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8月31日(火)

f0204425_2240310.jpg「アーユーアムスリム?」とシンガポール人の妻が私に質問した。大学で知り合ったと言う日本人の夫が2歳のナディアちゃんをあやしている。
「いいえ。イスラーム文化が好きで来ました。あの、断食してるのですか?」
「ええ、××日から断食してます」
「私もいつかはやってみたいです」気がつくとそんな風に答えていた。
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同じテーブルには、別のもうひとつの家族、日本人の妻と連れ子のような男の子、パレスティナ人の夫と二人の間に出来た7ヶ月の坊やがいて、やはり夫があやしていた。そう言えば昨日あったドイツ人妻(産婦人科医)とトルコ人のカップルの夫も「彼はファーザーでありかつマザーなの」と妻に紹介されて赤ん坊の世話を全面的にしていた。イスラム圏の特徴なのだろうか。とにかく子供、かわいい!!!!f0204425_22412697.jpg
再び「断食(ラマダン)」。
宗教の方は私に戸口を閉ざしているわけではない。ただ自分が、そこに正式に招かれている気持がしないのは確かだ。
結局、イスラームにしろ何にしろ、自分はずっとずっと外側にいる感じだ。だからといって永久的にそうだという意味ではない。便利で心地よい船があればそれに乗船するだけ。おまけに最近は信仰だけが自分や世界を救うという感じもすごくわかるのだ。
8月31日(火)

今日は2007年2月から2007年3月アタマにかけての52通を助け出した。つまり息絶え絶えの古いPCから媒体とMacにバックアップしたり印刷したり、ついでに読んだりしている。


最初は「謝罪文」というサブジェクトのメール、よく覚えている。読んだその場所も何もかも。
修復され元に戻っていった。2月の後半は海外にいる、、、。


今やっと見つけた。相手さんのメールの中でさっき気になった言葉を。
それは、、、「ただ体を酷使することだ、理論なんてその後についてくる、少なくとも血肉となった意識としての知性はね」という下りだった。そういう生き方の男だったわけ。


ついでに私もそれらの言葉に感染していたいと感じた。
今日もモスクに行き、幾つかの質問を投げかけようと思う。少しは勉強しないと体の酷使だけじゃ芸がない。
8月30日(月)

f0204425_058670.jpg東京ジャーミーに行った。代々木上原にあるイスラームのモスクで、トルコ人が多く行く。以前、公立高校の事務をしていた時、社会科の教員が生徒有志を連れて見学したのに混ぜてもらったことがあった。だから今日は2回目だった。しかしラマダンの時期は初めてだ。しかも一般人も礼拝後の食事が寄付で食べられる。毎日日替わりらしく、今日も大変美味しかった。
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一人のドイツ人、何人かのトルコ人と色々な人と話が出来た。全て女性だ(モスクの慣習として)。
今日入信するという素敵な日本人女性にも会った。
PC入力用の本人データを記入しながら話してくれていた。PCね! でもこれがあるとメッカに行ける証明が発行されると言う。
この方はある日、ご自分の左右に二人の天使がいる気配がした。と同時に神、アッラーの存在がわかったらしい。
「素晴らしいですね。これからの人生、神とともに生きて行かれるのですね」と私は祝福した。


その後、礼拝を見学した。見学と言ってもただ見ているのは手持ち無沙汰なので、結局私自身ずっと礼拝を行っていた。女性のいる2階部屋は特に暑い。膝を折った低頭も上手になった頃には汗が千条の滝のように服の下を流れ、スカーフは頭にベットリくっ付き、汗の塩分で沁みた両眼が痛くなった。カーペットに汗の水溜まりができてはしない!? 時計を見ると礼拝時間は1時間だった。


f0204425_059129.jpg礼拝を終えて涼しいベランダに出ると、入信された女性が弟さんと仕事の同僚という男と3人でそこにいらした。
私たちは両手を差し出して、とても軽く触れる握手をして別れた。




ラマダン中にもう一回か二回、そこへ行くのだろう、そんな風に思いながら、代々木上原駅で今日のイベントに誘ってくれた新しい友人と別れた。
8月30日(月)

またメールを救助している。
2007年元旦からの1ヶ月分、48通。
最後に破局。
8月29日(日)

暑かった、ネイキッドハイカーに近い姿の私は虫に刺されがちだった。そして暑かった。犬がいなくてよかった。疲れているのに意味なく京王井の頭線の駒場東大前でポロリと降りてそこからまた1時間歩いて家に着いた。その後ゆっくり入浴して、その次に寝た。


これから親しくなれそうな少数と知り合った。たいてい1人か2人。そうすると他の20人は、、、どうでもよく感じてしまう。でも主催者でアメリカ人のDさんは別だ。すごくいい人だと思う。お連れ合いさんも。だから二人がいつも別々に歩いていて、1度彼の左指と彼女の右指が触れた途端、、、私はたまたま5メートル後ろを歩いていた、、、全部の指を絡めてそれがたった2回繰り返されただけだったけど、いい感じだなと思った。


ハイキングイベントは健康法として効果的だと思う。夜のパーティーは例え禁煙会場であっても、どちらかと言うと不健康だ。その他の目的は同じ。何かを楽しむ。歩く事、少しだけ食べる事。会話などの中で自分自身を客観視出来る。


淋しい事に代わりはない。けれど誰もがそうなのだ。
生きている事じたい。誰かと(誰でも、何人でも)一緒にいる事は、、悪い事ではないと思う。


「聴いて! すごい虫のオーケストラ!」
とDさんが叫んだ。
「あ、セミとセミとセミとセミ、、、だ」と誰かが応えた。こもれびの森という場所で、轟々とした交響楽を耳にしながらここに来てよかったと私は感じていた。
8月28日(土)

f0204425_7411380.jpg池尻のノートンプレイスと家とは大体5kmの距離で、私の整形外科の真向かいに位置している。怪我が大体よくなった頃にドアを開けた。

昨日は徒歩で往復した。日が陰り出す時刻で、軽装であれば適当な運動のように思われ、結果その通りだった。午後9時にお開きになり再び徒歩で家路に向った。

f0204425_833413.jpgチャリの通院ではスルリと通り抜ける蛇崩れという交差点に銭湯があり、以前から気になっていた。一風呂浴びる事に決めた。


風呂上がりに番台、と言っても昔のタイプでは無いが、のおかみさんと話し込んだ。30分程もいただろうか。途中で「何か飲む?」と言って冷蔵ケースを開け、私は大塚製薬のファイブミニを選んだ。私は冷えたオレンジ色の液体をご馳走になりながら、彼女の話の一方的な聞き役でいた。


その話とは、、、、湯船の脇にある水槽の巨大な鯉が寿命で最近何匹死んだか、少女時代に番台にいてヤクザに絡まれた話、自分の結婚、息子の結婚、幾つかの風呂屋を経営したいたが止むなく縮小した話、それと自分の今着ている白いTシャツに描かれている絵柄の話、自分がアクリル絵の具で描いたこの風呂屋の建物だったが今日下ろしたてだった。それらを話しているうちに何か感極まって来て、涙ぐんでいた。「だいじょうぶ?」と私は言った。「ごめんなさいね。話に引き止めちゃって」「いえ」分かり易い時間だった。さっきまでいたパーティーよりも、どちらかと言うと楽しかったのだ。


銭湯は、この数年間は友人さんと一緒に行っていたので記憶が濃く、しかもまだ新しい。絶対忘れない。今日の思い出も別の記憶の引き出しに入れて保存するのだと思う。
「また来ますね」ときっぱり挨拶して私は残りの道程を歩き始めた。
8月28日(土)

f0204425_04058.jpg「ノートンプレイス」と言う英会話喫茶の定例パーティがあった。
今日そこで挨拶した男はいきなりこう質問した。
「目的は? ベリーダンス?」


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その人自身がそうだったのだろう。
そして、私が同様にそうなるのに時間はまったくかからなかった。
8月27日(金)

この日の午後、私はもう一つのイベントに参加していた。
区役所主催の標記の講習会で3回ものの2回目だった。今回は国際医療福祉大学大学院准教授の小野寺敦志先生のレクチャーだった。老年心理学がご専門と紹介があった。


本来この講義は、私を含め当事者ではないボランティアを対象にしたものなので「認知症患者を介護する家族」をどう理解するか、というスタンスであった。しかし受講者のうちの多くが「介護経験あり」に挙手したので、受講者≒家族とも言えるフロアの構成のようでもあった。


興味深い内容であった。BPSDと呼ばれる認知症の周辺症状も、それを介護するかしないかの選択から「家族」がスタートする。家族は必ずしも介護しなければばらない存在ではない。介護者も大変だが、家族も大変、本人も大変、というお話。さらに介護はマイナス経験だけではなく、人は成長するという締めくくりに私ははっとした。


(戸惑い・不安)→(ショック・混乱)→(否認・過小評価)→(怒り・悲しみ)→(適応・葛藤)→(受容) 
配られた資料の中にこんなスライドのコピーがあった。


認知症ではなかったが、アルコール末期の友人さんとの最期の係わりの中で、私はこの「受容」に至れなかった。それどころか、過小評価と悲しみのあたりでずっと無意味な右往左往をしていたみたいだ。
8月27日(金)

ひととおりの「授業」が一段落した時、そのオッサンは再び顔を顰めた。今日の私の初回「ひらがなタイムズ日本語コーチ」は自由が丘のスターバックスコーヒーで午後7時から開始され8時には閉校した。


「キョウハカナシイデキゴトガアッタ、、、」
「?」なんすか。
「イタリアンゴットアジョブ」ああ、さっきの話か。


TBSのオーディションだったか、スペイン語に関係する仕事だから自分が13人の応募者中ナンバーワンだったのに、イタリア野郎が合格してしまった。自分はその会場でそいつにスペイン語のヒントまで教えてやったのに。合格理由はその伊太公が「日本語ペラペラ」だったからだ。だから自分は日本語を上手く喋れるようになり、日本で仕事を沢山手に入れたい。学習動機がよくわかった。


で、学習方法は「プリーズスピークエニシングユーライクアンドアイルチェックユアジャパニーズ」というやり方だったが、後半は愚痴が多い。英語喋ってたら何のための1時間か判んなくなるじゃないですか? でも、、まずは、そんなもんか、という感想で一件落着。


往きに自由が丘に向う途中、黒のタンクトップから綺麗な二つの肩を出し、白のヘルメットにドロップハンドルのサイクル姐さんと赤信号で一緒に停まった。
「カッコいいすね!!」と歩道にいる私が感嘆した。
「ふふ、私もコレの前はソレと同じのに乗ってましたよ」
「ほんとですかあ!?」
そんな、嬉しいなあ、でもたかが台湾製ジャイアントだよん。
「ソレ幾ら位するんですか?」
「十万ちょっと。ワタシ安いのしか買わないんす」
「へえ!!」
信号が変わり黒色のヒップが去った。


帰路、その同じ場所の横断歩道を杖をついた大儀そうな老婦人と一緒に渡った。殆ど青が終わりかけ、私は寄り添うようにチャリをゆっくり漕いだ。無事に渡り終えたその人は左右の白いブラウスの袖が、肩の荷の重さで少しずれている事に私は気付いた。たったそれだけの事だが、無性に不憫に感じた。


元気な人々とそうでない人々。屈託ない態度の人々とそうでもない人々。
自分はどちらかと言うと、、、果たしてどっちなのだろう。
8月27日(金)

午前中、検察庁の事件記録部署を訪ねた。
やはり手荷物検査があった。そこで私はこう言った。
「あの、犬がいるんです」


二人の官僚さんが2階からわざわざ降りて来て、私たちは一階フロアの長椅子で、自分の交通事故の相手方の刑事処罰に関する事件記録の閲覧に必要な申請書類を記入した。昨日、安協の警察官OBさんが「そうするかい?」と促したからだ。


「大人しいんですね」と誰もが言った。
あと2回、ここに来る必要がある。
「その時は、ワンちゃんはどうされますか?」官僚さんの一人が質問した。
「留守番させます」私が応えた。
「そうされて下さい」
「今日は特別にご配慮をありがとうございました」
そう言って、私と犬は経済産業省前から帰りのバスに乗った。