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4月22日(金)
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たぶん明日の私たち5人グループの夜食用に料理を作りパッケージした。
豚肉の酢醤油煮、鯵のマリネ、ピクルス、酢豚、ベビーホタテ、アサリのワイン煮、うずら玉子の醤油漬け、以上。スグ調子に乗って沢山の種類を作ってしまう、、、。


まずは自分たちが健康でなければ役立てない。心も身体も、です。
現地の方々のお話しを聞けたらと思う。前回、栃木県北部で南相馬の方々と少しお話し出来たように。


そのとき、少し齟齬があった。
「みなさんは一番元気な方々なんですか?」と私が聞いたのは、そのロビーにいらしたのは、そこの避難場所にいらっしゃる高齢者のたぶん「ご家族の方々」だったので、寝たきりや認知症のご本人と比較してそう言ったのだ。
しかし、皆さんが無言で答えられた。
私の説明が不足していて違和感が漂ってしまった。疲れた避難生活を送られていらっしゃる方に単に「お元気ですね」と言ったも同然だった。本来はそうしたかったのではなかったのに。


これからは言葉足らずの表現を避けよう。礼を欠いてしまった。


宮城の方々にお会いしたい。
出来る事は少ないが、お会いして一時を過ごすだけだけれど。
通りすがりなのですが、私はきっと明日から1週間そこで泥をかき出したり何かそういった仕事をするのだ。
しばらく更新はお休みします。
4月22日(金)

今まで夜行で出かける旅行はすべて独りであった。今回は200人の団体。しかも目的地は被災地。心はたぶん一つで「困っている人の役に立ちたい」。大雨だろうがカンケイない。この間の早稲田の説明会で会った人たちばかりが今日の夜9時10分に新宿中央公園前の通りに集まる。荷物が一番大きいのは私だろうな。自力で運べないので息子を廉価で雇った。


それでも2ℓの水とトイレットペーバー2巻きと救急セットとサトウのご飯4個、弁当2食は、クルマの方にお願いしたので減ったはずなのだ。とても気配りのある方だ。


明日の夕食用に、酢を使った常温で日持ちのする料理を2,3品作って持参したいな、と思ってはいます。でもできるかどうか。茹で玉子の醤油漬け、鯵のマリネ、ザワークラウト、酢豚(酢豚はちょっと面倒かな)。


これからヨガに行って、それから最後の買物をします。
4月21日(木)
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最終の情報が手に入った。
ベースキャンプ(BC)は専修大学グランドで周囲は被災していないらしい。明日夜9時頃集合し、バスで休憩とりつつ明後日の午前8時に到着するらしい。最初の日はオリエンテーションと仕事の割り振り、テント張り、その後泥かきなのだろうか。翌朝からは朝6時起床。朝食(自炊)、7時から8時までのミーティング後、8時から夜7時までの仕事(昼は行動食)。でも往復2時間近くかかる遠い現場もあるらしい。以後夕食(自炊)。ただし一週間入浴なし、一週間酒なし、一週間雑談あり。TVクルーが同行し取材を受けるらしい。BC周辺は騒音があるらしい(夜も?)。夜はかなり寒いので段ボールをもらって敷くといいらしい。川から汲み上げた水で防水ヤッケを着たまま水をかけてもらって泥を落とすらしい(最後のはちょっと寒そうに聞こえますな)。


まあ、寒いのは寒い。
でも津波で被災された方々と比較したらずっと暖かい。


それにしても都庁のGWボランティア募集には10分間で600人の応募ってすご過ぎます。
4月21日(木)
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遅い時刻まで行われた「前日リーダー会合」がやっと終了したようです。本当にお疲れ様だと思う。その方はクルマで行かれることになり、私たちの水を購入して運んでくれるかも知れない。正確な集合場所はまだ分からないが、再度新宿という文言がメールにあった。役割部分は希望してくれたキッチン担当にはなれず、たぶん泥かきのようです。でも何とかなると思う。


携帯品リストは、その方が作成し私たちはそれに習った。

私の例。

作業用品(防水ヤッケ上下1、ヘル1、ゴーグル1、防塵マスク10、衛生マスク10、タオル3、長靴+踏み抜き防止中敷1、デイパック1、ヘッドライト2、耐油ゴム手1、炊事用ゴム手1、軍手1、ビニ手4)
衣類(作業用上衣2、下衣3、下着上下7、靴下7、パジャマ用上下1、タイツ1、帽子1、ゴミ袋4、セーター1)
居住用品(テント女子用2、南京錠2、寝袋1、インナーシーツ1、銀マット1、プチライト3、ヘッドライト1)
炊事用品(コンロ1、ライター1、鍋類1、箸スプーンフォーク1、シェラカップ1)
食糧(22食、水2ℓ1、500mℓ1、菓子)
その他(使い捨てカイロ3、ぬれティッシュ3、さらさらお尻ふき2、トイレットペーバー2、ファストエイド1、薬類1、ハンドクリーム1、化粧品1、防水ケース1、歯ブラシ1、細紐1、折畳み傘1、スニーカー1)
貴重品類(参加費5,000円、ボランティア保険加入証、ボランティア規約、誓約書、デジカメと充電器1、携帯電話と充電器1、手回しライト1、現金2万円、クレジットカード、スイカ、筆記用具)

買い足すものはパン類だけの予定ですが、、、カイロもかもです。
4月21日(木)

パッキング完了。
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おぞましい量になってしまった。理由はたぶんテントが2つあること、シュラフが20年前の中国製〈天山〉ー40℃の厳冬期←でかーい重ーい。いざとなれば体の前後にザック2個に変更する。でないと運べない、、。


今ニュースで被災地は寒暖の差が激しいという。降雨により浸水するテントも続発とサイトにはあった。けれど我々は被災していないのだからそんなのは一時的な出来事。


今日の今頃、リーダーオリエンテーションが行われていると思う。明日の集合場所が新宿中央公園から変更になり現在未定だ。キッチン担当、倉庫担当を募っているらしい。
4月20日(水)

先週から池袋西武のカルチャーセンターに通い出した(表現道場という、スバラシイ)。でも月に1度。今日そこのメーリングリストに投稿しました。こんな内容です。以下コピペ。

自己紹介です。

XXXX(ニックネーム=XX)
単に米光さんの考え方にたいへん共感を感じて走光性の昆虫にようにこちらに集まりました。ただそれだけで、、、。やりたいことは、ハッキリしていまして、非常に個人的な仕事が2つあるだけです(ここで書くのもチョット恥ずかしいです)。ですからなぜ、こうした「皆でなんかをやろう系」の場所に自分がいるのか、自分でもよくわかりません。ですがその個人的な仕事の方も、人に聞きますとweb上とか電書という手もある、とか。自分そうとうアナログ至上人間なのですが、、、。そう、あと個人的な仕事以外にも社会的な仕事にも関心が無くもないです。ジャーナリズムの端の端の端みたいな仕事もしてみたいです。これらすべては経済活動とは無縁です、どちらかと言うとサンザイですかね。でも自己実現というかまあ「喜び組」です。終わり、です一応。


あれっ。
(おしまい)
4月20日(水)

西新宿にある「萬年屋」という作業服屋に行った。
カウンターに白人の男性客が支払をしていたので「被災地に行かれるのですか」と日本語で聞くと「はい、そうです」と答えた。会社で金曜の朝から石巻に行くそうだ。「これよかったら使って下さい」と店員が作業服を1着プレゼントしていた。「お気をつけて」と私も言った。


上下の防水ヤッケを選んだ。「被災地に行かれる方はこれを買われますよ」と女子店員が勧めたのだ。プレーンなネイビー色だった。薄手の迷彩ヤッケも暖かい日用に買った。「カワイいけど泥だらけになるんですよね」と相談すると「でも格好は大事ですよ」と微笑む、さすがに女子だ。長靴用に釘踏み抜き防止の安全中敷き、防塵マスク、別の店でヘルメットも買った。
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食糧はすべて登山用にした。行動食は火がないので、カロリーメイト系のものにした。最後に菓子類を添えて終了とした。購入した店は、新宿のL-Breath、原宿の石井スポーツ、中目黒のドンキホーテ。f0204425_22153798.jpg


パッキングは明日に延期した。
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コレ以外に水と着替えなどが、、、、。
4月20日(水)

私用で一週お休みをした後の今日だった。コーラスボランティアさんと全員で一緒に歌を歌った後、入所者であるAさんの場所に行った。Aさんはコーラスの間もずっと立った姿勢で皆さんの食事用エプロンを畳むボランティア作業をされていた。ニコニコ顔の、初老ですが不思議に兄さんといった感じ(あとで70代だとわかった)。


お散歩にお誘いすると「これが終わったら」とおっしゃるので私もポリエステル生地の柄物のエプロンをいっしょに畳んだ。それらは乾燥機から出て来たばかりで一部分が熱く、どれも少し皺があった。終わると私たちは出発した。Aさんは障害のおありになる両脚で、立ち上がってご自分の車椅子を押して歩いた。私はただ単に付いているだけ。はっきりとしたお声で「課長さん行って来ます」と挨拶された。


エレベータで1階に降り「行って来ます」と別の課長に挨拶される。「本当はここまでなんです」と駐輪場のところでおっしゃった。「でもいいんですよ」とおっしゃり、公園に入る。ベンチが空いていたが座らないと言う。2頭の中型犬が散歩に来ていた。2本の八重桜がそこでは満開だった。子供連れのママさんが桜の下でランチを食べていた。私たちは一緒にそれを見た。時々私は景色が通り過ぎた後を振り返って感想を言い「しまった」と思った。車椅子を真剣に押して歩いている彼は、振り返る事が困難なのだ。それでもニコニコと話を合わせてくれた。


八重桜が本当に満開だった。そこで私はAさんの記念写真を撮った。「こんなことお聞きしていいかわからないのですが」と私は彼の病気について質問した。その後はずっとその話になった。ぐるっと建物を回りながら私は彼の一生のダイジェストを記憶に刻んだ。何年の何月何日の何時にある病気が起こったという話は胸にグッと来た。そんな風に突然「ハロー」と来るのかも知れない、、、いつ誰にどんな病気や怪我が。そしてそれ以降のこの方の努力。



「ボクの場所だ」と言って2階のホールの一つの窓際を見上げた。私もそうした。
私もそこは少し知っている。
彼はその何億倍も何兆倍も何京倍もその場所を知っている。


傾斜のある舗道で少しよろめいた。


2階に戻った後に「ボクの部屋を見ます?」とおっしゃった。私たちはPCの話をしていたからだ。ノートPCが1台あった。電話回線が無い、と言う。交渉はしない、とおっしゃった。「書」もあった。墨の色も筆跡も私は好きだと思った。


ご自分の入所に関する書類も見せてくれた。
別の大きな病院に重い病気で入院されていた頃の様子を想像しようとしていた。
上手く行かなかった。
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4月20日(水)
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数日前「ボランティア説明会」までは一緒に行き「1週間も仕事休めない」と呟き「オリエンテーション」の直前に帰った友人さんと昨日電話で話した。
「どだった? あれからすぐチーム組んだの?」
「そう」状況をいろいろ説明した。「ふうん」と友人が答えた。
「ねえ、XXさんにピッタリのボランティアある。今日、社協(社会福祉協議会)で聞いたんだけど、都庁でやってる都民ボランティアの方はホテル泊まりらしい。ネット申込が10分で一杯になるらしいけど」「ふうん」
私は社協の職員がプリントアウトしてくれた3枚の再生紙をながめなていた。第5次派遣、私たちと同じだ。「あ、それにこっちのロードーは5日間だけだ」「ふうん」

「いま八重桜咲いている」友人が言った。
私は今年は花見は無理っぽいと伝えた。でももし気が変わったら一緒に花見しようと言って友人の電話が終わった。


もう一人の友人は、私をすごく心配していた。
まず最初にピースボートとグリーンピースを咄嗟に間違えていた。「○○ちゃん、あの急進的な団体で活動するの?」という意味のメールだったので「98万円世界一周のポスターのアレですよ」と認識を修正した。それでもすごく心配していた。都民ボランティアの話を冗談に話題にすると「今からでも遅く無いから(待遇のいい)そっちに変えれば?」と勧める。もう動き出しているので、と説明すると「わかった」というメールがあった。すごく心配していた。まるで自分の母親か姉と話をしている錯覚を感じた。


あとの二人は、メールで派遣期間にあったアポを延期してもらう際に、ボランティアの話をした。
それぞれ「どうぞ、おけがなどなさらないようにお祈りしています」「無理のない範囲での、活躍を期待しています」というお返事をいただいた。お礼を述べた。
4月19日(火)
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朝方、キャリーバッグに4人用のベトナム製テントを入れて神奈川の家から東京の自宅まで電車で運んだ。

午後はそのあと、装備一式を買いにネットで見た五反田の「ミドリ安全」という会社に行くと、そこは事務所であって「店舗」ではなかった。しかたなく、安売屋で水、トイレットペーパー、ラーメンなどを買い、その足で区の社会福祉協議会に行きボランティア保険天災プランに加入した。今日の外出系はそこまで。


家に帰ってから、被災地など行かない友人らにメールや電話で近況を話す。


それにしても(その1)被災地チーム(5名)とのメールのやり取りはどこか新鮮だ。お互いをまだ知らないし、先々の活動に対して誰もが未知の領域で、しかもそれは同等なのだから。


明日は大々的に装備や食糧の買い出しですかな。


それにしても(その2)本部より各グループリーダーあてに発信された「質問→回答」メール内容を転送していただいたのですが。回答があまりに簡潔過ぎて(口頭の電話の「起こし」だったようです)、本部は私たちに何も伝えていないような気がします。現場到着後の判断、特にリーダーさんたちに一任されている点が多いようです。それはそれでいいのですが。分かっている事は以下の点です。


1.ただただ指示された仕事に専念する。
2.その間に自由時間などまったくない。

でもそれ以外の質問に「無回答」が多いのは自由度はあるという意味にも取れますがね。不思議なものです。