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12月15日(土)

「東京生活保護福祉研究会」というケースワーカー系のグループの主催で葛飾区高砂にある「立花荘」を見学する学習会があり参加した。今回の見学は、私の想像していた劣悪な住居とは真逆な優良NPOの運営のものだったので一般的に「施設は絶対いやだ」とおっしゃる方々の理由を知ることは出来なかった。別の座で説明と意見交換をし、流れで一人の参加者さんと飯田橋のもやい事務所まで向かい、事務局会議にも出席した。ここもオープンな雰囲気で想像したような堅苦しさはなかった。帰りがけ3人でパスタを食べた。そのうちの一人は明日の夕方からの西新宿ホームレス見回りにも参加すると言っていた。それは午後11時まで続くのだと言う。


今日私は年の瀬やクリスマスで沸き立つ中で、ストイックに活動する人々の逆に余裕ある笑顔や態度に気付いた感じがした。物質的な快楽、面白可笑しい日々の対局にあるものでなかなか見えづらい。自分にとっては質量を持っているもの。
12月11日(火)

今夜、近所でいつもの日本語コーチを終えた後、飯田橋の居酒屋であったNPO法人もやい(生活困窮者の自立支援サポートグループ)の忘年会に参加した。「全然まじめに活動していないのに、飲み会だけですみません」と回りの席の人々に一応頭を下げます、普通にOKなのですが。道々何か動機を聞かれたらこう言おう風に考えていましたが、無駄に終わりました。飲み会ですから。本当にざっくばらんで楽しかった。後半、湯浅誠氏が大阪から駆けつけてくれました。「時々TVで拝見しています」と話掛けようか悩みましたがあまりに稚拙な感じがして止めました。このグループ、優秀な人材資源、でも大半は普通の人たち。20歳からずっと上まで、30数名が酒の雫で2012年の苦労を労いあいました。f0204425_1572259.jpg
11月19日(月)
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ほぼ1ヶ月に1度の割合でお手伝いをしています。午後3時にそれが終わり、寄り道をしながら家路に向いました。
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その寄り道のひとつが私にとっての鬼門中の鬼門「モードオフ」だったのです。結局スカート2枚、パンツ1枚とドレスを1着買いました。
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私は人間関係が疎遠になると物質に依存する傾向があります。昨日は昨日で当面必要ない大型スーツケースを買いましたし。でも服は着ますし旅行もたぶんすると思います、いつか。f0204425_19374663.jpg
10月13日(土)

ピュアミーティングに参加される身体のご不自由な方のご自宅から会場までの往復を付き添うボランティアを現在行っている最中です。約1時間の片道。ミーティング中は中2時間のフリー時間を潰すことになります。これから午後3時過ぎにお迎え、ご自宅までの電車と徒歩です。往きは初めてなのでコーディネーターが加わってくれました。「どうですか? 帰りは何とかなりそうですか?」と聞かれて「はい全然」と私は笑った。2時間を潰す目的で、ここのネットカフェに入った。1時間320円でミルク、人参ジュース、コーヒー、ソフトクリーム、コーンスープを頂きメールチェックなどをした。
9月24日(月)

ぷれいす東京の支援活動、HIV陽性者を対象としてある、トレーニングを受けたボランティア・スタッフ(バディ)の派遣(入院している人への定期的な訪問、外出や入退院の付き添い、在宅の人への家事の手伝いなど)のいっかんで、私は今日の昼間、おひとりのクライアントさんの通院補助を行いました。はっきりいって私はかなりダメな新米でした。午前9時から午後5時でなんとか終わりましたが。家に戻ると豪雨です。無事に帰宅されたことを心から願います。
9月18日(火)

あるNPO法人のホームレス支援に初めて行った。午前10時半からの打合せに顔を出したあと午前は「入居支援」、まかない食を昼にいただいた後「生活相談」に同席させてもらった。まず10時半にその場所を私がうろつくと「受付は11時からだよ」と3人待っていたホームレス男性の一人が私に言った。そしてもうひとつの場所のドア先まで案内してくれた。「入居支援」とは都会で孤立無援で低所得の一人暮らし男性のアパート入居の際にNPO法人が安価で保証人になったり、保証会社契約が条件の物件の際には緊急連絡先になるというサービスだった。一方「生活相談」のほうは福祉につながる以前の人でこちらのほうが利用者もボランティアも圧倒的に多い。私は自分以外のボランティア全員が熟練者かと思ったら私と同じく今日が初めてという人が一人いらした。別に7月から始めた方もいらした。午後2時に中座した。ネームプレートを返し交通費を精算し地下鉄に乗った。いったん帰宅し、そのあと日本語コーチのボランティアを午後4時から5時まで行った。こちらでは外国人の在留ビザ発給の難題があった。どちらも知らないことばかりの一日だった。
9月5日(水)

朝の10時25分に老人介護施設の自転車置場で私と新米ボランティアの友人さんが待ち合わせていた。私たちは2階の食堂へ入りその方は「私の友だちがいました」と以前話をした男性に近づいた。私は職員さんと短い打合せで誰と散歩に行くかを決めた。私がAさん、友人がBさん。日差しが強いので樹木の多い方の公園のほうに行った。日陰にあった木製のベンチに私と友人が斜め背中合わせに座りそれぞれの車椅子の友人たちと雑談を始めた。私以外がボランティアの友人を含め全員が80代だった。20、30分がたち私の手足が多くの薮蚊に刺され終わったあと遠回りして2台の車椅子は建物に戻った。この散歩中で印象的だったのはボランティアの友人さんがこう言ったときだった。「この力強い樹を見ていて下さい」「この子(私のこと=80代後半の方々から見ると私は「子供」なのかも知れない)は虫に血を与えました。虫は子供を産むために血が必要です。血を飲ませてあげることは優しい心です」ワオ、しかし私はあまりそのことは幸せではない。とても痒いのですからね。


帰りにイタリアンレストランに寄るので友人を誘いましたが、彼は彼自身の通院の予定があって出来ませんでした。ラボエムのパスタを一人でゆっくり味わったあと、久々に色々寄り道をして家路に向った。
7月11日(水)

約束事なので老人福祉施設に行った。2人の男性利用者さんの散歩に付き添った。お一人とは樹木の多い方の公園を車椅子を押して歩き、その方は普段の生活を私に語られた。もうお一人とは近くにあるミニストップに向った。どちらも「今日はどこに行きますか? こっちの公園かもう一つの公園かコンビニか」「どこでもいいですよ」と全員がそう答えられる。認知症でない方の場合ですが。「ああ気持よい。外の空気はいいや」とか「ありがとう。よかった今日は」とおっしゃって頂いた。私は、この場合いつも単なる車椅子を押す無名の通りすがりなのです。このような短い時間の奉仕は誰にとってもあってしかるべきものであり、だからといって自分が他にどうするというものでもなく、続いて行くだけのことなのだと思う。あっいま重たいことを今日は書いてしまった、「続く」だなんて、、、。
6月17日(土)

PWA(person with AIDSの略。エイズ共生者。エイズ患者の 人権に配慮して米国の公的機関やジャーナリズムなどで広く使われる呼称らしい。Aids patient、Aids victimなどの語に代わって用いられる。)の方の家に行き、依頼を受けた仕事をしました。新聞の整理と宅配荷物を2階に運び、梱包を解いて中味を出す、段ボールを捨てるなどの作業を3人のボランティアで行いました。私はこのグループでの活動は今回が初めてで、もう一人の人もそうでした。数ヶ月分の新聞各紙、郵便物が仕分けられて別室に山積みされました。その数倍の品々が梱包を解かれ、だいたいキチンと並べられました。3時間という約束の時間内に休憩込みできちんと終了しました。私たちは汗ばんだ皮膚と少し上がった脈拍、新聞の印刷インクで黒ずんだ後に洗面所で洗った指をして笑顔をその人に向け「失礼します」と挨拶しました。雨が上がっていたので、玄関を出たあとの数歩でふたりの仲間が自分のビニ傘を取りに戻りました。電車に乗り途中で別れました。
歩きながら一人から「今日されてどうでした?」と聞かれ「初めてでどういう風かも想像していなかったので、、、」と答えた。私はむしろ「よかったです」と答えるべきだった、と後で思いつきました。なぜなら私は基本的に初対面の人と知り合うこと、他人の家に行くこと、他人の家で家事などをすることなどが好きなのです。単純作業も。電車で座っていた私のバッグの中には「バディ活動記録票」「バディ交通費請求書」の用紙がありました。それらはいま、まだ手つかずのまま自分の部屋の床の上に無造作に置かれています。
5月2日(水)

雨が降り出す前の時間に特別養護老人ホームでお二人の車椅子散歩をすることが出来た。お一人目は認知症の女性の方、二番目は認知症でない女性の方。最初の方は隣接する大きな方の公園を一週し、次の方は自衛隊駐屯基地前の鮮やかな新緑のイチョウ並木を通ってからミニストップに寄った。私たちはそこでちょっとしたおやつを買物した。それはグレープ味のグミ、たぶんナッツの入ったチョコ、そしてフランクフルトを2本だった。私たちはいったん部屋に戻って、そのおやつを二人分に分けた。彼女はベッドに腰掛けようと職員を呼ぶと(私も自分に出来るかと思って試したが上手くいかなかった)、彼はもう昼食準備のために利用者さんたちを食堂に集合させている最中だった。そんな時間だったのでいったんベッドの端に座ったものの再び車椅子に載せてもらい私が押して食堂に戻った。私は小さな紙袋に入ったフランクフルトに、ケチャップとマスタードをかけて彼女に渡した。「もう一人分」を受け取った彼女の相棒さんは90度の位置からニコニコして私たちを見ていた。


帰路、スーパーで今度は自分の買物を終えて外に出ると本格的な降雨に変わっていた。私の荷には、食料品などの他に単1電池4本パックが入っていた。じつは今夜9時以降に、無くした指輪にかんして店内を探していいですよ、というやりとりを昨日深夜のうちに終えていたのです。(つづく)
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