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9月12日(水)

私はこの一年間武蔵野大学の心理臨床センターでトラウマティックな認知行動療法に準じた(しかしどちらかというとごく一般的な)セラピーを受けていた。しかし前回のセッションにおいて私のセラピストは「あなたは最近どうやらご自身で問題を解決しつつあるように思えます。この時期でセラピーを終了するのはどうでしょうか?」と提案し私も異論がなかった。1ヶ月後の今日「最後のまとめ」としての最終セッションがあった。私は数種類の質問に回答した後、自分からいくつかの新しい考えを述べた。そのうちの一つは他人の生に対して全ての責任を持てないのではないか、と考えるようになったこと。自分自身を変えることは可能だが、他人と過去を変えることは出来ないというラインホールト・ニーバーの言葉に触れた。もう一つ施錠された鍵を開けた話を例えで話すことも出来た。


待合室にいる間に持参した茶がポットからこぼれケイタイが壊れかけた(まだ故障したかどうか不明です)。帰り道のチャリで昭和通りから第一京浜に出るあたりで血の凍るような場面があった。ゼブラ帯に逃れつつ「ほっ」。午後7時半に家に戻るとワン子が寂し吠えをしていて、おまけに室内には寂しシッコまであった。ごめん、、。
1月10日(火)
新しいカウンセリングの内容はこのブログに書かないのですが(理由は自分でもよくわからない)、いつものように記録をテキストに記したあとで、一点だけここにも書こうかなと思う。

それは「自分が最近、緊張やストレスをわざわざ加えた日常を送っているような気がする」と話した点です。
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タイトル;NewYork2011 PHOTO by Jill

それは脳が「恒常性を維持したい」と言っているのかな。アホらしい解釈ですけど。

家に帰ってから「グリーフケア」についてネットで色々調べてみました。でも自分はちょっと違うような感じもしています。それから35のエピソードを項目でワードに書き出してみました。するとますますどこか違う感じがしました。
12月13日(火)

明日から10日ていど米国に行くのですが実は何の荷物の用意が出来ていません。しかし15時のフライトなので朝1時間ほどで何とかなるのでは、と思い今日はお風呂に入り遅い夕食を取り、猿害のTVを見てから日記を書き寝てしまうのしょう。少しばかり忙しい日でした。


今日は例に拠って火曜日のカウンセリングを多摩地域まで行って受け、その足で渋谷で知人と落ち合った。明日からの旅行で携帯する高性能コンパクトカメラを借り受けしかも、大層親切なその方からその場で撮影指導も受けたのです。その後帰宅して犬と息子の食事をサーブし、再びチャリで品川へ向った。
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講演会「働く世代に多いHIV感染者 〜周囲の正しい理解で働き続けられる〜」に参加した。

http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kansen/aids/yobo_gekkan/yobo_g_keihatsu/index.html

東京都の主催事業。要は、日本の企業さんが、たとえ現在は障害者枠という法的手段であれ、HIV陽性者あるいはAIDS患者であろうと公平に雇用の門を開く、あるいは中途罹患者でも差別なく雇用を継続させられる環境整備に努めましょうという理念の普及啓発事業でした。医師、サポート団体職員、大手企業の人事担当者の報告や質疑応答でした。感想は、、、もし自分が当事者であれば、就労という基本的人権が満たされるかどうかというポイントは重大だと思います。ですからこのような議論が、幅広く行われることは必要なことだと思いました。そもそも労働の権利は憲法でもうたわれていますよね。私は今日その会合に出席出来て本当に勉強になりました。ですので、今回の旅行の出国を14日からにしたという甲斐があったというものです。
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イチョウの散り積もる新八重山橋から五反田を通って家路に向った。
11月22日(火)

前回にひきつづき初回に行った心理テストの振り返りで。


相手の死を知った後に「愕然とした」「(その原因に)怒りを感じた」「そんな出来事は無かったと考えたい瞬間があった」などに「それは全く無かった」という回答をした点をカウンセラーが質問した。私自信はむしろそれらの設問が存在すること自体が不思議だった。


怒りに似た何か(怒りではないと思う)があるとしたらそれは常に自分の内側に向っている。
瑕疵、という意味です。


そして今日話しもらしたこと(話しもらしは必ずある)。
相手の死後に自分が変わった点を加えるとしたら、それはある種の研修を受けたという実感だった。「感情を表出しないで生きる」喜怒哀楽は排除出来る。そうしたトレーニングを無意識のうちに踏んでいた感じがします。
(おわり)
11月15日(火)

心理相談の今日はいつのまにか9回目だった。
すでに1カ所も道で迷う箇所は無く、11時半に飛び込むガストの店員の顔も馴染みになって来た。今日は第1回目に行った2,3種類のペーパーテストのフィードバックを行いましょうと聞き、私は少し喜んだ。
往きと「同じ気持」で帰り道を走ることになった。帰りもまたそうであることは驚きだった。


往きに靴のディスカウントショップで来週の太極拳ステージで履くシューズを670円で購入した。帰りに朝電話して取って置いてもらった吉祥寺ダイヤ街の「大中」に寄り、買わないのに商品を一応見せてもらった。グレーの布製スリッポンだった。そのどちらも中国製であることに代わりは無かったが、後者のほうが断然カワイかった。けれど値段が1,500円で2倍だったので、ディスカウント屋の白色のにしたのですね。けちです。f0204425_9261462.jpg

あと、遺作展のポートフォリオを見てもらう9人の先生方への連絡の方はまだボチボチです。
11月8日(火)

こう(サブジェクトを)書くとチャリが目的化した日常のように聞こえます。半分は、、、実はそうです。本当は手段であり目的は一応別にあります。その目的地に着き小部屋の中で「今日は自転車ではないのですね」と訊ねられたので「いいえ、自転車です。晴れていれば」と私は応えた。


往きは1時間15分にタイムが短縮した。家から1時間の地点は、最初の頃は「環八井の頭交差点」だったが、今日などは「井の頭通りJR東日本吉祥寺南陸橋」だった。そのことを話すと「どうして少しずつ早くなるのですか?」という質問が帰って来た。あらら。「、、、ええと道に迷わなくなったからです」と少しビックリしながら私は応えた。


帰りに守衛の所で先週置き忘れ、1週間預かってもらっていた自分のケイタイを受け取った。守衛は私のリクエストに対して「おっ」という表情で反応して身分証明も何も要求せずにそれを手渡した。厚く礼を述べた。
8月23日(月)

色々予定を入れてしまった。しかし最大の懸案、店子さんの給湯器が故障し、その緊急修理という部分は「大屋さん、あの一応火つきました。ので様子見ます」というケイタイで無くなった。


そこで予定は7個から6個に減った。一つ目、①早朝のジム&プール、それは降雨の中に終了、往復を入れて2時間半。昼食後②友人とある駅の自動改札越しに料理のプレゼントを受け取る。10秒で終了。その後、③證券会社の担当者からレクチャーを1時間半受ける。場所を移して④自分のカウンセリングを2時間受ける。帰宅後息子と夕食。その後⑤タンゴのレッスンを1時間半受け、その足で予約した⑥美容室でカット&パーマを2時間半施術、午後11時半の帰宅であった。相変わらず眼が痒い。期間限定の花粉症ではなく私は365日眼がとても痒いのです。
8月13日(土)

話してもいいのだと思う。時間を守り、簡潔に、落ち着いて聞き取りやすい話し方で話すのなら、内容は自由なのだと思います。今自分が一番気になっていることについて。


でもやはり話しつらい。
その周辺のことであれば、例えば。


自分の家の部屋が散らかり出す、一瞬がある。洗濯物が取り込まれた姿でベッドに散らばっている、とする。玄関に何足かの靴がだらしなく脱ぎ捨ててある、とする。紙片が床に落ちている、とする。するとそれは亡くなった友人さんのあのゴミ屋敷になる兆候ではないか、というドキドキした気分になる。サッと片付ける。毎日毎日がそうである。あるいは自転車の鍵の4桁の番号を咄嗟に忘れてしまう。この出来事も深刻に受け取る。気付いた時は、あの最後の姿、認知を失い、自分自身の下の世話も出来ず、ゴミの中で呆然と過ごしている、あの姿に自分もなってしまうのではないか、という危惧がすぐ近くにある。


これらは周辺のことです。
しかしいちばん気になっている苦しいことは、以下のことです。


このブログを書くことも相手さんが登場したり、自分の気持も正直に書いたので、それが相手を苦しめたのかも知れない。元カノさんの死に対しても、相手さんの死に対しても、自分に深い落ち度がある。私の存在や行為が二人の死を招いた。つまり私は「偽物」で相手からは「ずっと」「これっぽっちも何とも思」われていなかった。「クソ女」である私は「醜」く「これからもっともっと醜くなって行く」そういう言葉たちがずっとずっと自分の周りにあります。表情や語気と一緒に。ですがこれらの内容を言葉で、グループの中で話すことは出来ないような気がします。その内容があまりにも大き過ぎて、私の言葉にする能力を何億倍も超えてしまっているのだと思います。
7月1日(金)
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昨日はある展覧会のオープニングパーティにいた。家から近い場所だった。店員のお一人は私が以前来店したことを覚えていてくれた。私の脚の包帯を「気になって聞こうと思っていた」と言った人もいた。2時間程で失礼した。


今日は区の健康診断があり、その足でカウンセリングに行った。この場所で私は「現実に」必要な事柄を中心に話すようにしている。


「現実に」今月中旬に故人の一周忌に参加することとか、遺作品の処理方法とか、自分を取り巻く何人かの人々の振舞い、家族を含めとか、モノを書いているかいないか。
「一般的」な話題は非常に少ない。被災地でのアルコール依存の問題、不倫も愛か、男性神話、相談者の層など。後者はどうでもいいことに近い。が、前者とて一番の本質ではない気がする。どこか表面的であって。自分自身でそこを掘っていかないからだけかも知れない。一周忌で何をしたいのか、遺作展はどうしてするのか、人々を私はなぜ受け入れるのか、家族は、、、いいです、でもモノを書いていないのはどうしてなのか。


どのようなカウンセリングでもミーティングでも友達同士の会話でも、終わった後で「ああ、こういう風に話せばよかった、、、」と思う気持ばかりです。
3月1日(火)
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昨日も今日のような雨模様だった。いつもはチャリで通う場所にバスと地下鉄で行った。朝だったので建物の中はガランとした感じがした。もう茶菓の用意がされ、私用にスリッパが揃えてあった。そのまま階段をあがった。


話したことを記録として要約したいと思う。

1.私は何枚かのギャラリーのDMをテーブルに並べた
2.私は新しいデジカメもテーブルに置いた
3.私は今朝、関口祐加監督がTVに出演していた話をした
4.私は認知症とアルコール依存症末期が共通する理由が同じ脳の病気だからだと考えた(「態度が豹変する」という点が似ていると思った)
5.私は近い将来自分が認知症になった場合のことを少し想像して話した
6.私は関口監督がお母さんの映画を作る姿勢と、私が彼の遺作展を企画することとは少し違うと思うと話した(理由は、そこに自分を全面的に出すことが相応しくないと思うから)
7.私はむしろ私小説を書くことの方が、それにあたっていると思うと話した
8.それはたぶん今日のTVの視聴者意見にあった「一緒に悪くなってしまう」自分だったりする、と話した
9.私はある在宅介護者である男性の方の、認知症の奥様に対する態度を羨ましいと思うと話したかったが、うまく説明出来なかったと思う
10.私がスナップ写真を撮るのは、文章に対する刺身のツマのようなものだが、ある人が「(写真家であった)彼の影響もあるのですか?」と聞かれたときの答えは「ないと思う」だった、と話した
だいたい以上でした。