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6月30日(木)
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どうしてこんなにも時間がかったのか不思議だが
やっと故人の撮った作品のうち現存するものが
2つの写真用のアルバムに収まった


ひとつはU.S.製のPandiaという商品で台紙も今日追加購入した
それにはタイの作品群
もうひとつはナカバヤシ製でA4ヨコ
欧州の橋のシリーズを収めた


僧院の作品群はまだ文房具用のクリアファイルにあるのだが


次の作業
『作品リスト』に移ろう
たぶん明後日以降


夕立があがり
陽が射してきている


最近は本当に毎日毎分毎秒
ぼうっとしながら
故人のことを考えたり感じたりしている
それがとても長い
6月30日(木)

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たった1時間の作業時間のようだったが、私を含むグループ全体がどこかの図書館のバックヤードのような部屋に案内された。とても広い。キャスター付きの整理用書架には未整理資料が山積みだ。一人当たり2台が当てがわれる。私はなぜかやる気満々だった。何の基準かも忘れたが黙々と作業をした。すると午後5時のチャイムが鳴り、グループの人たちは「今日はもう帰る。また明日来ます」と言う。私は「今日は残業してでも片付けたいので」と告げる。そのうちに一般の利用客が入室してしまう。全体の作業手順は一体どうなっているのだろう。大体作業マニュアルも無く、誰がどこまでどう作業したかも不明になってしまうような危惧を感じた。自分の作業自体もだんだんワケがわからなくなって来た。


大きなポストイットが欲しかったが、絆創膏のような分厚く小さめなものしか手に入らなかった。それに「日付」「NDC未分類」「落丁本」「作業中」「作業者氏名」をマーカーで記入して貼った。そのあとのストーリーは覚えていない。
6月29日(水)

さきおととい被災地で。
「倉庫の整理をちょっと手伝って下さい」と言われて、テントの中に入った。とたん雨で濡れた長靴が広く空いたすのこの隙間にスポッとはまり私は不覚にも転倒した。「大丈夫ですか?」と皆が聞き「痛、あ、でも大丈夫です」と私は答えた。家に帰ってから湿布をしたが、時たま怪しい痛みと脚全体のダルさがあった。


今日整形外科にかかり「経皮鎮痛消炎剤」湿布を2種類と鎮痛消炎および胃薬の内服薬をもらった。
「たぶんこれで治るでしょう」院長先生が笑顔で説明した。


左足に湿布を2枚貼った私は、今日の午後おもむろポートフォリオ作りに着手した。するとスペア台紙の穴の形が本体と異なっていることがわかった。○ックカメラさんにまた行かねばというオチです。でもメッチャ暑いんですよね、今年の6月。
6月29日(水)
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ここのとこ数回お付き合いしている95歳の女性を私は散歩に誘った。「行きたいです」と彼女は何日も水すら飲んでいないような小声で言った。そこで私は職員1人を呼び、頬を下にしてくの字型にベッドに横になっている彼女の小さな肢体を車椅子に載せてもらった。そのあと分厚い毛糸の膝掛けを彼女の消え入るような両股に屋根のようにしっかり載せた。


私はもう段々と手慣れて来ていたので、ホームと児童公園のあいだのとても短い傾斜以外は特段の注意を要しなかった。けれど日向の猛暑には一目置いた。彼女は大きな日よけ帽を被らされていた。一度だけ自分でそれを押さえた。後、私たちは冗談ともつかない日常や天候や彼女の容姿についてお喋りをしていた。


「いいですね、美人は一生美人で」と私が言うと「そんなこと今まで言われたこともない」と笑った。



児童公園には2組の親子がいて、ふたりとも3歳の仲良しさんが小さな玩具のバケツに水を張り、水鉄砲をしていた。私は女の子の方に身体のどこともなく水を掛けてもらった。生暖かな液体がやっとのことでわずかに左手を濡らした。95歳の彼女も左手を出してかけてもらうように私は話をした。そのときは男の子の方が「する番」だった。


なかなか水鉄砲が用を奏しないので私は再度督促をした。ほんの少しの水が彼女のひび割れた和紙製の掌に腰を掛けた。けれどじきに私たちはその場を去ったので、水分は中途半端な役回りに終わってしまった。木戸のような黒い軽目の扉を通過して私たちはホームの建物の中に戻って行った。たぶん全行程4分の1時間ほどの散歩だった。


最後にHさんに挨拶すると「なによあんたは」と怒っていらした。いつものことだ、と私は考えていた。いつもどころか週一というとびとびの訪問に違いないのに。
6月28日(火)

9千人の参加者のうちの1人が私だった。すごい行列だったので(チャリを押しながら混ざっていた)入場行進中だった最初の10分は聞けなかった。案内されたのはモニター画面の会場だったけどそこはそこで広かった。そのうち私は本会場に移動した。前列は結構席も空いていた。臨場感はベツモンだった。


どちらの意見も聞いた。それも朝10時から午後4時までの計6時間だったから。
途中ホテル内スモールショップでパンを買って喫茶コーナーで食べた。
しかし驚くことに9千人の誰一人何も食べていない! せいぜいそこで紙コップの茶をすする姿だけ。つまり昼食休憩の動議も出たが、それは却下されたのだ。


私なんかがなぜ、それも生まれて初めて株主総会などに行ったかという理由は、数週間前に送られて来た開催通知に「株主402名からのご提案ー第3号議案/定款一部変更ー原子力発電からの撤退」が記載されていたのに興味を持ったからだ。

私はその提案賛成の挙手をした。

議長は2度数え直しはしたものの(私はなので2度挙手をした)、あっさり否決した。


定款に「第7章 原子力発電からの撤退」を新設し、
第41条 我が社は、古い原子力発電所から順に停止・廃炉とする。
第42条 我が社は、原子力発電所の新設・増設は行わない。
と、こんな提案だったのですが。


予め定められたシナリオに乗っ取って進められている、という感想を私は持った。
勝俣議長は、議案採決の理由に2名の大株主言及発言とかするしね。

破れはしましたが、、、しかし今回は、、、さまざまな意見を聞けただけでも善しとしよう。壇上の意見、ではなくね。その経験には取締役会支持者たちのフロアからのヤジを否が応でも聞いたり、一方では脱原発発言者のヤジその他を見聞きするという試練はあるものの。ヤジとかは、、、自分的にはキモチワルイものです(苦手)。


ところでとなりの芝公園ではオール会場取材許可されなかったマスコミ連のぶら下がりやグリンピースのパフォーマンスが人目を惹いていた。f0204425_22333157.jpg
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その中には「株主たち! おまえらも責任を取れ!」というスピーカーもいらっしゃいましたがある意味そのとおりかもしれません(株主責任)。


今日もろくな写真はありません。会場内撮影禁止でしたから(私のカメラはクロークに預けられ、録音していた他の人は厳重注意されていました)。
6月25日(土)

新宿住友ビルに長距離バスターミナルがあり、そこから仙台に走った。仙台から石巻までのルートは色々あり、直前まで未定だったが最近列車でも行けるようになったと知りスイカを使って改札をくぐった。小牛田という駅で石巻線に乗り換え、石巻の一つ手前の曽波神で降りた。f0204425_21375089.jpg
犬の吠え声や雨の中カッパ姿で散歩をしている人影でその場所がわかった。初日2時間ほど私もその仕事に参加した。


夜は立派な社員保養用ロッジを使わせてもらった。f0204425_2113364.jpg



6月26日(日)

石巻動物救護センターの写真は手元に一枚もない。犬等の「撮影禁止」の掲示があったからだ。私が数枚の写真をそこで撮ったとしたらおそらくイヌネコの姿だと思ったからだ。だから、、。


6月27日(月)

3日間、私は東日本大震災で被災した犬たちの世話をし続け、最後の数時間は被災ネコ舎の清掃だった。首輪についたリードと逃亡防止のために首に直接巻いたザイルのような綱を2本を握り、敷地内の限られた草地を歩かせた。犬同士の距離を注意深く保つ。犬の毛が降り続く小雨で急速に濡れはじめる。カッパ姿で常に降雨で。20分間に10回もオシッコを振りまくオスもいた。ペットボトルの水と消臭剤を振り蒔く。草が怒った表情をする。犬たちは虚ろに歩き回りリードを引く。ポメやダックスが多い。芝や雑種も目立った。親子犬、同居犬もいる。犬たちを歩かせては太く柔らかめのウンチを回収する。そうして3日間が過ぎた。写真は1枚もない。


帰りのバスで話し掛けて来たボランティアは21歳の女性で宗教ボランティアだった。信者の家の清掃をしたらしい。信者の家が他の家より見違えるようにキレイになったのは信仰のお陰だ、と宣教するらしい。すごいな。彼女の写真もない。


深夜東京に帰宅した。
自分の犬が一番だ、と1日目から感じていた。そのことは現地でも獣医の女性に話した。すると共感してもらえた。
家に帰るとたちまちそれが実感出来たのだ。



レディ・ガガが被災地支援に来日する、と深夜のニュースで聞いた。
6月24日(金)
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今日の午後は写真美術館で「ジョセフ・クーデルカ/プラハ1968」展の学芸員によるフロアレクチャーを受けた。夜、比較的古い友人たち2人と銀座で会った。同じ店で5時間ほど過ごし山手線と深夜バスで帰宅した。


ベトベトの身体のままヘアダイをして染まる間に明朝から被災地へ向う荷物を準備した。30分後にシャワーを浴びると午前1時を回ってしまった。それでも4時間は眠れる。それと高速バスの中。


ふと知人のサイトを開けると「薬物依存」の話題が出ていた。思わずウィキペディアで「向精神薬」や「睡眠導入剤」の副作用とかをググってしまった。もちろん1年前に亡くなった友人さんの死因とかが頭をよぎったのだ。f0204425_1184889.jpg


ごめん、人の勝手でしたね、生き方(=しにかた)は人それぞれ。
→写真は「遠い日々」に大変お世話になった故人アパートのゴミ箱。いっぱい酒の空ビンとか私が捨てていた。撮影したのは「近い日々」
6月23日(木)

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早昼を食べて バスで五反田に行った。メットライフアリコの保険商品の契約だった(最近の生保は痩せ過ぎやメタボの人は加入出来ないらしい! 喫煙家にもモチ厳しいが)。意外に時間がかかりややふらふらになって渋谷に着くと当に午後4時を回ってしまった。その時には量販店にて地デジの部材が取り寄せしてあると信じ切っていた。


それは思いっきり勘違いだったようだ。それでもご案内内容への不信感がずっしりと残る。とりあえずは2階の写真売り場にて革製のポートフォリオ用ファイルのみ購入して帰った。でもなんかんなあ。するとそのあとで(数日前の量販店から私あての)ケータイへの着信履歴があるのがわかった。帰宅してからしつこく電話してみる。


私はモンスター顧客ぢゃない、モンスターなんかぢゃないって心の中で繰り返しながら。


夜なぜか大急ぎで犬の毛をサマーカットにした。
6月22日(水)

午後に用事があった。いつもチャリで向うその場所に同伴する犬が今日はいなかった。芝を通らず麻布十番から溜池、国会議事堂を通って行った。帰りもそのルート。


いったんシャワーを浴びて徒歩で月一のあるグループの飲み会に参加した。そこのお一人は私に会うために常に「渡すもの」を持参されていらしたと聞く。今日は私の姿を見てからわざわざ家まで取りに戻られた。神戸のチョコレートだった。しばらくして3人が帰り、1人、そしてもう1人が帰り残りは私たち3人になった。次回の店の下見に行きお1人の方にご馳走になってしまった。こんなに遅い帰宅なのに犬は母の使っていた1階の和室で私を待っていた。
6月22日(水)

暑い日だった。お一人の方が腕の疼痛を訴えてお部屋にいらしたのでお見舞いをした。理学療法士が電気と保温、マッサージの処置を行っている間のしばらくの時間おしゃべりをした。そのあと別の方と建物の外に出て野菜の苗への水遣りにお付き合いした。別のもうお一人のことも気になったが、時間が押していたので今回は失礼した。