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8月31日(水)

松山空港と羽田空港間の運行があることは大変便利だ。クロネコ便のカウンターがあってそこと、中華電信のカウンターにも同じく無料のPCがある。そこで私はさっき書いて気になっていた記事の修正なども出来たのでよかった。非常口の席が取れた。それにしてもまったく6日間よく食べたものだ。帰国したらダイエットですね。
(本当のおしまい)
8月31日(水)

たぶんこれが最後の記事かと思う。このホステルのPCのキーボードにもかなり馴れたのだが、そろそろ出発かと思う。今が3時半近く、6時台のフライトで卑近な市内のエアポートなのだ。今回の旅行で印象に残ったのは、非常にわずかだが現地の人々と言葉を交わしたことだろう。


「日本人か。なぜ一人? 友達いないか?」とどこの街角だったか日本語で話しかけてくれたオッサン。
ダウン症の娘さん親子の友人であるオバサンたち数人が、故宮博物院付属庭園でコイの餌用の食パンを私にくれて、またカットしたパイナップルも「いいよ、いいよ」と言って勧めてくれたり、突然の降雨に後で行きなさいと引き止めてくれたこと。やはり日本語。最後に行った足マッサージのオッサンの日本の地震と津波を心配した言葉など(原発に関しては海洋汚染を危惧して少し迷惑そうであった)、やはりそれも日本語だった。礼儀正しく、落ち着いた人々っであった。その世代は、、、50から70代だろう※。


若い人はわからない。コリアは沢山お客さんとしていたのだが、コリアの方はどちらかというと地味でおとなしい。まあ人にも拠るが。そんな中で2人の同室者とはハグを交わし、連絡を約束した。そろそろ私も二人と同じ機上の人となるようだ。仕事はまったくはかどらない。
(※ご存知のように、50代は観光業などで話される方々、70代以上はかつて日本の植民地であった時代に日本の教育を強制された結果でしょう)
(おわり)
8月31日(水)

帰国日になったが、それ以前から私の心は家族や愛犬のもとに向かっていた。のんびりも良いが、片手間の旅行であることに変わりはなかった。つまり頭の半分は家に残してきた老犬や9月中に仕上げる必要のあるある課題、もうひとつの個人的なもの、それらよりはずっとましだがFPからの宿題、店子さんの問題などがあった。9月中のものともうひとつは旅に持参したので「ほっぽらかし」という風でもなく、その作業に細々とした1日30分程度は割く予定だった。実際はなかなかそうも行かない。


それに引き換え毎朝積極的に行って完遂したのが、公園での気功や太極拳であった。今朝は珍しく太極拳に混ざり、初心者を集めた歩き方の基礎指導も受け、それより何よりあの懐かしい二十四式太極拳の曲を耳にして後半それが出来たこと、だった。気功の方も気功の方で、最後の日らしくとても長い練習をしているグループに混ざった。とんでもない量の汗をかき、私の朝が遅い終わりを迎えた。


この中山記念堂公園のロケーションはもう迷うことなく誰にでも教えられる。
それに今日は筋肉坊主にお断りの一言を声がけして撮影を何ショットかさせてもらえた。ご褒美もあった。なんとその後「うほっ」「がおあ」と気合の声つきの鍛練の収縮も見せてくれたのだ。
(つづく)
8月30日(火)

その時、初めてそこに私以外の日本人がいることが分かった。某市教育委員会の非常勤相談員でスピーチセラピストをされている若い女性で、とても感じがいい方だった。スピーチセラピーという呼称も耳慣れないし、大変私の興味のある分野だったので私たち二人は日本語の世界に入って行った。私の理解の範囲では、吃音の障害を中心に治療をされていらっしゃる、という意味で、対象は初等教育の児童生徒。普通教育の中で問題を解決されるという。主な病名は自閉症、アスペルガーなどの生得的な発達障害、LDなど。なぜ、脳の発達障害に吃音障害が起こるか、という素人っぽい、しかし今まで不思議だった質問をした。すると、脳に酸素供給が十分行われないなどの影響の結果、また大脳の萎縮にも関係があるらしい。説明も穏やかで聡明な中に温かみがあった。彼女のようなすばらしい方が日本に働いていることに感銘した。私も自分が老人ホームで時々ボランティアをしている話をしたのだ。



そういえば、私は何度か行く台北の公園でも必ず目が行くのが、車椅子の老人とそのヘルパーのような若い女性たち、あるいは老老介護のような仲の良いご夫婦の姿だ。認知を患っておられる表情のお父さんの手を引く年老いたお母さん、あらゆるゆっくりした歩行の人々、車椅子の人々に私は心が引かれて何度も立ち止まったり「お元気で」という言葉を心の中で1度だけつぶやく。
(つづく)
8月30日(火)

思い立って故宮博物院に向かった。行こうかどうしうしようか迷っていたのだが、そうしてよかった。黄公望の水墨画を中心に観た。つまり3階の約半分のスペースのみに時間をたっぷり費やした。他はいつものレストランでポットのお茶と軽食を頼んで1時間ほどゆっくりした。母と最後に過ごした海外旅行を思い出そうとした。それは簡単過ぎて寂しい気持だけが残った。車椅子の貸し出しコーナーや2階のエントランスまでタクシーで昇ってもらった記憶や、帰りのタクシー待ちの行列の場所が近くにあった。何枚かの記念写真のうちのには広いテラスで母を撮影したものもあった。そこで自分も写真を写した。



帰りには、これも迷ったのだが、一昨日のリベンジで水着を持参して再び新北投温泉の公衆露天風呂に向かった。新北投線の車内に風呂桶をイメージしたテーブルがあり観光の映像が流れている。それを見ていた台湾の若い女性に話しかけ、一緒に風呂に行った。まるで私の最近知り合った女友達と姿形が似ていて、不思議な感じがした。色々な温度の浴槽が並び、私たちは仲良く順に入ったり出たりした。最初彼女の友人のピーターという人が紹介され、最後に「私はこれで。ピーターと一緒に帰るので」と言われあっけなく別れた。


夜9時から12時まで宿のリビングで、三光三越の地下で買った寿司と刺身を並べ、友人や他の韓国人と会食した。
(つづく)
8月30日(火)
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同じ部屋の2人と知り合った。二人ともが若い韓国女性で一人旅だ。一人は英語教師でこれからタイ、インド、ネパールあるいは聞き漏らしたもっと別の国、に回る。しかし黒色の大きくそしてヒドク重いスーツケースを持っていて、手伝いの私たちは階段しか無いこのホステルの3階から運び降ろすのにさえ苦労した。早朝に出かけた。残った一人は看護師で、それも精神科病棟勤務だった。ソウルから2時間の郊外の大きな病院なのだが知名度は無いと語った。彼女は統合失調症の病棟付きで、スタッフは全員がストロングな態度に出る、と言う。理由は患者が危険だから。妄想に支配されている。アルコホリック病棟は隣で、患者の症状は似ている部分もある。しかし見た目は普通なのがアルコホリックの特徴である、と彼女は言った。私はボーイフレンドはその病気で死んだ話をしたら悔やみの言葉をかけてくれ、非常に多くのアルコホリック患者は入退院を繰り返し、最後はそのうちに死ぬのだと言った。その仕事を続けるのかと聞くと、たぶんそうする、もし結婚したとしても看護師をする、と言った。精神病棟付きの話かどうかまでは詳しく質問しなかった。



彼女は、ネットのブログを丹念にチェックしては御当地の美味しいものをいただくという旅のスタイルに徹していた。何にもあまり関心のない自分とは大きな違いだ。まあ言ってみれば現地の人々の生活には興味はあるのですが。旅行者同士とは出来ても、その国の人々とはなかなか。
8月29日(月)

何か台風は速度が遅いせいか決定的な仕事は控えてくれている。今のうちに、と考え有名な竜山寺に行って見た。セレモニーがあり、僧侶が読経をマイクを片手に行っている。在家信者が10名ほど近辺で祈り、その他非常に多くの信者はそれぞれ入れ代わり立ち代り各自のやり方をする。JALの契約した現地日本語ガイドがする説明に紛れて話を聞く。そこではおみくじを二片の木片を使って行う方法も聞いた。


少しして大きな荷物を背に背負った、顎の小さなホームレスの男がそれを行っているのが目に入った。彼は最初、非常にゆっくり、1段を2歩ずつ狭い階段を昇って本堂に赴いたので、他の人々は仕方なく順を待った。その後、そこにある水道で丁寧に両腕を洗った。


それらの木片を床に投げるチャンスは3回までと聞いていた。その男は、合掌を終えた後、1度目の木片投げを終え、2度目をしてから、すばやく2度目のおまけを行い、その後で3度目をした。そこで私は去った。しかしどちらにしても彼が吉を引いたかどうかすら分からない。3箇所の神様で行うことが可能で、3箇所ともに吉が出なければ救いようが無い、という意味らしい。さて神は彼を救う気があるのだろうか? と私は少し気をやんだ。

私はその後、15年ぶりの台北駅を観た。後は3駅分をずっと歩いて宿まで帰ったのだ。台北駅周辺の再開発はまだ終わっていなかったが、駅舎の新築は見事だった。
(つづく)
8月29日(月)

考えてみれば私の当初の予定は、朝の公園で人々と気功を行うとこと、マッサージだけだったのだから、目的は果たしつつある。気功は今朝で3日目だ。台風の余波はあるものの深刻な状況というわけでもない。駅を2,3乗り継いで、中山記念堂で降りる。5番出口からすでに公園の一角だ。運動をしている場所はここから少し離れているのだが、大広場を横切るか、回廊のようになった屋根のある通路が途中からあるルートを通っても行ける。最初の場所が池になっていて、上半身裸の若い痩せた筋骨坊主が鍛えている。その姿を見るのも3度目だ。黄色の僧侶のパンツのみ。なんかすごい坊主で絵になりそうなのだが、スナップ1枚しか撮っていない。何か近寄りがたいのだ。昨日はここで瞑想する姐さんもいた。後は多くのオバちゃん。オッサンたちは一人孤独に功法を行っている、か、ひたすら歩いている。オバちゃんも一人の人、集団とさまざまだ。私は集団の、できれば簡単な功法をやっているグループを探すのだが。今日は二つの場所に参加した。二つ目はダンスを連想させる気功だった。こういうのが割かし多く、難しい。それでも私は何とか2曲踊った。拍手をしておしまい。


8時からの宿の無料朝食に30分遅れで混ざることになった。
(つづく)
8月27日(日)

午後宿に着いた頃に頭痛があり、そのまま午後7時近くまでベッドでうただ寝をした。その後、ひとり夕食を食べに街に出た。食堂でそれを済ませ、少し腹痛を抱えつつ遠回りしながら宿の方角に適当に路地を歩いた。遊歩道のようなつくりの場所に、オブジェのような遊具が配置されていて家族連れや恋人たちが涼んでいる。歩行具を両手につかんだ男が、自分が涼んでいた場所から立ち上がり、私を何度か振り返りながら通り過ぎて行った。カメラを使っていたからなのかも知れない、と思ってそれを手に持つことをやめた。その男の、歩行具を押して片足を引きずりながら歩く姿は、知り合いの老人ホームの入居者さんを思い出させた。私は振り返るたびに何度か頭を下げた。まるでその人と会っているような気持ちが直感的にしたのだ。


なかなか腹痛が治まらない。人気の無い通りで時々、げっぷとおならをしながら痛みがすこしずつ減って行くのを感じた。


人を思い出すということは脳の不思議な回路を経る挙動なのだろう。私があまりにも多くの時間を、そのこと(特定の人の記憶の反芻)に費やしていることは、何度も人に喋り、文字に書き、同時にまたそのこと自体を考えているのですが、それは別としても、他にも色々な人を思い出すことがある。たとえばもう何十年前の職場の同僚を、たとえば違う国の人の姿の中にふと思い出すこともある。ごく最近知り合った友人もまた同様だ。昨日の夢の中になんと彼女は現れた。私はこう言った「台北で会えるなんて! 知ってたら教えてくれたいればいよかったのに!」それはどちらかというと嬉しい再開だった。
(つづく)
8月28日(日)

やはり台風は接近しているようだ。雨風が突然顕れる例の天候なのだが、今朝などは青空もあった。早朝いつもの記念公園で地元の人たちと気功をしてから、こんな天気なので今のうちに陽明山のほうに行ってみることにした。以前、15年くらい前に行った場所だったがまるで印象が違っていた。帰りに昼間の士林夜市を少し散策した。5年前にそこで母が木製のつっかけのようなサンダルを買った。足の指の何本かが肥大して痛くて、一番履き慣れた靴ですら歩けなかったのだ。サンダルならいいかなということになり、それを1足買っただけで、15分くらいでその外出は中止になった。履き替えたところで痛さに変わりは無かったのだ。その店のビルを探したが、見つからなかった。再開発の網がかかっているのかもしれないと諦めた。逝ってしまった母の代わりに足のマッサージを受け、今日は終わりにした。
(つづく)