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2月24日(木)
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話の続きというか、記録しておきたいこと。
とてもよい話がそれぞれにあった(私自身の話以外は、です)。

1番目の話は「その昔アフリカの台地で一人の女の人が産まれて、、」という喋りで始まった。最後は「個々の人間に色々な事が起きても、遺伝子にしてみれば、大した事無いのかな」という下りです。ミトコンドリアDNAが見事に人格化されている。私という個はイヴが複雑に世代継承した細胞の集まりに過ぎない。ミクロ(細胞レベルの私)とマクロ(遠大な地球生命の歴史)が私の中で混じり合うみたいな感じだ。

2番目の話は「人生を登山に例えるのはよくある方法ですが」という前置きの続きで語られた。「登山というものはある程度過酷である。けれど自分が今どこにいて、サミットがどこにあり、どういうルートを辿ればいいのかをある程度わかっている。だから攀ぼって行ける。人生もある意味でそうでなければ不安でたまらない」とても分かりやすいし心に残った。

3番目は「荷を軽くする」こと。登山においての説明でも、ある程度荷を軽くすることは大切だ、と最初に言われた。

4番目その負債を手放すかどうか、の判断。もし手放すのなら「嫌な部分とは縁が切れるが、その反対の部分を永遠に失うことになる」

5番目は逆に負債を受け入れるとすると同じ意味でそれらが必ず「セット」になる。

6番目は美しい響きの「ゴールデンゲイジ」。「でもゴールデンゲイジならいいんじゃないですか?」という感想があった。それはたぶんこういう意味だった。餌や水を与えてもらい、糞の掃除もしてもらえる。世話をする人が幸福であるなら世話をしてもらう人も少なくとも不幸ではない。その期間がどうなるかは別として。

今日は偶然にも援助者を含む参加者の5人全員が何らかの形でアルコール依存症の病気の患者に関係していた。そこに一緒のテーブルに座ったことは、何かの意味があった。時計が午後9時を回った頃いつものように解散になった。
最後に私が冗談を言った。「ここって10回分のプリペイド回数券あるといいですね」すると誰かが続けた。「ああ、コーヒー10杯分で1杯無料みたいな?」「考えておきます」援助者が笑って答えた。
最近は参加費を払い忘れることも無く、家路に向う私なのです。
(おわり)
2月24日(木)
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「話中心」のやり方が2回連続した。
今回、私が話したことの一つは「マズローの欲求階層説」の自分版。「1」と「2」は幸いクリアしている。そして今まるで「3.所属と愛の欲求(social need/love and belonging)」や「4.承認の欲求 (esteem)」をスキップして「5.自己実現の欲求(self actualization)」に向うことをしていると思う、と話した。


すると、コメントが頂けた。それは「3」「4」を飛ばして「5」に行き着くことは有り得ない、たぶん「3」と「4」も意識するかどうかは別として、充足されているのではないか? という暖かいコトバだった。事実はともかく、、、、そう言われればそうだ。マズローさん、失礼いたしましたっ!


もう一つ、自分は今何をするべきかはわかっているのに、中々進まない。例えて言うとすると、長距離ドライブに出発する計画があるのに、車すらない。代わりに鉄の巨大な塊が転がっていて、これから設計図を描き、鉄塊を盤に加工し、部品を作って組み立て、エンジンその他を買い、私は私で普通免許合宿に通うみたいな。


さらにもう一つ、故人のエピソードと共に日々、24時間想起して暮らしている(以下のことは話さなかった、つまりそれはどちらかと言うと「楽しいこと」とは言えない)。


そして、以下のコメントを聞くのは本当に辛い。
「家族友人として、回復見込みのあるアルコール依存症者本人をあえて突き放すのは必要なことだが、仮に重度で末期の患者に対してそうすることは明らかに誤っている。もしその過ちを犯してしまった場合、家族友人は一生その負債を背負って行く」という真実だ。
それはどうしようもなく「シンジツ」に違いない。
10月14日(木)

「あなたの色のイメージは?(クレヨンで描いてみよう)」というシートが一人一枚ずつ配られた。

f0204425_23431593.jpg①やさしい②かわいい③ゆたかな④馬鹿にされた⑤悲しい⑥さびしい⑦楽しい⑧怒った⑨愛してる⑩愛されている

確か12色のクレヨンだったか、色を重ねたりも自由だ。同じ色を別の感情に使っても構わない。つまりルールは緩やかだった。各人が作業を終えた後、6人の参加者が3人ずつの2グループに別れて色を塗った時の感想などを話し合う。共通した色、例えば「⑤悲しい」にブルー、「③ゆたか」にグリーンなどを確認することにもなる。不思議な事に「⑧怒った」が全体で話題になった。


なので次のセッションでは、この「怒り」を身体表現で行う。ある人は腕を組み、ある人は頭を抱えた。私は顔を両手で覆い、泣く動作を行った。これらを全員が真似る。たまに自分はそうすると「違和感がある」という意見が出たりする。一番面白かったのは「立った姿勢で片手の正拳や手刀で机をバシッと叩く」という人がいて、全員がそうした。「机を壊さない、あるいは手に怪我そしない程度に」というジョークに満ちた注意事項も聞こえた。ドンバタンどすん!!! 妙に「スッキリした」という声が多かった。和やかなセッションだった。


最後の一巡で今日ここに参加した感想を述べたのだが、、。
私はこのブログにさえ書く事を躊躇われる事をそこで述べた。それと私のもう一つの感想は、私自身、世間様に対しては「怒る」機会は非常に少ないという意味だった。例えば今日の昼、TVの参議院の国会中継で山本一太議員が菅直人に対して「怒っていた」のを観るだけでドキドキした違和感があった。まあ政治家の世界なんで、パフォーマンスに過ぎないのだろうけど。


個人的な結論、、、感情の起伏なんて、幸福感とかだけで十分だと思う。怒りなんて要らない。
そしてそれは実現しつつある。なぜもっと早く写真立てや手帳や財布に相手さんの写真を入れなかったのかが悔やまれる。すごく落ち着くし、、、全然違う。素敵なロケットを探してその中に小さな写真を入れれば、肌に最も近い場所にずっと身につける事も出来る。蛇足が長過ぎた。
8月26日(木)

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今夜、月1回のグループカウンセリングに行った。お題は「感情」。心はどこにあるか? からスタートした。この導入レクチャーは図解にまとめられた。刺激→認知→感情→行動。だから、この→を逆行させて自分の本質を見つめることも出来るという話。そういう考え方は新鮮だった。これに添って、あるいはそれ以外の方法でも喋る。参加者は7人と援助者1人。全部で3巡する。


私の1巡目の順に、どうしてもパスをした。「文章ではいくらでも書けるのですが喋るのが苦手でして、、」というパスの理由も全く上手く語れなかった。1巡の後、援助者は何か残念な感想を述べたのだが自分のことかも知れないと感じた(実際はそうではなかった)。


私の2巡目の順に「1ヶ月前に大きな出来事があった事」「それをつい先日、ある作業をする前までは全部自分のせい、と考えていたが、そのやり方を止めるかも知れない」「何故なら今回は全部自分のせい=二人の間で起こったあらゆる不合理な出来事が全部自分のせい、になってしまうから」「しかしその考えを止めたとたんに蓋を外された悲しみが溢れ出した」と語った。


私の3巡目の順に心像風景を語った。「私は豪華な大型客船の甲板にゆったりと立って、沖を見つめている。そこには、ゆっくりと溺れ死んで行く恋人の姿が非常に小さく見える」オレンジ色の服を着た腕。肩。頭部。判りづらい表情。不可解な動き。そんなものは実際に見ていないのに。


「話してくれてありがとうございます」と援助者が帰りがけに言った。
その少し前にこんなアドバイスもあった。「沢山話すことです」
「無力ということは、、、、」そしてその次に何かの言葉を続けたのだろう? 私はすぐに耳が遠くなるクセがある。突然大量の悲しさに襲われると肝心の他人の声が遠ざかってしまうのだ。
7月15日(木)

月一回の木曜の夜はグループカウンセリングの日だ。
今日はいつもと別の講師が参加して下さった。その先生方を含め、参加者はまるごと全員で7名。

まず軽い自己紹介の後、行ったセッションのメニューは4種類。
1.順番に「今日○○をしました」と述べ、同じ経験の人は挙手をする。
2.順番に各人がある食べ物を思い浮かべ、それを当てさせるゲーム。
3.食べ物に関するエピソード公開。
4.カラー粘度でひとりずつ好きな造形を作り、タイトルまでつける。その後お互いに評価しあった二人が組み、印象などを語る。すべてを集合させてまとまった配置に置き換える。全体のタイトルをつける。最後に感想を述べる。


多くの人はたぶん、4.に熱中していた。粘度など小学校以来だ、と言っていた。
私は作品作りに失敗し「失敗」というタイトルにした。
他の参加者の作品は「岩」「骨」「金のドラゴン」「うねうねした生き物」「生命」(だったか?)だった。


その日の私は、1.と3.に興味を持った。
1.は「今日ウーロン茶を飲んだ人は?」「今日満員電車に乗った人は?」「今日ケイタイでメールをした人は?」「集まる時間に焦った人は?」「痩せたい人」「ケーキが好きな人」「海外旅行が好きな人」「温泉に行きたい人」など3巡した。
私は「大相撲の実況中継がなくなって残念な人」「今朝のスゴい朝焼けを見た人」などと言い、孤独な結果に終わった。


「食べ物に関するエピソード」を話された人は4人いらした。子供の頃の事で、どれも興味深い話だった。


しかし、この粘度、かなり毒性があるみたいだ。袋の注意書きには粘膜や口に入れるなとか、手をよく洗えとかある。さらに原材料はどこにも記されていないのだ。
写真は残りを家に持って帰り、息子が作ったガンダムの頭部。
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3月11日(木)続

4人で(半ば協力して)描画を行った。
協力した、という態度は結果付いて来た種類のもの。要求されたワケではない。

最初は何が起こるか、全員不安だった。
同じ一枚のA3くらいの紙に、順番こに一筆画きを6、7巡繰り返す。
自分の番に来ると、数十秒悩む人もいれば、早く済ませたいので一気に終える人もいる。


一枚の絵が完成し、皆で眺める。一緒にタイトルを考える。次に描いていた時の自分の気持を語る。
2枚の絵、つまりセッションが2回あった。私の気持は、、、、。

〈1枚目の絵(タイトル『池の四季』)〉
1. 共同作業への躊躇があった(皆の描いた線や形に、補完的な線などを入れていた)
2. 自己主張を試みたが失敗したと感じた(最後に少し積極的なモチーフを描いたが、違和感が残った)

〈2枚目の絵(タイトル『天の遊園地』)〉
1. 共同作業への躊躇は少ない(1番バッターだったので自由な曲線から描き始めた。しかし、造形的には失敗したと感じた)
2. 他の人々の描く意味を考え、それに合致したモチーフを描こうとした(星に対して顔の付いた三日月を、ブランコに対して漕いでいる黒ウサギを、線路に対してそこを走る汽車を描いた)
3. しかし全体的には、出来が悪いと自己評価を下した。

3の理由を述べた。美大受験生であった頃から、絵に対する喜びがすっかり消えた事、単に評価される側面だけを背負っていた。(その後の出版界しかり!)


今はどうなのかわからない。しかし、今日もセッションはとても楽しかった。ここで行われることは、どれもそうだが作業であるという点、美術と関連性があるという側面でとても興味がある。私自身のそういった世界でのリハビリなのだ、と気付いた。

次回はコラージュだ。これってますます面白そう!