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2017年1月31日(火)

今日で1月も終わりだ。いまや部屋の汚れが最高潮になっているのを知っていた。ベッドからシーツ類を剥がし、洗濯機にぶち込んだ。レイコップを運んできてマットや毛布、枕にかけた。ダストボックスをきれいにした。ルンバを連れてきて協力しながら(私はホウキでスキマを吐いたり)部屋部屋を回った。ダストボックスの中身を捨てた。水回り4箇所を掃除した。玄関と中庭も掃いた。料理を3回おこない、夕食は息子と一緒に食べた。浴室を暖房し、久々にミストサウナをし、髪も洗い、そのあと浴槽にも湯を張った。録画したTVをみた。さていろいろするのは明日からかな。

2017年1月30日(月)

朝9時、電話口で私は「午前11時頃にうかがえると思います」と答えていた。昨日の時点では行かない予定だったが、いつのまにかバッグにバンコクの診断書や飲み残しの薬などを入れていた。国際医療センターはボランティアでお馴染みだったのだが、ここで自分の診察券を作ることは不思議な感じがした。新患受付で1時間以上まった。「渡航者診断科」での私の診察は問診のみで内容的には「メインの下痢が止まっているのなら、あまり先々を気にしないで経過をみましょう」というものだった。ここに来たのも悪くない、と思う、気になっている場合は。病院まえにあるいつものカフェで3時までのランチに間に合い、いつものパスタを注文した。久々に食料品も買い、午後5時に家に戻った。

2017年1月29日(日)

結局は「旅行者下痢症」だったのだろう。国際医療センターに行く必要もなさそうだ。今日など発症当時と比べたら天国のように回復しているのだから。朝は納豆と玉子を落とした味噌汁を作った。それと海苔。昼は冷凍食品の五目焼きそば、夜などは二人分のハンバーグソテーを作り、キャンベルのオニオンスープも添えた。枯れかけたポインセチアと自分の爪、まゆの手入れをした。昼食後に風呂に入り、残り湯でザックと靴を洗った。確定申告用資料を集めた。あとはTVをみたり昼寝をした。本調子まであと一息。

2017年1月28日(土)

観葉植物のすべては問題なく育っていた。ポインセチアだけが非常に残念な姿にかわっていた。あとでググって対処しようと思った。やったことといえば洗濯だけだった。昨日の夜に届いた汚れ衣類を洗濯機にすべてぶち込み、日向の室内で夕方までにすべて乾かした。汚れたザックの手洗いについては、風呂の残り湯を使うといいらしいので明日に延期した。食事は買い置きのもので、消化のいい簡単なもので済ませた。溜まったTV番組を息子と一緒に数時間みた。バンコクで処方された薬はだいたい飲み終わりつつある。少し寒気もしたので昼寝をした。熱は平熱だった。国際医療センターの中にあるトラベルクリニックの時間外連絡先に電話して、通院と予約方法を聞いた。そこに行くかどうかは週明けに考えればいいと思った。よく知っている場所だけに気楽な感じもしなくもない。外食も買出しも行かない。FBに帰国と病気のことをポスティングした。夜になってからダイレクトでクレジット会社に請求金額の振込をした。ついでに留守中の郵便物にざっと目を通した。タイピングしていると手の爪がきれいでない。あとで行おう。気がつくと血圧測定をしていないことに気づいた。どうでもいい感じがする。もう一日ゆっくりしてしよう。

2016126日(木) - 27(金)


朝、まだ自分が生きているのが不思議だった。海外損保のコレクトコールを試みたがうまくいかなかった。グダグダしながら下痢と発熱だけを友人にした。昨日買った油こいほうれん草のパンはひとかじりされただけでゴミ箱行きにした。おなじくずっしりしたアップルパイは手付かずだったので仕事中のハウスキーパーにあげた。午前9時にチェックアウトし1300ルピーを払った。道端のタクシーで空港に向かい550ルピーを払った。タイ国際航空のカウンターが開くまで寒い中をずいぶん待った。搭乗券を手に入れ到着ロビーに行きボードでNの便の目星をつけた。こんかい残念なことにポカラで彼女に会えなかったが、偶然おなじ日の同じ時間にパースから帰国し、トリプバン空港を通ることがわかったので、ここで会える奇跡を期待したのだった。その便は1120分到着のKL便のような気がした。ふたつのロビーを何度か往復しその度にセキュリティを受けた。Nの便(ではないかと思われる)に遅延があり、私はここでも下痢も止まらないので友人に電話して今回ここでNに会うプランを諦めたと伝えた。通話が途切れ、私は自分の体調を伝えられなかったような気がした。手続きを終えてラウンジに座った。確かにここは「ネパールではない」。不思議なことに食欲があり、茹でたカリフラワーや魚の料理を少し食べた。友人から電話があり「今年来てくれてありがとう」と言った。「ノースカロライナで会おう」と言った。4ヶ月先の話だ。「イーメイルを書いて送ってね」とも言った。バンコク行きは満席に近かった。3時間で到着した。スワンナプームには診療所があることをあらかじめ調べて知っていた。インフォメーションデスクで聞くと「医師に会いたいのですか?」というので「そうです」と答えた。まもなく女の看護師と車椅子を押す男があらわれ、私は自分で歩けますと伝えた。一階の一般乗客の入れないエリアに診療室があった。比較的狭く、地味な感じだった。女の看護師か事務系が3人いて私はまず血圧と、体温を耳で測った。体温には異常がないと伝えられた。医師は急患で外しているので待つように言われた。しばらくして医師が来るから診察台に寝るように言われた。私服の医師は、どう見てもゲイで、触診と聴き終わった自覚症状をまとめ、さらにいくつかの質問を加えからこう述べた。「おそらくバクテリアや細菌感染ではなくウイルスによるものでしょう。しかしあなたの体温は36度ナンブなので、ナントカトカナントカトカトカイウ危険なものではないですよ。現在ネパールに深刻な感染症の発症情報はありません。私たちは常にスクリーニングをしてますからね。処方箋を出しますから服薬して(副作用が出たらストップして)、帰国後に体調変化があったら医療を受信してください。こいうものを食べてこういうものは食べないように」廊下に出て今度は反対側の椅子に座り、書類と薬ができるのをまった。たまたま持っていたタイの現金で金を払った。小柄の若い男性医師はパソコン仕事を数分で終えて、蓋つきカップの飲み物のストローをしゃぶりながら出て行った。薬の飲み方を女が私に教えた。別の男が一般乗客のエリアまで私を案内した。すぐ近くのラウンジに行き、まず薬を水で割って作り、柔らかい食べ物を少し口に入れてから3種類とも飲んだ。まだ1時間ほどあったのでゆっくりした。成田便までの東西通路を歩き、搭乗した。夜間飛行には通路側を選ぶことにしていた。ゆで卵の混ざったツナサンドが出たのでよく噛んで食べた。機内の照明が消え数時間寝た。朝食にタイ料理が出たが白米だけ半分食べて薬を飲んだ。成田に着陸し荷物を受け取る前に便意があり、それはまあまあだった。JALabcで宅配を頼み、京成バスの窓口に行くと、すでに購入していた4枚2000円のバス券は1日前までにネット予約が必要だったので今回は使えないのだと知った。別途1000円でいつものように東京駅行きを買った。八重洲から丸の内に歩き、東急バスで家に戻った。渡航中に留守電が7件もあったクレジット会社からの至急振込依頼の電話がバスのステップを降りるときに受け取れた。たぶん私の乗ったタイ航空の料金が未払いで空中にあったらしい。用意していた自宅の鍵を開けて中に入ると今まで嗅いだことのない種類の臭いがした。「ただいま、この家ヘンな臭いがするよ」「あ、そう? 住んでるとわかんない」とちょうど顔を出した息子が言った。とても疲れていたので、体調を心配してくれていた友人のメッセージにたいして、無事に着いたという返事を送ったのは、軽食と薬と風呂をなんとか終えて一段落してからになってしまった。それから夕方までベッドで眠り続けた。


2017年1月25日(水)

「ねえ私一人でバス乗り場に行くの、それとも送ってくれる?」と用意の整った私が切り出した。「一緒に行くよ」と答えた。ハリのホテルからグリーンラインバス乗り場までは計ってみると6,7分だった。二つのザックとキャリーバックは全て私が持って歩いた。「気持ちいい朝」と言うと「あんたは帰れるから嬉しいのさ」と答えた。バスが出発し、窓越しの友人の姿が消えた。カトマンズに着いたのは約8時間後の午後4時だった。グリーンラインオフィスとは違う場所で降ろされた。人に聞きながらでこぼこ道をタメルを目指し、定宿のTGHのチェクインした。往きと同じ部屋だった。酷く疲れていて、仕事の用事があってバイクで今日KTMに来ているというハリと彼の弟との会食は不参加と決めた。電話が繋がらないので友人経由でことわってもらった。昼に食べたものを少し吐いた。夕食として一応お腹入れるものを探してタメルのスーパーやパン屋に行き、ついでに本や土産も買った。体調はますます悪くなる一方だった。本気で損保会社に電話し通院や飛行機の便の変更が可能か調べようかとも思った。一方でネパールの医療の世話になることも、帰国が遅れるのもいやだった。午後8時に寝て明朝の回復を期待した。全身がだる悪寒と発汗が続くイヤな夜だった。

2017年1月24日(火)

90パーセント元気になった、と朝起きた友人が言った。森の中にあるベーカリーにパンを買いに行ったのは起きてからずいぶん経ってからだった。「リンゴは要らない」と友人が言い、シナモンロールを2個とチョコ系を3個買った。以前買い置きのアップルロールは部屋の暖房で青カビが生えてしまったのを私は思い出していた。部屋に戻り、備え付けの電気ポットで湯を沸かしインスタントコーヒーでロールを一つずつ食べた。昼の時間が過ぎかけ、残りのロールを持ってPの家に行った。「誰かさんが二回電話かけてきたよ」と友人が朝のラブコールの話をPにした。Pはお茶目な大笑いで返事に替えていた。私にはロキシーを友人には茶を振舞ってくれた。友人はもう一つロールを食べた。そこを出てから「チベットレストランへ行こう」と言った。私は焼きソバとバナナラッシーを頼み、友人はモーニングサービスが終わっていたので何も頼まなかった。Nの弟がやっている店に行き友人は何かを頼んで食べていた。私はロキシーにした。Nの弟に無事にトレッキングから戻った話をしたり写真を見せたりした。いったん部屋に戻り午後8時にPが水牛肉の料理をしてくれる予定の時間までゆっくりした。結婚式に出ていたBから電話があり、そそくさと出かけた。息子もちらっと顔を出しいつものラテン系の左右の頬にキスをする挨拶をくれた。BとPはすぐにはっきりしたネパール語の会話に変わってしまうので後の二人には時々通訳が必要だった。Bが帰り、残りの二人が両眼をうるうるさせながら語るPの身の上話を聞いた。Pは昨日私が渡した千ルピーの釣り札を「私は正直者だから」と言って私にくれた。部屋に戻りながら時計を見ると午後10時半だった。「自分はサメ湾の中を泳いでいる一匹の小さい魚さ」と友人はこの国での自分の状況を私に説明した。

2017年1月23日(月)

「最後の場所がここで本当によかったです」と帰り際に私はひとりの僧侶に言うとかれは笑った。チベット僧院のゲストハウスは飾り気はもちろん無く、一台の小さいベッドが備え付けてあるだけだった。マットレスは無いかのごとく固い。それと両側に低いテーブル、鉄製のコート掛けもかろうじてあった。ドアの外側にチベット装飾のカーテンがかかっている。トイレは少し行った場所で洗面台は非常に汚れていた。夜の間二匹の黒犬が間断なく吠え続けていたので犬好きの私でも碧壁したので、朝になって二匹の犬に目を合わせないようにした。夜食は菜食ダルバートで朝はチャパティと小豆のスープとバター茶だった。少年僧に混じって、デンマーク男が一人いて、これから30日間誰とも口をきかないのだと自分の修行を説明した。昨夜は食べ過ぎた。山の疲れが溜まって下痢や胃のムカムカがあった。大豆の煮豆の残りを食器洗いの下にある缶に捨て、パンを2つに折ってザックのポケットに入れた。ゆっくり支度をした。レイクサイドまではバスを3台を乗り継いだ。途中にBの5本の木の場所や薬局の通りが車窓から見えた。センターポイントを歩いて通ったので、KCの店に寄り挨拶がてらお礼にトレッキングハットを500ルピーで買った。杖なしでラビアンホテルまで急いだ。友人はレストランにいた。

久しぶりにポカラの町ですごした方法は行きつけの日本料理屋で親子丼を二つ頼んだことだった。友人は胃の調子悪く、さらに頭痛がすると言った。帰りに私の登山靴のソールが壊れたのを100ルピーで修理する依頼をした。病人と疲れ切った登山者はそれ以外の時間を眠って過ごした。

2017年1月22日(日)

実はこのホームステイ家族はいい人たちだった。帰りに手を振ってくれたりパククネの評価までしてくれた。込み込みで1200ルピーという値段も焚き火好きな私には嬉しかったがやはり馴染めないのは、、、、清潔さが足りないからだった。その点今日の昼飯に寄った日本人ホテルはセンスといい、清潔さといい、久々の唐揚げ定食といい二重丸だった。値段も1500ルピー(1500円)ほどしたが。それと従業員は日本語を話し関係者という日本人3人も「いた」。ただ「いた」だけで話す雰囲気でもなかったが。それよりなにより、今日の歩行はキツかった。30分間隔で脚に痛みがあり、最後は5〜10分毎に立ち止まった。今日で最後なのだと言い聞かせた。何かレースにゴールするかのように見知らぬ町のバスパークに紛れ込んだ。お祝いにハエだらけの店で50円のロキシーを飲み、15円のバスに乗ってチベタンキャンプに向かった。するとその「ゲストハウス」とはなんと僧院であった。宿泊は500円、朝夕2食でもう500円だった。部屋に荷物を置きシャワーを浴び、汚れた靴とザックを洗った。本堂の中を案内してもらったがお坊さんの英語は訛っていてよくわからなかった。鐘が鳴り食器を持って夕食の列に並んだ。ほとんどが子どもの僧だ。デンマーク人もいて1カ月以上修行すると言っていた。私は自分の旅が終わりに近づい来たことくらいしか考えられない。ベッドが堅い。


2017年1月21日(土)

ここの部屋は素晴らしかったが朝に頼んだポテトスープはイマイチだった。しかもWiFiは無しに近い。精算後、もう一度チェックポイントを訪れ係の人と記念写真を撮らせてもらった。ダンプスまでの道はコケとシダが多く植物の写真を撮りながらゆっくり歩いた。粟を干している茶店で50円だという燗のロキシーを飲んでいると71歳の日本人じいさんと出会った。ここにもチェックポイントがあり道と食堂を聞き、すぐ隣りでダルバートを食べているともう一人日本人のねえさんに会った。道はすでにダートの車道に変わっていた。ハンジコットへは泥埃の中を上った。地元のバブー(少年)が民宿を教えてくれた。韓国人夫が主人の宿だった。昨日あたりから東京や我が家が懐かしい。12日間は長すぎる。