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2016年5月29日(日)30日(月)

朝5時半に起き、ゴミを捨て、シーツ類を剥がして洗濯機に入れたり荷物を下に下ろし、ネットを終えると友人は出勤していて間もなく出発した。途中のマクドでエッグマフィンとオレンジジュースをドライブスルーで買い、コップを余分にもらって分けた。明日、友人はロサンゼルスまでクルマで行き、4日後に戻る。今日はまだいる日なので結果的によかった。ソノマからナパのエバンズシャトルのターミナルまで送ってくれた。昨日は「ジルをSFOまで送っていくよ」とか言っていたのが仕事でダメになったためか、今回もまた切符をおごってもらってしまった。「ジル、毎年こっちに来れば、あっNCの帰りにはいつでも寄ればいい」と言って肩を抱き寄せながら頬にキスをしてくれた。デルタのチェックインを終え、驚くほど簡単なセキュリティーを通り、スタンドバイに立った。髪の長いぼおっとした表情の不思議ちゃん的若い女の子もスタンドバイしていて私の隣の席になり、機内サービスの白ワインの小瓶を3本頼み、そのうち2本をカバンにしまっているのが瓶がぶつかる音でわかった。LAXでおなじみのアラスカラウンジで3時間ほどくつろいでいる。友人とチャットができた。懐かしい。


ビジネスの一番後ろの席がもらえた。FAは背の高い陽気な黒人レディだった。和食が売り切れで、サーモンのオードブルとチーズまみれのサラダの後に盛り付けの優れたアジア風味の鶏料理が出たが塩っぱいので大体残した。日本酒180mlをようやく飲み終えた。夜はシートが平らになれたので妖怪の出る夢を見つつも熟睡した。HNDに着いたのは午後10時すぎで荷物を宅配に預け、平和島温泉行きのバスに乗った。風呂を1時間たんのうしたあといまリクライニングに横になり書いている。


ネパール旅行はとくにそうだが、海外旅行では帰国日の一週間前頃になると「はやく日本に帰りたい」といつも思う。今回の旅行は目的地が3つもあったためなのか、不思議にあまりそう感じなかった。「今回は旅行中、感じが違った」LAXでのチャットで私が言った。「どういうこと? テルミー、プリーズ」「なんか自由な感じ、たぶん自分の家が無いからだって気づいた」「だって家は他にも2ついいのがあるじゃないか」でも、、、メインの家がなく、生活自体が旅のような状況だから、と伝えたかったが、そうしなかった。相手が喜びそうな内容とは異なる。たぶん間違いない、旅行中の旅行っていうか。それも悪くない。いつか機会があったら伝えよう。
2016年5月28日(土)

米国滞在の最後の日、私は思いがけずソノマからナパに飛んだ。地域の子どもたちに飛行を体験させるイベントに友人の小型飛行機、本当は95歳の誰かのものらしいが、をナパ飛行場に移動させるためだった。去年は緊張しすぎていたからなのか、今日は予想外の飛行だったからなのか、離陸も着陸もその途中も気持ちがよかった。それが終わり、急いでハンガーの引越しの続きをやった。サンドラもすぐやってきた。腰ではくぴったりしたパンツに地味な柄の太いベルトをしてタンクトップの上に夏用のニットをかぶって着た。「これって頻繁に使うの?」「まだ動くの?」とやたら質問していた。「本当になんでも捨てないんだから」って私に聞こえるように言うから「そうですよね、人生短いし時間限られてますよね」と同意した。ある程度やった後「もう行かなくちゃ」と言ってイベント会場に向かった。受付に女性が二人いてパイロット数名に安全ベストを付けた補助員の数人がいた。昨日会ったコリアンエアの現役キャプテンもいた。会議室が開放されていてスターバックスコーヒーの蛇口付き箱、果物の盛り合わせ、クッキー、サンドイッチ、水が豊富にあった。そこで1、2時間、別の友人を待った。以前ネパールで会ったNPO職員と彼の家族で、渋滞に巻き込まれたので2時近くに到着した。ナパのマーケットプレイスでぶらぶらしてからピザとビールをご馳走になった。そのあと小綺麗な小さな町まで行き、そこのワイナリーでテイスティングをした。5種類を私だけが頼み2種類を楽しんだ時「悪いけどもう時間がない」とその友人が言い「では代金はよろしいですよ」という話になった。NBAのTVを見るためだった。私はナパの家に降ろしてもらい、少ししてクルマでソノマに戻り、スカイパークのクラブハウスで行なわれている映画鑑賞会に二人で参加した。酒と食べ物があり、老人が中心で30人ほどが集まっていた。ほとんどがパイロットで中には高齢の女性パイロットもいた。私は英語がわからなくて、ワインとピザで死ぬほど眠くなり、睡魔との戦いの数時間だった。ハンガーに戻り、友人と簡単に挨拶してインターネット、シャワー、洗濯、パッキングを終えた。午前0時になった。日記を書き終えた。部屋にものすごく大きな蚊が目の前を飛んでいた。
2015年5月27日(金)

今朝はまず朝食を食べにメキシコ料理屋に行き、そのあと友人は午前9時から1、2時間ほど飛行をおしえる仕事があるというので私はみっちり1時間半前庭の草刈りをした。汗びっしょりになっても乾燥した気候なのでシャワーも着替えもしないまま、今度はナパ飛行場に行き、3つあるうちの1つのハンガーの使用を廃止する荷物運びの仕事を手伝った。どちらも汗とホコリまみれになる感じで、ソノマに戻った後「上着と着替えを持ってきて」と言われてから、ナパの家に寄り、シャワーをしてからコロナビールを楽しんだ。ずいぶんゆっくりしてからナパへ名物料理を食べに行き、私もちにしてもらった。次に野外コンサートでスティービーワンダーが出るのをチケットなしで聴きに行くというので、なんなんだろうと思っていると、そこは感じのいいプール付きのテニス仲間のご自宅で、私たち3人はワインをいただき、スティービーの声も間近で楽しんだ。私はコリー種の救助犬をずっとマッサージしていた。ハンガーに送ってもらい、車の中でハグして別れた。
2016年5月26日(木)

「自分は仕事でサンフランシスコに行くよ」と数日前に言われていて「もしよかったらどこかで落っことしてあげるからブラブラしたらいいじゃない」という案に乗った。前回は一人でフェリーで行ったんだけど、降り損なって往きに2往復し、あまり時間がなかった、行けたのはアップルストアだけ。今回リストをもらっていた。それも観光スポットだけどまあそれもいいかな。最初途中の町で最初の商談があり「一緒に来れば」と言われた。建築会社に自分の会社の騒音測定器を売り込む仕事。「日本から来たジルさん」と紹介され2人に握手した。会議室に座って話を聞いている間、ものすごく眠かった。それ悪い影響でも与えてたらすまないな。次の顧客は空港会社らしく一人SFOに向かう途中「8時にフェリービルで落ち合おう」と言われてそこいらで降りた。「もしかしたら接待の夕食ないかもしれないから6時ごろメールをチェックして」と言われていたのが気になって観光も没頭できなかったけど、もともと観光には興味がない。リストの中華街、コリトタワー、ロンバードストリートをやつけたから、クリフハウスや日本人街、イタリア街なんか行ってないのも大目に見てもらえるだろうって。昼に蟹食べろって言われたって蟹の置いてない店だった。ランチセットの量が多く持ち帰って最後のフェリービルの岸壁で残りを食べた。午後8時半に時計台の下に黒いバンが来て、いつもと違う白いシャツ姿の友人が運転席で手を振った。「楽しかったですよ」と私は言った。「そっちは?」「いい感んじだったよ」まあ人の事業に口出しする気はない。それに建築会社に同席させてもらった経験は面白かった。郵便局、病院、銀行、小学校、民間会社、特にあとの2つは滅多に入れないしね。夜一人でインターネットを管理棟まで行き、真っ暗な中で3つのデバイスを起動した。そのあとシャワーで髪を洗い、自分のドライヤーで乾かしていると焦げ臭く途中で壊れた。前夫と女2人とでチャリ旅行するヘンな夢を見た。
2016年5月25日(水)

朝は早く目が覚めた。シャワー、コーヒー、オフィス付近のベンチでインターネット、そのままチャリでティンバーンと言う名のご近所ワイナリーの場所のつきとめなどをした。このスカイパーク隣接敷地内には他にもペストリー工場があり、甘い匂いが漂ってきた。若い女性の従業員たちが走って出勤するのが遠目に見えた。HAに戻りしばらくすると友人がやってきた。「朝食に行こう」という話で目当ての店に行くとしまっていた。角の店でフルーツ入りグラノーラヨーグルトとコーヒーを「英語を練習する」ということで私が2つ注文した。帰り道「今日は怠けの日かも」と言った私の言葉はくつがえった。昨日、ナパから運んで前庭のトレイラーの上にある大きな木製棚2台を中に運び込んだ。大仕事を終えた。そのあと、ナパへ。友人はカレッジの無料テニスコートで一時間半のプレーを楽しみ、その間クルマに積んでもらったチャリで私はナパ川沿いのサイクリングこーすを街中まで往復した。「小学校見たい?」「ええ、ぜひ」ということでそのあと自宅経由で小学校に行き8歳のホーリーンと学友二人の迎えをした。二人の子供をそれぞれの家へ届け、戻ってから台所でサラミサンドイッチを作ってクルマで食べながらHAに戻った。シャワーを浴び着替え、洗濯しながら「紫蘇(シソ)」という名の日本料理屋に行った。去年も行った感じのいい店だ。お通し、握り3点盛り、ハマチ握り、スモークハマチ刺身料理、枝豆、あとなにかもう1品をビールで楽しんだ。またもやす払いのチャンスを失った。HAに送ってもらうと午後9時半だった。ストレッチングをしてから寝た。
2016年5月24日(水)

結局日付が変わった時刻に夫婦と8歳の娘が米国コネチカット州から戻ってきた。「ジルを送っていくよ」と友人が部屋に入るまでもなく車の戻った。「今日までの旅行はどうだった?」「家の建て替えはどうなったの?」と矢継ぎ早に質問した。自分たちの親類の結婚式の様子も話してくれた。ソノマスカイパークのハンガーアパートメントの前に車のヘッドライトが垂れ、たった10ヶ月前の懐かしい光景が浮かび上がった。中に入り、新しいもう一台の自転車、最近つけた数カ所の赤外線探知つきの照明の案内をした。「シャワーを借りてもいい?」と聞くと「もちろん」と言って「ジルのタオル」と言って自分のと同じもう一枚のグレーのバスタルを指した。急いでソノマに戻って行った。一人になった。よく知っている場所だった。以前も一週間以上お邪魔した。そして長い1日だった。ベッドで小説を読み終わって実際に寝たのは午前2時だった。

朝、友人が6時台にもう到着していて、コーヒーを入れて仕事を始めているのが生活音でわかった。起きて挨拶しコーヒーを頂きながら「これから朝ごはんを食べに行くよ」「それと車の通りの少ない新しい道を見つけたよ」と言われてダウンタウンの以前にも行ったパン工場に付属した場所で果物入りのオートミールとコーヒーをご馳走になった。帰りに自転車屋により2台ともの不具合を直してもらいHAに戻った。日差しは時おり強く私はスウェットを脱ぎTシャツになった。シャワーを浴び、私が少し正面の草刈りを終えたところで「昼を食べに行こう」と車で出た。すでに後ろにはトレーラーをつなげてあった。すぐのところにとまっていたタコストラックで豚肉のタコスと飲み物を走りなが食べソノマについた。ソノマのスカイパークに行き、二人で大きな棚を二つトレーラーに乗せ紐とロープで固定した。その間に何人ものパイロット仲間に私を紹介してくれた。ジョンは私を覚えてくれていた。昨年のお礼を言った。ソノマに戻った。棚は正面の敷地に乗せたまま、次の数時間私は草刈りをした。いったん始めると止まらない性格なので腰が疲れてき、透明っぽい褐色のセミの幼虫のような虫が慌てている姿に会うと気が滅入ってきた。やっと「夕食に行こう」と言われまたナパに行った。サンドラの家で鶏の香味焼きとカリフラワーの蒸し焼き、白飯をご馳走になった。私のワイングラスにはほんの数センチの白ワインが注がれただけだった。食べ終わるとすぐ「ジルを送って行くよ」と言って友人が立ち、私も「おやすみ」を言った。HAでもう一人にも挨拶し一人になった。シャワーを終えてストレッチングを念入りにした。オフラインのテキストで日記を書き終わると午後11時だった。ここにインターネットはない。あるのは眠気とPCの音楽だけ。
2016年5月23日(月)

朝の3時半の目覚ましで起きた。4時30分のタクシーでスポケーン空港に向かい23ドルを払った。2本の便はどれもかんたんに乗れた。SFO空港でシャトルが昼に出てしまったのでつぎの午後2時の便まで国際線ターミナルにあるフードコートに行き11ドルの中華を4ドルの小瓶を飲んだ。隣の女性が韓国人でここでもミッションされた。ナパの友人宅の息子さんには見知らぬ日本商社風の方々から携帯をお借りしたが留守だった。パスに2時間乗り1時間ほどエバンズのナパの待合室にいた。しばらくして留守電が通じてダミアンが友達のシトーのトヨダで迎えに来てくれ、無事にお宅についた。ここいらは治安がものすごくいいので家に施錠しないそうだ。小一時間してダウンタウンまで一人で散歩した。前来た時は夜が多く今日は家々のバラの植え込みなんかをたくさん愛でた。確かに金持ちの住む場所だ。モリモトという名の小洒落た日本料理屋に入り、アパラチアンというビールの小ビンと冷たい茶そばを頼んだ。たったこれでチップ入れて24ドルもするんだから日本で食べる和食はメチャ安いと思う。午後9時前に家に戻るととうぜんまだ息子さんだけだった。そのうち自分の部屋で寝たしまったみたいだ。
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2016年5月22日(日)

せっかくの日曜、土曜もだがおつきあいいただき心より感謝している。その友人の友人というか若いカップル、技術者同士の。朝一で「私の杖は保険会社ではダメだとわかったの、もう本当に気になさらないでね、いろいろごめいわくおかけしてすみません」と謝った。「ダニで死ななかったからよしとするの」と加えた。フレンチトーストを作ってもらって食べてから、ポストフォールスというダムのある公園に行った。それからコーダレーンという町に行き、公園を少し歩いた。いったん昼食に戻り牛乳入りのトマトスープとチーズトーストを作ってくれた。彼女の父や叔母、叔父が育った家、彼女の父がその後に住み、彼女自身が育った素晴らしい大きな家、クルーザーもビンテージカーもトラックも何台もある、により、そこには2匹の犬がフロリダにいる飼い主から置いてきぼりにされていた。しかし世話は他の人がしている。そのあと、建築計画上に参考になる色の家を見に、スポケーン川に沿ったサイクリングロードをだいぶ歩いた。帰り、手作りハンバーガーやたの野菜料理をいただき、中心街のコートヤードマリオットに送ってもらった。「私の知ってる限り、最高のご夫婦よ」と私が言った。本当に世話になった。そこでいま日記を書いている。明朝は4時半にタクシーを呼んである。
2016年5月21日(土)

杖なくした。しかし、マダニの感染症で死ななかったみたいだ。だから、となぐさめる。

杖をなくしたのは、今日の一番の外出、心のこもった手作り朝食のあと、犬の散歩と家畜の世話を終え、ジェーンが食料品を買いに走っているあいだ、私が一人グッドウィルで靴なんかを買いあさっている時だった。いったん家に戻ってから「あ、杖置いてきちゃった」と告げて、店に電話してくれて現場をダブルチェックし、メモを置き、私が警察どうのこうの言ったのでケンタッキーにいる叔母に電話で助言を求め、とりあえずここまでということで、気分を入れ替え、クラシックカーショーとフィッシュタコスを求めて景勝地サンドポイントに向かった。中古屋とは正反対の方向なので悪いことをした。そのあと、ビール専門店でジェーンの母方の従兄弟ジェームスと彼女は7年ぶりに、彼と私は初対面で落ち合い、そこで飲み、いったん家に戻り、新築工事予定地を見せてもらい、動物の世話をしてから4人でディナーを食べに別のクールな店に行った。またそこでもビールを飲んだ。従兄弟は今日薬局薬剤師の就職面接を受けにレンタカーでこの町に来ていて、すぐ近くのホテルに帰って行った。運転はジェーンがお腹が大きいので、普段も飲まない人だけど、してくれた。

ああ、でももう杖の話をしないことにしよう。自己の過失なのです。
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2016年5月21日(金)

私が「金曜日に発つの」という話は広まっていて昨日のうちに数人の人々はハグをしてくれた。80歳のひとりや彼女の親しいもうひとりは「アイラブユー」を言ってくれ頬と頬を寄せた。それに比べてアッシュビル空港での私の友人のハグは事務的で何も感じさせてくれなかった。「彼女が手伝ってくれるよ」と言いクルマののなかに戻っていった。それまでの道のり、私たちは全くリラックスし午前3時半に叩き起こされたことに不平を言うものはいなかった。私はマダニの話は最初にした「私、死ぬかも」って。別に取り合ってくれなかった。そんなもんだろう。彼らは彼らの人生をいく。マダニはマダニの。私は私の。


で、アッシュビルで私がしたことは大量のウンチだった。スタンドバイの前にまず。なぜならセキュリティに入る前にマンゴジュースをひと缶飲んだしゲートに無料コーヒーがありそれを一杯飲むとトイレに直行した。そしてアトランタ空港に着き、再び大量のウンチをした。つぎにEゲートからFゲートに行き無料のラウンジに入った。そしてAゲートに戻るとA19はすぐだった。その近くで3回目のウンチをした。いまソルトレイクシティに向かって飛んでいる。自分が知らないことは世の中に溢れている。今日ATL空港で知ったいい例が、アラスカラウンジはATLではなくLAXだったということ、ラウンジで皆が好んで飲んでいるのは黒い小さいボトルに入ったシャンペンだということ、ゲートFはインターナショナルフライトのゲートで国内線はそれ以外だということ。ATLラウンジは賞を取った割にレセプションの事務がまったく遅い、そんなこと。死についてだって考えた。あのひとダニに刺されて死んだ、って言われるのはどうだろうって。3回の軟便、、、、。


人は必ず死ぬ。
あ、額にてのひらを当てるときっと平熱な違いないのに微熱に感じた。死んでいくのだろうか? それはそれとして(気のせいに違いない)人は自分の死という恐怖からどうやって逃れていくのだろう? 身近の愛する人たちが死んでいくのを目にした時に、自分の死は決して遠ざからないどころか、好ましいものとして近づく。母、恋人、飼い犬、それぞれの死は私の死の案内になっている。

、、、、、、、そんな湿っぽい話はここでおしまい。スタンバイは確実により簡単に進んでいった。気がつくともうスポケーンの空港についていてこの町で働く友人は出迎えに来てくれていた。勤務時間中の昼休みなので午後は私一人でうろついた。午後4時に待ち合わせ家に向かった。ダウンタウンとはまったく違った面持ちの緑溢れる田舎だった。様々な家畜と遊び手作り夕食をご馳走になった。明日が楽しみだ。