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3月31日(木)
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原発事故を知るやトンボ帰りに国に戻った外国人とは別に、日本に留まり逆に災害救助に精を出す在日外国人たちもいる。その種のメールマガジンから「ピースボート」の東京短期ボランティア説明会を知り参加を申し込んだ。本当は現地隊(9日間/往復バス)希望したいところだが、自分の渡航と重なってしまう。「セカンドハーベストジャパン」も以前から気になる団体だ。


そうしたこともあるが、基盤としては普通の生活をすることだろう。焦らず冷静に。無理の無い日常。そして健康を手放さない。


今日くらい平凡で淡々とした一日はなかった。
息子のヘアカット(坊主)をしたこと以外は。
3月30日(水)

Windowsのデスクトップに「10月10日」というタイトルのファイルがあった。2009年10月10日だった。
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10月10日(土)

二人ともすることがなかった。

私の思い違いだった。それは台風のせいだった。それといいちこのビンのせい、そのひとつが倒れていたのも、網戸になって開いていたガラス戸のせいだった。カーペットが捲くれて濡れていたのも、クッションが落ちていたのもそうだった。「台風のせいだと思うよ」と一言説明した。その通りだった。

今日の午後私が到着すると、友人はベッドの中だった。今まで2回に1回はそうなのだ。することが無いので、私は2週間も洗剤に浸けてあったポロシャツを少し前に干した、そのベランダの籐椅子に座って大家の庭を見ていた。小型の蝶が一匹鉄の柵に止まった。柿が成ってきている。陽光が温かみを伝えた。その後「ここ片付けようか」と聞いて(半分起きていたので)、テーブルの上を整理して汚れを拭いた。2本のティッシュロールがあり私はそれをちぎって使った。テーブルが綺麗になった。「これ捨てよう」と言っていいちこのビンもゴミ袋に入れた。道路の置き場に運んだ。

「することが無い」と言っていた。私もそうだった。4時に出る。(私の家の)5時の夕食に間に合うように、その前に銀行に寄ってお金(木曜に貸した千円を)返すと説明した。その時間になり、2台のチャリがゆっくり走った。私の視線は、幅広く動かない男の背が住宅街を往く後姿を捉えていた。銀行のATMに寄る。少し待つと新札の千円を私に渡した。言葉を交わして別れた。

今日のデートに悪意は無く、不思議なことに落ち着きに支えられていた。(AAをサボるの件について私は無力だ)

例えば私はこう言った。「また××(店の名)に行こう」「うん来週ね」その後私はうるさいコメントを加えた。「その時お酒飲まない、よね」「わかんなさ、ビール飲むかも知れない」「そうすると私はとても困るの(アラノンで習った方法で言った)」「きみが困ろうとぼくは知ったことないさ」私はしばらくしてから続けた。「そう、、なのかな」それで終わり。

「ソウナノカナ」「ソウナノカナ」「ソウナノカナ」「ソウナノカナ」だって? お馬鹿な独り言。
少し考えた。次回はこう言おう。
「私は△△と一緒に食事に行ったとき、お酒も飲むのが今までは好きだった。でも今は違う。△△と一緒にお店に行って、お酒を注文しないで料理を楽しむ方が一億倍くらい嬉しい」と。たぶん通じないと思う。けれどそう伝えたい。本当のことだから。

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すごく懐かしい。もうほとんど今夜はその世界にいる。
3月30日(水)
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今日の老人ホームの廊下は特別に臭気がヒドかった。「茹で上がったオムツ」と形容するしかない。けれども入所者さんとの仕事が始まるとそのことはさっと脳裏から外れた。早目に上がった。特に用事がある訳でもなかったが。中目黒にチャリで下り、プレッセとカルディーで食糧品やらを買った。


祐天寺の不動産屋に寄り、借り手の付かない物件の相談をした。7万円の部屋を当初より1万円下げ6万円にする旨を伝えた。今日は朝食と昼食、夕食をすべて家で調理し息子と一緒に食べた。新卒後3年で退職してしまった放蕩息子は、昨日庭の泥を掘って池を作っていた。今日は新宿まで献血に行った。明日は何をするのだろう。一方私はいつものようにぐだぐだしている。(昨日「国有化」の話題が出た東電株の行方を悩んでいたが、被災された方々に比較したらものの比ではない。結局は「日本全体の復興」を願うだけらしい)


「タイ取材旅行の段取り」に関しては、残念ながら5月中旬から雨期になるそうだ。仕方無い。ANAのスーパー早割で52,000だった。ホテル1泊4,000だとして13泊で52,000円。他の交通費と食事を入れて約倍にして20万円でどうにかなるかも知れない。問題は現地での私の取材力だ。一度でダメならもう一度という手もあるが。


大学の同窓生にメールをする必要があるのに、PCをMacにかえた時点でアドレス情報が一人もない。年老いたWindowsを叩き起こしてメーラーを開けた。とてもとても懐かしいAOLのウインドーの『You got a mail』が点灯し、しかも音声が私に向って喋った。ずっとその音は耳の奥に留まり、その余韻を長い時間聞いていた。私が最近、故人の件に関して幸せを感じるのはこういう瞬間だ。この気持は継続してくれるといいと思う。心からの願いだ。
3月30日(水)

今日のお相手はHさんお一人だった。まず握手とハグ(と言っても車椅子に座られたまま頭を私の体幹に寄せる。私は背を軽くさする)。私は片手に力を込める。相手もそうする。私は空いているもう片方の方もそうしようと思い、いったん右手を離して自分の左手を彼女の右手と合わせ、右手で左手を誘った。4つの手は交差せずに相手とつながった。少しして右手同士に戻した。一緒にそこにあった写真雑誌を見る。「いい写真よ」と言った。その雑誌にあった「写真の写真」を2枚私が撮った。それから私は左目頭にあった中くらいのサイズの目ヤニを取ってあげる。また握手をした。ハグも。

私は髪を撫でた。「髪の毛臭くない?」と聞く。「ぜんぜん」と答える。少しのおしゃべり。歌を2曲。また握手。お願いしてさっきのケータイで手の写真を2ショット撮らせてもらう。それを見せる。入所者の誰かが誕生日で職員2人と一緒にハッピーバースデイツーユーの歌を歌っていた。私たちの両手はしっかりとつながれたままその歌の曲に合わせてリズミカルに力を入れた。「Hさんは何歳?」と聞くと「90よ」と答えた。私も自分の歳を言った。「100歳まで生きてくださいね」と頼んだ。頷いた。「こんなに力があるんですもの」と私が言った。

「ヨーグルトが食べたとい」少しして「リンゴも食べたい」とおっしゃる。職員さんに頼んでヨーグルトを1つとミカン1つをいただく。ヨーグルトのフタを剥がす。椅子をテーブルに近寄せる。私はペーパーナプキンをたたんで彼女の口元に1、2度使う。左に置いてあるミカンを指し「あんた食べなさいよ」と2回ほど言う。断ってお気持ちだけ頂く。

「あんた、もう帰りなさい」と言ったので挨拶してその通りにした。それは途中、私の木製のアクセサリに話し掛けて来た別の入所者に「あっちへ行け」と言ったときとはぜんぜん違う優しい方法だった。
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3月29日(火)
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あまりにも自分が怠惰なのでここでいっちょう整理します。
いわば先送りにしている「どうにかしたい」懸案リスト。

1.小説をどうにかする
2.友人さんのポートフォリオをどうにかする
3.空き部屋の斡旋をどうにかする
4.1階の更新料の件をどうにかする
5.タイ行きの航空券をどうにかする
6.4月9日の千葉行きの予定をどうにかする
7.保険会社の書類をどうにかする
8.無くした銀行カードの件をどうにかする
9.無くした郵貯銀行カードの件をどうにかする
10.家具の転倒防止装置をどうにかする

どうもならないなんておもていたこともほんごしいれてどうにかしようとおもえばきっとどうにかなるのだ。
以上
3月29日(火)

今日師匠からこんなアイデアがfreemlで送られて来た。
なので自分も試してみた。


2011年3月11日:××××:東京都目黒区:女×歳

区役所大ホールで50人位と田辺鶴瑛の講談を聞いていた。
地震が揺れて「もしかして大地震だ」と誰かが言った。
「あら地震?」と講談師が不思議そうにした。
区役所のニシさんが「机の下に避難して下さい」と言った。
皆がペナペナな折畳みの下に入った。
オダさんはまだ立っていたので私は手招きした。
「今頃うちのジイさん下敷きかも」と講談師が笑った。
動画はずっと静止画像のままだった。
息子の部屋のSD以外のガンプラが全て床に墜落していた。
ガリレオ温度計が割れピアノが白く化学火傷していた。
夕方の息子からの電話はオレオレ詐欺ような声だった。
「犬もアンタも大丈夫なのね? 夕食は外で食う」と言った。
(おわり)
3月29日(火)

銀座ニコンサロンに今朝私はいた。今日が最終日の『ガンガー巡礼 石川武志写真展』だった。何故か足が向いたのだ。少しの面識があった。
「モノクロもいいでしょう」作家が私に言った。
50点全部が同サイズのモノクロ作品だった。そのこともよかったが、私の興味はガンジス河のサドゥーのもの凄い人数の集団が動き回っている姿だった。12年に一度の祭りだと彼が説明した。
「行けばいいじゃない」「私がですか」「そう、そこへ行けば一生分の男の裸が見られるよ」「ええーっ」な、なんと!
ヒンズー教の一派では資産や持ち物一切捨てること徳とされる。しかも男性器がもっとも神聖なものなので、腰巻きで隠すことは神様にとってよくない。ラウドスピーカーから常に「大人の迷子」のアナウンスがやかましいらしい。f0204425_17171175.jpg


それが「動」であるとすれば「静」もあった。ガンジスのほとりに「死に場所」を選んで遠方から来る老人たちの「画」だった。ほとんど亡くなりかけていたり。さい銭が施され遺体処理を生業とする男たちの懐に入る。「この婆さんは3日後には死んでたよ」「そうなんですか」彼女にとってはじゅうぶん幸せなことなのだ。人は生まれる時と場所や環境を選べないけれど、死に関してはちょっと選択肢が許されているのかも知れない。


今日のチャリは第一京浜を使って往復した。途中新橋駅付近のガード下などにホームレスを2人見たがあまり神聖な感じはしなかった。 
3月29日(火)
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私のこういう態度は子供時代にヒドく「内弁慶」だったこと、たぶんそのために児童相談所まで連れて行かれた。それが分厚くベースになっていて、友人関係でも恋愛関係でも、素直でナイーブであった経験が少ない。ごく最近の特別の友人さんとの恋愛関係ではその「たがが外れる」瞬間があった。しばしば起こるパターンで、相手さんが急に冷酷になり「すぐに帰れ!」または「帰る!」と告げる。私はそこで自分の感情を表現してしまった。「お願い、許して」と。逆上、無視、放置しかそのあとには続かない。


私は自分が「感じていることをその場で表現しない」と今日、友人の一人が考え伝えてくれたことに感謝している。その場で「私はこう思う」「私はこう感じる」とストレートに語ることをしてしまうと、その後で深く後悔するのは、もう性癖かもしれない。
3月29日(月)

用事で新宿に行ったついでに写真ギャラリーを2軒回った。
一軒目は「エプサイト(エプソンイメージングギャラリー)」で『PHOTO GRAND PRIX 2010』が開催されていた。その入選者の中で『CHARLIE』(荒井道彦氏)の作品が好ましかった。

http://www.epson.jp/epsite/event/gallery2/11/index.htm
(↑このURLは展覧会の案内のみです)

(「ヒューマンライフ部門」入賞者)A4、80ページのフォトブックの体裁で、全てカラー作品。全てチャリ。人格化されたチャリ。Webで調べると長野県在住の方なので、チャリが座っている(立っている)風景は多くが田舎じみている。半数以上のチャリは「締め殺しの」草を衣服のように纏っている。ありきたりの表現に近いが、一人一人のチャリが彼(彼女)の人生を持っている。私がモノに取り憑かれているのと同じように、この作家さんはそうしている、、、。


f0204425_152477.jpgもう一軒は「新宿ニコンサロン」。「WILLERバスターミナル新宿西口」に常設されたPCでチェックした時点で見たい気ありありでした。そしてここでは作家さんにお会い出来ました。『HOME』(中村治氏)ー消えゆく世界遺産、中国・客家土楼に住む人々ー。少しの風景写真と多数のポートレートだ。
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2011/03_shinjyuku.htm#03

ほとんどが老人である。
「堅焼き煎餅みたいな顔ですね」と幾つかの会話の途中で私が言った。「そう言えばそうですね」中村氏が答えた。
一番高齢者でたしか、、、102歳だと言う。「でも、もしかしたら300歳かも知れませんよ」「え、本当ですか?」「ウソですよ」なーんだ。
撮影技術や会話や贈答やなんかを短い時間に聞き出した。今Asahiドットコムにかなりの点数が載っている。

http://www.asahi.com/eco/gallery/110325_home/

それにしても、、、、。老人フェチの私にはたまりません。
以上今日の写真屋さんでした。
3月28日(月)
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もう私は一生西新宿の(財)交通事故紛争処理センターに出向くことはないだろう。2年前の交通事故の示談が今日やっと成立した。当事者(甲)(丙)(丁)の三者に対して、当事者(乙)である私が「免責証書(対人)」という書類を作成した。

今日はまず「どうしますか」と言う言葉を皮切りに先生が説明を始める。とてもとても長い文章であり、「、、、、なもですが、、、、、ですが、、、、ですが、、、、、ですが、、、」と永遠に途切れずかつ私に口を挟ませない。まるで法廷での検事の論告のようだった。それが終わった。


私はもうそろそろいいかなと思った。
「あの、私はこんな風に人に言われました。こちらの先生はまちがっても、、」「???」「あの間違っても保険会社の味方ではなく被害者の方を向いていらっしゃる。なので100%ご信頼して、先生のおっしゃる通りにしたほうがいい、と」「そう言っていただけると私としてもありがたい」しかし一言付け加えた。「まあ、本来は中立が建前なのですが。何ぶんあちらはプロ、あなたは知識がおありでない。ですので外見的にはそちらの立場寄りに見えるのです」「そうです。こっちは一生にたった一度ですから。一方あちらはそれで飯喰ってらっしゃる。、、、よろしくお願いします」


そうして示談が成立した。数字の決着が付いたのです。今日も印鑑と送金先情報を持参していたので、その場で本当に全てが終わった。こちらの弁護士先生のお陰だ。さらに過去には霞ヶ関日弁連の方々など、さまざまなお陰にもよる。


住友ビルの44階からエレベータに乗ると、その時すでに私はチャリ用ヘルメットを被っていた。同乗した男性が話し掛けて来た。「その格好はソクハイか何かされているのですか?」「いいえ、そんな、ただチャリに乗ってるだけです。交通事故の、、ですか?」その階にはその会社しかない。「ええ、今日示談成立しました」私と同じだ。「よかったですね、私もです」お互い見ず知らずだが、晴れ晴れした出会いと別れだった。


ついでなので「エプソンギャラリ―(エプサイト)〜三井ビル」、「ニコンサロン〜エルタワー」に寄り、家の傍まで漕いで来ると、大切なもう一つの用事を忘れなかった。それはこの事故の件で何度も相談業務を受けて下さった目黒区の交通安全協会の方に、今日の示談成立のご挨拶をすることだった。たまたま今日はお休みでお会い出来なかったのですが。