⑤何か頼まれたら職員に相談
⑥困った事も職員に相談


どうにか仲間に入れて欲しい。「対等で」と説明された。むしろ私は逆にその方々から学びたい。
来週の水曜からお邪魔させて頂く。手帳のそのマークを見るのは嬉しい。