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2015年5月30日(土)

昨夜は同室のアメリカ人兄さん4人がビールをあびるほど飲んでから寝たらしいので、午前6時に起きた私は荷物の最終整理を部屋のドアの外でした。荷を降ろすのを人に手伝ってもらってから1階に行くとリーがいて、テニスをするときに食べるエナジーバーの自分のかんだところをちぎって渡した。「じゃあねあと5分でシャトルバスが来るよ」と私が言い、ハグをして別れた。空港に着きデルタカウンターでチェックインをした。全てのユナイテットラウンジは5月15日でプライマリティパス提携を終了していたので、次に教えてもらった中国庭園の隣にある妙に小さいラウンジに行くと、美空ひばりが流れていた。こんどのスタンバイはすぐに名前を呼ばれメインキャビンの席に座れた。周りの人々とおしゃべりをしたり仮眠しているうちに成田に到着した。息子にメールすると「昨日帰ってくるんじゃなかったの?」と書いてあり、私は日付け変更線のことを伝え忘れていたことに気づいた。千円バスで東京駅経由帰宅した。
2015年5月29日(金)

昨日「ボランティア」と背中に書いたTシャツを着ていた(ボランティアとは関係なかった)ので私が話しかけた中年男リーと今朝もおしゃべりすると「今日の仕事はあまりないみたいだからあんたと一緒に海岸を散歩できるよ」と言ったので「じゃあ午後ね」と同意した。


午前中は一人でレンタサイクルを楽しんだ。乗り心地はよくないのに4時間で20ドルかかった(レンタカーはならすとたった1日10ドルらしい)。でもまあ想いはかなった。運河の先、最初の日にみつけた図書館の近くの古着屋にもう一度寄り、宿にもどって食堂のいつもの場所にいた西海岸男リーに挨拶した。


そのあと水着を下に着て、手に水とサンダルを持ち、最初は砂浜を歩いた。砂浜が途切れ個人住宅の敷地が続き、海に面している場所は塀や低い崖があり、その下は砂地になっているようだった。今日は満潮時のようでその砂浜は最初の一部しか見えず、あとは打ち寄せる波と海水に覆われていた。そこを渡る話になり、まずリーが打ち寄せる場所より2mほど海側を歩いた。私もそうすべきかと思ったが、背が低いので塀づたいに手を使いながら歩いた。彼も苦労して進んで行き、私も距離を保ちながらも少しずつ進んだ。大波が何度も打ちよせては、その帰りに私の体を引き込もうとした。その何度目かでサングラスを失った。リーはそれを知り、泳いで探そうとした。「あぶなくて出来ない」と言ったので「それはもういいよ」と私が言った。「どうするの?」と聞くので私は「怖いから引き返すよ」と言い、もとの砂浜に戻った。


私だけが普通の陸地の道路を行き、リーは海の道を続けた。公園で落ち合い、帰りは陸を裸足で歩く散歩を楽しんだ。今回の出来事の悪い面は「スモールシングだよね」と言うので「そうだね」と私は答えた。結果オーライということ。良い意味でも悪い意味でも教訓になった。


そのあとそれぞれシャワーと服を着替えようという時間に、ノースカロライナの友人から電話があった。「明日は温泉に行くから電話が出来ないよ。なんかあったら妻のスマホにかけてね。明日のあんたのスタンドバイの席は大丈夫そうだよ」という内容だった。「あの、今日ちょっとした出来事があってメガネを無くして足を少しケガした」と私が言った。「そう、メガネを無くして足のケガをしたんだ」と彼は繰り返した。電話を切り、海岸男リーが誘ってくれたディナーに行った。帰ると「問題について教えてくれ」というメッセージが何回か届いていた。


ディナーのレストランはホテルオークラの付属で「ハウツリー」という素晴らしいハワイ固有種の樹木の周りに席をあしらっていた。今度はおぼれずに到着した。サービスのすぐれたレストランだった。最近多くの人がこう言う。「人生は短い」暗い海に目を細めながらリーはこうも言った。「自分の人生にいろいろあるけどシェイクするとまあまあいい感じになるよ。あんたのはどう?」それに返事するには英語はともかくもう少しのちょっとした思考が必要みたいだ。再び歩きを楽しみハグをして部屋に別れた。
2015年5月28日(木)

そろそろ私も帰国、その2日前です。
私のいまいる安宿は8人部屋ですが二段ベッドふたつづつの2部屋つづき。今朝デンマークのお嬢ちゃん2人がチェックアウトしたので私は晴れて1段目に移った。今夜は5人きりかと思いきや、深夜に3人が到着し満室になった。午前1時を過ぎても私のほうの部屋の電気は煌々とついている。ここは公共というよりは数の勝利なのだろう。そういうことが起こるのが安宿なのだろうか。


とはいえ数分後、塾考した結果、私はこう叫んだ。ひとりがもう2脚の椅子をバルコニーから運び終わったのを見たとたん。
「わお、あんたたちこれからここで宴会始めるつもり?」というかもうとっくに始まってたけどね。「あ、あんた寝たいの?」そして私は続けた。「わたしもはいっていい? だって寝るの無理だもん」「もちろん」
そして午前2時半まで。中心は声の大きな体格のいいカナダ人の若い男の家庭医と連れの同国でセルビア系の美人看護師。アメリカ陸海軍の二人、オーストラリア男。この男の腕を自分で切った話はなんかすごくて、医師も看護師も興味深く触っていて、絶対するんじゃないよもう、と言っていたのだと思う(あとでUSアーミー男ににこの話を確かめると、なんと私の聞き間違いだった。何かの仕事で機械で腕を切断しかけて、重症を負った結果らしい)医師はひとりだけずっと立っていたので、どうにか椅子をひとつと勧めると彼女は「彼は強い男だからいいのよ」と言った。そして「ジル、お腹すいてない?」といちおう誘ってくれてから、小腹が減ったらしく数人でマックに行った。寝よう。
2015年5月27日(水)

昨日たまたま通りがかったコミュニティセンターでチラシをもらい、ペインンティング教室が午前10時からとあったので行ってみた。通常は絵の道具を各自持参とあったが初回は5ドル料金だけで先生のものを使わせてもらい水彩画を1枚仕上げた。オリーブという名の84歳の頚椎を病んだ韓国女性が先生で、昨日80歳の誕生日だったという別の韓国女性が常連、他に日本人女性2人とトルコ女性が生徒だった。屋外のテーブルで水彩画を描くというそのことも新鮮だったが何より、建物の壁越しに30名ほどの日本人女性がフラダンスの講習を受けているのが見えて、その先生がすばらしく見惚れた、そして聞き惚れた。50歳くらいのポリネシア系の大柄な男性で、指導する声の響き、唄、楽器はなんともいえなく感動的だった。初級につづき中級とあった。それを深く耳と心に私は吸い込んだ。「これぞハワイね」と隣の誰かに言った。コーディネータの女性がアンケート用紙を配り、感謝の言葉を私は添えた。


そのあと、そこで知り合った私と同姓同名の私より20歳若い女性と、もうおひとりと一緒にイタリアンレストランに昼食を食べに行った。こちらの生活、日本政府や経済の話を終えたあと、ハワイになぜ住んでいらっしゃるのか、を私が質問した。おひとりは夫君のご在職中から退職後海外生活を決めていて、各国を調べた結果、日本風の生活様式が手に入りやすいここに決められたそうだ。10年間の間、6ヶ月満了で更新するタイプの観光ビザを使われている。もうおひとりはたまたま結婚されたお相手が米陸軍ハワイご勤務だったのでここで住まわれて4年目になられた。そういった人生をおくられている方と知り合えたのも、同姓同名の縁ともいえるし、不思議なことだ。
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夕方またブラブラ歩きをした。運河のベンチで散歩中の犬たちをなでまくり、コココープで肉と野菜を買い、部屋のIHキッチンで調理してみた。食べたら眠くなった。
2015年5月26日(火)
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↑クリーックがあってそこに沿った歩道をあるく人をみるだけでたのしい
このホステルを「高い」と言ってくれた若い女性二人にいま会った。バルセロナの薬剤師でコスタリアからここホノルルに来てインドネシアに向かおうとしている。その通り、高い。で、バルセロナだとこんな宿は10ドルだそうです(ハワイ料金だと40ドル)。というような会話を1階の自然発生的宿泊者用懇親会で楽しんだ。今日はぶらぶら歩きだけ。古着屋をみつけ2枚5ドルを6枚買った。地元のロコなんとか丼とスモークチキンを食べた。海にもつかった。そして懇親会「ジル、はいんなよ」と同室のクリスが誘ってくれた。「今夜は静かだよ」と説明していた彼だ。もっともお開きになった午後11時でもみなは二次会にでも行ったのだろう。やはり「部屋は静か」だった。7人中、一番先に寝る、これはいいことです。
2015年5月25日(月)

「ジルさん何時に起きた?」と友人が質問した。私は「4時半、目覚ましで」と答えた。「こっちは3時にトイレで、そのあとずっと考えて起きていたんだ、寝過ごさないかってね」アッシュビル空港には思ったより早く着いた。まず停車して荷物を降ろした場所で一人とハグをし、もう一人はチェックインに立ち会ってくれた。2枚の荷物のタグをシートリクエストの紙っぺらの裏に貼ってくれてからセキュリティの入り口まで一緒に歩いて行った。「ここで?」と聞くと「うん、じゃあね、僕たちはいつでも会えるよ」と言った。 


アトランタに着くと例の電車があって到着したTゲイトから出発のAゲイトはすぐだったが自分の行けるラウンジのあるFゲイトまで往復した。1時間以上のディレイがあったし、国内線の機内サービスはほとんど何もなかった。
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サンフランシスコで降りるとバイバーの着信があり友人と話した。ラウンジを探してターミナル3まで行くと10日前にサービスに該当しなくなっていたので普通の店で天ぷらをビールで食べた。ホノルル便はいくぶんゆったりした座席で全員がタダの映画を観ていた。ハワイ用の紙を記入するのにボールペンをちょうだい、もしくは貸してと乗務員に言うと「ノー」と返事して、ずいぶんしばらくしてからあの安っぽい1本を持ってきたけど遅かった、私は人に借りたから。何人かの赤ん坊が悲痛に泣き続けている。時間が自分の意思で止まってしまっていた。ホノルルに降りた。


荷物を受け取りシャトルバスに乗り予約していた安宿の前で降りた。部屋に入り自己紹介してからABCマートにサラミとビールを買いに行き部屋で食べた。1階は半屋外のようなスペースになっていて百人くらいの大宴会の雰囲気がしたので、この騒ぎは全員ここの客たちかとさっきフロントに聞くとそうだという答えがあった。それも次第になくなった。シャワーを終えると午後11時だったので部屋の電気を消して豆電球を使って寝た。
2015年5月25日(日)

胃腸をいじめている。
昼食を「美味しいですよ、もっとおかわりしたいくらいだ」と褒めるとみんなが「遠慮するな」と激しく勧めるので断りきれなかった。ベッドに倒れこんで消化を「祈る」。

ここではなんでもかんでも「祈る」ようだ。朝食後の時間つぶしに「山月桂樹」棟のながめのいい4階のバルコニーで友人の妻と二人で1時間ほど「神の話」をした。”faith"の意味を私が尋ね、彼女が丁寧に言葉を選んだ。それは大きな二つの瞳の数インチしたにある上品な唇から途切れなく引き出され「ジル、いまあなたは神を信じるチャンスよ」という意味の表現で終わった。穏やかな笑みがあった。微風があって半袖の私は揺り椅子を壁側にずらした。私はアルコール依存症の友人がAAに私がアラノンに通っていた話をして、そこにはハイヤーパワーという神の話があったこととか、ラインホルド・ニーバーの「平安の祈り」をウィキべディアで調べてマックを両手で手渡した。「アイライクイット」と言って数回うなづいた。


ダイニングからそこの場所に移るあいだ、遠回りして散策した。彼女は私のiPhoneでたくさんの写真を撮ってくれた。そのだいたいに私が写っていて何枚かには同時に友人と私が写っていた。十字架、私たち”Grounds"が最初の時期にマリーゴルドを植えた場所、も撮った。信仰に関しては、それをいっしょに植えたリンダはさらに熱心だった。彼女はみんなとハイキングには行きたくないからと、ヒザの悪い私とのドライブに付き合ってくれた。ホンダのハイブリッドの助手席に私が乗ると最初にキャンプ場に行き、自分たちのモーターホームの中を、数日前にキャッティがしたように、見せてくれた。助手席と大きく隔たっていているベージュの革張りのような運転席は、その他のもの以上に私を魅了した。そのあとホンダでビリー・グラハムのホテルやその周囲を案内してくれた。彼女の表情には歓びと悲しみをかき混ぜた表情がいつでもあった。食堂に行くと今日から入る新しいボランティアも数人いた。山から戻った彼女の夫たちとともに夕食のテーブルにいつもより長いあいだ座っていた。何人かの人と別れのハグをした。

リンダとあいさつを交わして部屋にもどる途中、ゲイルが待っていて「部屋に電話してたのよ」というので遅くなったことをわびた。彼女の部屋のドアには花のタイルが貼ってありイスラエルの言葉が書かれていてその意味を私に説明した。マリーの快復が気になって彼女の部屋に一緒に行くと、暗がりのなかから「私は病気なのよ。さよなら」と短い言葉をマリーが喋り、病が彼女を信じられないほどの老女に変えていた。そこで自分の部屋にもどった。

風呂に入り、髪をかわかしてドライヤーをしまいたかったので、荷物を仕上げてドアの近くに置くまで時間がかかった。午前7時のフライトなので4時半に起きて5時15分に出発するのだと思う。
2015年5月25日(日)

胃腸をいじめている。
昼食を「美味しいですよ、もっとおかわりしたいくらいだ」と褒めるとみんなが「遠慮するな」と激しく勧めるので断りきれなかった。ベッドに倒れこんで消化を「祈る」。

ここではなんでもかんでも「祈る」ようだ。朝食後の時間つぶしに「山月桂樹」棟のながめのいい4階のバルコニーで友人の妻と二人で1時間ほど「神の話」をした。”faith"の意味を私が尋ね、彼女が丁寧に言葉を選んだ。それは大きな二つの瞳の数インチしたにある上品な唇から途切れなく引き出され「ジル、いまあなたは神を信じるチャンスよ」という意味の表現で終わった。穏やかな笑みがあった。微風があって半袖の私は揺り椅子を壁側にずらした。私はアルコール依存症の友人がAAに私がアラノンに通っていた話をして、そこにはハイアーパワーという神の話があったこととか、ラインホルドニーバーの「平安の祈り」をおの

ダイニングからそこの場所に移るあいだ、遠回りして散策した。彼女は私のiPhoneでたくさんの写真を撮ってくれた。そのだいたいに私が写っていて何枚かには同時に友人と私が写っていた。十字架、私たち”Grounds"が最初の時期にマリーゴルドを植えた場所、も撮った。(つづく)
2015年5月6日(土)

最後のお楽しみ、別の遠くのフリーマーケットに連れて行ってもらった。午前10時半に出て午前中、いくつかの通路を二人を順に一人ずつ付き合ってもらって歩いた。面白いものがたくさんあって、最後には新しい大きな黒いスーツケースを40ドルで買った。これで詰め込みスペースにかんする問題はなくなった。帰り道にメキシコ料理店に寄り、私がおごった。私の食べ残しはドッギーボックスに入れてもらったけど、帰ったあとに夕食を私だけしっかり食べたので、その冷蔵庫の料理たちにたぶん出番はない。胃腸薬まで飲んだ。

けれど食堂に行けば誰かが必ずいておしゃべりに入れるわけで。その足で一人でキャッシーの事務所に寄り、このかんずっと毎日着ていたボランティア用の洗いたてのたたんだ赤いシャツ5枚を返した。途中で78歳のゲイルと会って連れのマリーが病気だと聞いた。ランドリーに行くとゲイルがちょうど来て一緒にアイロン掛けをして糊を取りに行った帰りに持ってきた貴著品ベルトを「あなたにあげるわ」と渡されたので胴につけて見せた。私はトリフトショップで買ったXSの濃いグリーンのスクラブズの上下を着ていて、すこしすると友人たちが二人来た。自分たち二人は「明日はライアン夫婦と一緒にラッフルスネイクを登るよ」と言った。「あんたも行きたいかい?」と聞くので「そりゃ行きたい」と答えた。帰りがけドアのところにいる相手に「でも私には無理だよね」というと「そう思うよ」と答えた。さっき「荷物は全部おさまった?」と聞かれて「まだやってない」と答えたその仕事をいまやってみた。なんなくおさまった。おさまってないのは昼食と夕食、胃腸がビックリしてる。そういえばマルガリータも量が多くて冷え冷えのフローズンだったからね。
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2015年5月21日(金)

最後の仕事の日が終わった。ヒザがまだ痛く、腕と首と耳がものすごくかゆくて足の裏が冷たい、小さな頭痛があってとても疲れている。自分であと2時間、あと1時間とカウントダウンして午後3時になり、一人でアイビーという名の建物の前の草をやっている時に「、、ジルに、、、」という小声の話し声が聞こえた。ショップに戻るとやはりあった、プレゼントの神の本と寄せ書き、ぐっと来た感じ。いつのまに書いたんだろう? 開いたのは部屋でだった。その後の時間、髪が少し濡れていてマウントローレルの西館のテラスで友人と世間話をしてから3人になって夕食とクラウズで人のおしゃべりを無理に聞いてから「疲れたから」と言って途中で退席した。本当に寒気もして早く横になりたかった。「ボランティア考課」を手書きで仕上げた。f0204425_1237452.jpg