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6月27日(水)
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国立競技場第一体育館のチャリ置場は岸体育館の方で離れていたし、5、6時間もかかる総会だということは去年の経験でわかっていたはずなのに、相変わらず空腹の極致になってしまったし、原発反対派と経営陣養護派との対立構造も知っているはずなのに、やはりそこで座っているしかなかった。そういう意味で自分は去年のような積極性は我ながら感じなかった。なので去年よりもさらに気落ちした感じで帰宅すると、TVニュースでは「事実上の国有化」と報道していた。国からの一兆円の株式引き受けは、それに伴う株式の希釈化を生じさせるという表現しか、勝俣、西澤連名のあいさつのペーパーには書かれていなかった。そして今日はあまりに多くの意見がフロアからあったので、、、、、いまだに頭の中が混乱している感じ。


ただ一つ、作家である猪瀬副知事は宣伝会議の私の講師であったこともあるが、大株主である東京都からの今日の第7、8、9号議案の定款の一部変更の提案を猪瀬さんが発言説明していたのだが、その決議において私は賛成の挙手した。自分の挙手は控え目であり、、、、それでもそこに出かけて行ったことを忘れないと思う。
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6月26日(火)

気功のクラスに出た。競演服を来て目立っていたのにお腹の調子がヘンで水を飲むふりをして途中トイレに3回も行ってしまった。「やっぱり競演服はいいわ」と終わった後に出口で先生が微笑んだ。他の外出は無く、家でpagesをやった。PCと電話の世界。アクセアの担当者も私を覚えていてくれアドバイスをもらえたし、AppleCare Protection Planのアプリ担当は初歩的質問に応えてくれた。それでもやっと5pagesで終了にした。
6月25日(月)

この日やったことはたった二つ。投稿論文の最終稿を送付したことと、東京都主催のエイズ・ボランティア講習会に参加したことです。
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帰りは深夜になりました。f0204425_9394716.jpg
6月23日(土)−25日(月)
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神奈川で犬と過ごした。キャリーケースでPCを持参していた。優先度から言ってまず学会誌投稿の最終原稿の準備をした(ほんの10分)。遺作集の納品された英文校正をチェックした(ほんの30分)。他の日本語のキャプションを眺めた(しばし)。それが日曜の午後。午前中は湯河原の泉方面から岩戸山の麓に昇り熱海駅まで歩いて降りた(3時間)。土曜に情報センターに自分のPCを持参した時、受付にいた人はインターネット接続の方法を知らなかったのでそれが出来なかったのだが、日曜日の午後にいた人は知っていた。ネットワーク名にパスワードを入れ、それがやっと(将来的にも)可能になった。月曜日はゆっくり朝食を取ってからいつもの通勤時間帯の女性専用車で東京に向った。
6月23日(土)
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昼間の時間、西新宿の歩道橋を渡るとスグにある常円寺にいた。お世話になったある女性からのうれしい招待があったのです。チベット、ネパール、インド、ブータンの留学生たちが中心になって盛りだくさんの唄と踊りを披露するチャリティーイベント。私は受付で懐中の犬を示し「これがいるのですが、、」と言った。「もちろんいいですよ」とそこにいた二人が笑った。そして会場内の近くの席には白いチワワもいた。すばらしい音楽と踊り。美味しい昼食も含まれている。
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夕方になりその足で急行小田原行きに乗った。
6月22日(金)

小旅行の予定がずれたので恵比寿にある東京都写真美術館へ行った。友の会会員なので1階で無料券をもらい3階のコレクション展示「光の造形」を観た。しかし私はまたポカをした。「14時から」のフロアレクチャーを目指していたら、それは「4時から」であった。最近寝不足なので最後の展示を眠りながら見て、ロビーで数分仮眠した。そのあと地階の図書室に行き、図録のデザインをザッと参照したあと、端末で2冊の資料を閉架書庫から出してもらった。一冊はパティスミスの作品集で、もう一冊はGサカマキの本。後者は「Fight AIDS」というタイトルで私はその研修中なのでアマゾンの中古を家に戻ってから買った。パティの本は少し高い。いつかきっと。
6月21日(木)

この出来かけの環6の舗道を走るのは2度目だ。東中野のポレポレに行ったのは深夜。今日の復路もやはり深夜になった。いつものこの目的地へは明治通りだった。だと、渋谷、原宿、新宿の人通りを挟んでしまう。それもいいけれど。気楽に走るには環6かなあ。だって舗道なんだもの。新式ですね。日式というか。でも帰りの多くは車道を走ってましたね、やはりスピード出すには。ということで。

今日の目的地は東中野のさらに先、早稲田通りの一角でした。HIV/AIDSの人たちへのサポートボランティア、バディ班のミーティングだった。私は今回そこではスポット的な参加形態でした。しかし意義は大きかった。その会議への出席条件であるケースを持っていること、そのため、つまりそのミーティングへの参加資格を得るために自分はケースを持つという思考もアリかと思いました。それほどその会議の内容は私にクリックしました。ああ、自分の犬の幸福はやはりそれには勝ちます。ですので、こんないい方は不謹慎(自分の犬の不幸について語るなんて、、、、)ですが、私自身は未来型でこのボランティア業界に開かれていると思います。
6月20日(水)

家を午後0310に出て目的地には0440に着いた。すなわち1時間半。「昨日の台風は大丈夫でしたか?」と聞かれたが、昨夜荒天の中を徒歩で歩いた経験は話さなかった。「いえいえ今日の強風の中、チャリで大きな橋を渡るほうが怖かったです」とか答えたわけです。終わったあと「橋を渡るときは風に注意してくださいね」と言われてしまった。


大きな咀嚼しにくい食物の塊(以前お付き合いしていた彼=アルコール依存症で2年前に亡くなった)をどうしたらいいのか、、、それを目の前にして困っている。結局(カウンセリングとかしても)何もしないのかも知れないし。何かが変わるのかも知れないし。グリーフセラピーに準じたものを私は受け始めている。


景色は自分の味方であったり敵であったりする。ここ最近は前者であることがほとんどだ。
晴海通り、勝鬨橋以南が私は好きだ。f0204425_21531210.jpg↓三田付近、手ぶれ防止機能なしの安カメラです
6月20日(水)

今日3人目だったAさんのとき私は「あっそうだCさんの所へ行こう」と古い公園の方に曲がった。日本に住んでおられ、中味がほとんど日本人のCさんはベンチにいらしたので私はAさんを紹介した。「あなたは一人で入所しているの? それとも家族と一緒?」と聞かれた。「一人ですよ。4人部屋ですけど。一人は淋しいわ」するとCさんは「でしたら私がいますよ」と言って笑った両眼を均等な方法で彼女の心に注いだ。立ち去る少し前、私は彼女の車椅子を彼のすぐ前に移動させ彼はゆっくりと素早く彼女の手の甲にキスをした。そしてもう一度、音のしない鈴のように笑った。昼食時間が迫っていたので私は別れを急いで用意した。「アディオス!」と言うと同じ言葉が返って来た。


このボランティアは不思議なバランスシートに乗っている。イヤな部分といい部分。義務的で退屈な部分とまったく予期せぬ感動。歳を取っていくことが何なのかがわかる。自動的に。そのことを「90歳を超えていらっしゃるかたと一緒にいると自分が力強くなる感じ」と今日、その元神父の方が説明したように私は理解した。「女の人は若くなる。けれど男は縮む」とても奇妙な表現。男だって充分若くなる、だから、、、どちらかというと私はこう思う、女も男も賢くなるし美しくなるのだと。
「あら鳥が来たわ」と彼女が言い、私たちはそろってそれを見ていた。
6月19日(火)

今度は別の知り合いの所に行ったのですが。図録ダミーをひっか抱えて。そこでも幾つかの有用なアドバイスを得ました。実は今朝ジムできつめのボディーヒーリングを行った結果だと思うのですが、腰を痛めてしまいました。腰痛、おまけに下痢、そして台風4号。しかしだからといってそんなんじゃ人は死なない、みたいな感じで六本木往復してきました。

アラスカのマッキンレー山で日本人4人が亡くなりました。植村直己の没した山です。私はその頃その登山家に大変傾倒していました。

今の自分はしかしこんな風です。午前中そのスタジオストレッチ。午後はバディ活動報告書作りとコピー屋との電話やり取り。夜はフォトスタジオ。そこのオーナーさんから「どうして○○さんの展覧会をしたいと思うのですか?」と聞かれ私は本当にギリギリ短くこう言っただけでした、「その人は私が一番近い距離にいた人だったのですが、彼は路上で倒れた孤独死でした。私は彼を助けてあげられなかったことを後悔して、そのためにこの展覧会をします」
話し終わるとその方は、いつもよりひと回りもふた回りも哀しそうな表情をして私を見ました。ひとは他人の人生に責任を持つことなんて出来ない、と知っていてもどうしてもそう考えてしまう。私は自分が何て説明下手なんだ、と心の中で落胆していました。
「つまり、そうすれば彼は天国で歓ぶと思って」私は自分の左手で天を指差しながら次に軽く笑ったわけです。そんなオチでもないとね。(オチでもないか、、、)