人気ブログランキング |

<   2009年 12月 ( 70 )   > この月の画像一覧

12月11日(金)続

アパートの共同トイレのドアの前で私は手を握って、別れた。



イヤな天候に半日たたられた。取り敢えず半日はそうだった。目黒から世田谷を往復した。山用の雨具上下、短いレインシューズとデイバックにもカバーをした。何も入っていない。粥の入ったタッパウエアが1個を除いて。

友人のアパートに到着し、ドアを入ると、気持良さそうなイビキが耳に触れた。昨日私が作った寝心地のよいベッドに行儀よく寝ている。その脇に、戸口で寝ていた時の寝具がひとまとめに寄せられていた。それらを押し入れに入れ、粥をカバンから出してから食器を少し洗った。帰ろうと挨拶すると目を覚ました。黒目の部分がいつもより薄茶色に見えた。視線が定まらない。そこに自分の視線を無理矢理押し付けた。唇と頬を笑う形に整え、私は挨拶した。


「水を一杯飲ましてくれ」と言う。苦労して上体を起こし、そこにあった500mlのオレンジジュースの方を飲もうとする。上手く行かない。私はコップの水いったん流しに捨て、それにジュースを注いだ。ゴクゴクと喉を鳴らしたかと思うと、むせて吐き出した。私の顔にもそれが掛かり、嫌な感じはしなかったが、トイレットロールを探して、二人の顔を拭いた。大丈夫そうだ。オシッコに行くというので、廊下を歩きトイレのドアの所で別れた。着いて20分位だっただろうか。


往きの道々、私の気分は落ちついており、口でブルーノートのコードを口ずさんでいた。低いギターの音色が遠くで伴奏している。帰り、いきなりそれは8ビートに変わった。ただ何かもう、、、、以前の「ああ良かった.生きてて!」という単純な感情はどっかに消えてしまった。その脳内楽曲は8ビートなのだが、当たり前の喜怒哀楽のいずれをも含んでいた。今はもうちゃとは思い出せないが、どこかそんな気分であった。
12月11日(金)

さっきからずっと雨音が続いている感じがする。小さめのピシャピシャとした絶え間の無い経のような雨足が演奏されている。出勤前の息子はそれを「あんたの料理している音だよ。降ってない」と一言言った。しかし玄関を出る時「雨だ」そう呟いた。

今は間違いなくそうなのだと思う。それを確かめに外に出る事を私はしない。
昨日グループカウンセリングで行った「ストレス耐性度チェック」のようなテストで、「物事の事実を確かめる」という項目は耐性度の高い行為らしい。ひょっとすると、心の一部が萎えたか折れたかしているのかも知れない。客観的な評価は必要なのだと思う。

起きて、2時間が経ち、キッチンのを整理し、昨夜の風呂で洗った湿ったセーターをネットの上で整えた。ストーブを着け、バナナジュース、イチゴジュース一杯ずつ、ゴールデンキュウイを1個を口にした。まだ寝間着にジャケットを着たままだった。紅茶とロールケーキが手元にある。水で顔を洗った時、鏡の中にいた私は、何も考えていないような見ず知らずの女だった。

確か、交感神経と副交感神経の話を昨日聞いた。今日、私のこの二つの自律神経バランスはどうなっているのだろう。

雨の中で交戦する。雨を物ともせず、オッサンの家に突進する。目がギラギラして涎を垂らし、頭の中でカンカンと警笛を鳴らして。「今スグ、助け出してやるよ、待っててくれ」と。交感神経さんよ、それはちょっとばかしおかしい。

もし副交感神経が亢進していると、ゆっくりした鼓動や呼吸の中で、雨を眺める。
「残念な話は世の中いくらでもあるさ」「まあ、助かってれば御の字」「こんな出来事が時々あるのが人の世ってもんさ」とのたまう。そいつもどうかな。

そのどっちもが私の中にいる。今は身体の機能がゆったりしている。でもいったん行動を起こすとそれは逆転し、不安とストレスの真っただ中に投げ込まれる未熟な遠泳生徒になってしまうのだろう。
12月10日(木)続々

その後、午後と夜の2度の電話に相手は出なかった。処方薬で寝ているのだといいのだけれど。

少なくとも私の中では、彼(私のカウンセラーのひとり)のアドバイスは異端でもなければ、少なくとも排除されるべきものでは無い。
つまり「アルコール依存症者を世話する周囲の人は、もしその人がそうしたいと思うのなら、躊躇する事なくそうしてもよい。最後に後悔しないために」「なぜなら生きているという事は重いものだから」たぶんそれは、当の本人は無論、身内にとっても、そう説明する事が可能だと言う。

そういう意味の話を今日も聞く事が出来た。最後に「その手助けの内容も関係する」という附則もあったことはあったが。

安心した。もし、今日偶然に、このグループカウンセリングのセッションが予定されていなかったら、私は今かなり潰れていただろう。



喪失、それは相手の生を、自分の脳裏から消去する作業だ。

それは別離とも違う。別離とも充分似ているのだが、私にはまた異質なものを感じる。喪失は、生物進化の綿々とした進行に覆い被されながらごく普通に繰り返される。たった一つの生命体とその周囲の話ではある。

ヒトの死と言えども、それは庭に飛翔する一匹の昆虫の命の消失に等しいのかも知れない。けれど、私は想い出す。確かに、今日その男は私に何か訴えていた。私はそれに応じなかった。私はその男の耳には聞こえない何かを口走り、その男の視力では見えない姿をさらに遠くに持ち去った。暗闇がその男を覆っているに違いない。もしくはそのナキガラを(!!!コレハナントモオモククライニッキダ!!!)

少なくとも私の中では、異端でも何でも無い彼のアドバイスを、好みの古びた毛布のように纏っている。

「一緒に住んでいるんでしたら(オーバードースの経過を)観察されればいいじゃないですか?」と男の看護師が冷たく私に言った。「いいえ、ただ通り道にいるんです」と答えた。もしかしたら観察し続けるべきだったのだ、と今思った。

男の掌、皺っぽくなってしまったね、と私が触った。それから頬、突然生えたようなたった1本の髭がたぶん左右の頬にあった。時々だけ会わせてくれる目。非常に掠れた声と黄とオレンジ色の嘔吐物の付着した口の周り。それと臭い。何もかもが懐かしい。きっともう地球上の何処にも無いのかも知れないが。それを私はきっと、特別な時間をかけて受け入れるのだろう。
12月10日(木)続

"「財政的自立」を得ることです。すなわち「買えるから買う」から「必要だから買う」への転換こそが重要なのでしょう。"


BS海外ニュース番組のレポートで、ブロンド髪のキャスターが最後にこうまとめた。
私は以前、自分のこの依存行為を否認した書き方をしたのを覚えている。自分は単にイージーな消費者であるだけだ。しかも、ローンも無ければ、小遣い帳の管責任者が別にいるとしても、彼は何の不平も言わない。「小遣いの範囲」だという意味でセーフなのだとかいう自負があった。

問題は、そんな周辺にある訳では無い。寧ろ、もっと別の所だ。
心の空虚を行為で埋め合わせる、と言う辺りに。
ネットも同様。だとすると、この日記も立派に仲間に入っている。
心の深い空隙は、誰にもあるのかもしれない、それをどうしても埋める。埋めて埋めて埋める。地底につながるトンネルのように深いのに、鉛筆削りのカスや、ショコラケーキの上に乗った削りチョコレートのような物をいくら投げ込んだ所で、一芝居に過ぎない。

今日、中古屋に寄り、電気炊飯器を買った。320円だった。1.5号炊きの可愛いサイズだった。そんな必要は無かった。デブの体操選手が重量挙げをしているCD掛けを買った。50円だった。そうする必要は無かった。牛乳瓶やヨーグルト瓶の紙の栓を抜く器具を買った。2本で10円だった。懐かしかったが、それを使うチャンスがゼロに近いと知っていた。

何かをつねに買っている。食料品にしたって今日はそうだった。肉も野菜も多過ぎるので、調理に何時間も費やしている。菓子類も多い。何かが可笑しい。

床で倒れている友人が気になる。
時々、気になっては、別の事をする。祈りをあまりしていない。
12月10日(木)

何かが変わった。何かが変わらずにそこにあった。

私は3枚目の布団を仰向けの男の胴体に掛けた。2つのPCデスク、チェア、キャスター付きの小さなテーブル、ゴミ箱、ガラス戸とカーテン、その隙間に器用に寝ているのだ。正確には倒れ込んだまま起き上がれない。両目を閉じ、喋ってるか、喋ろうとしている気配を時々感じた。

私はその男の足元に目を遣ると、白いソックスを履いたその2つがまだ布団から出ていた。布団を伸ばして覆った。南西向きの部屋であったが、晩秋の陽光はとっくに立ち去っていた。

まず「寒い」という言葉が聞き取れた。このように短いフレーズだと都合良く聞き取れる。
私は今日午前中2回目のオッサンのアパートの訪問に来ていた。どこか落ち着かなく、その度合いは、自分のしている事を、きっと誰一人説明したり納得させたり出来ないだろう、と言う評価に置き換えていた。一回目だって、決して落ち着いていたとは言えない。犬を怒鳴っていた。「こっちに来なさい!」その部屋の中を私の犬が歩き回ることを好まなかったからだ。しかし、仕方無くそうさせていた。その時、オッサンをグランドレベルに垂直かそれに近い状態にしよう、と無駄な試みをしていたからであった。

大変不思議な事だったが、今朝、最初に彼に会った時は、別段何も感じなかった。PCチェアに座り、昨日の出来事を語っていた。私はそこを少し離れてベッドを作っていた。戻ると持参した粥を食べていた。急いだ風だったので、私はもっとゆっくり食べれば、と言った程だ。茶を煎れると、それを一口飲んだ後、立ち上がろうとした。そして、椅子の中で格闘した。最後にその右端に腰を載せてから、一気に崩れ落ちた。ロレツが回っていない事に、その辺りでやっと気付いた。

この人は積み木のように「接着されていないパーツ」で構成されていた。

とてつもなく重い、それだけが感覚として残っている。
重く、そして硬直している。大の男の胴体と四肢、そして頭部が私の手に負えない異質の存在だと識った。「よいしょ、よいしょ」という男の非常に小さな声がどこからか聞こえている。手に負えないと分かるや否や、私は途端に冷たい女になった。処方薬の「飲み放題」をしたのだ、と言う事位はわかった。目をずっと閉じている。何かを言ってる。

こうして私は家族会に遅刻しながら向かい、そこでその話をし、その足でまた戻った。
「放っておくのがいでしょう。自分で招いた事です」
「私の責任ではない、と思うんですよね」そんな会話をスタッフとした後で。

しかし、私は無理矢理、通りがかりの看護師を呼び止めて、メモして来た薬の名を見せ、オーバードーズの件も述べた。ベンザリン5、フルニトラゼパム アメル2、パキシル20mg、レポトミン5mg、それらをたぶん沢山。
「私は立ち会っていませんから、何とも言えません。問題があるケースもありますね」
礼を述べて、そこを立ち去った訳だ。大いなる無駄の一コマが、この質問行為だった。つまり、どちらかと言うと聞いてよかったと思った。

布団を3枚掛けられた男は、たぶん今現在も身動き出来ないような狭い場所に寝ているだろうが、少なくとも寒さで凍死するという筋書きからは遠のいた。

その部屋で私は、怒リっぽく意地悪な気持で心が満たされていた。
しかし、たった一回「しゅっ、しゅっ、しゅっ」という聞き取れない音声を聞き取り、それが「チュッ、チュっ、チュッ」といういつもの挨拶の一種が、音声を替えられているのだと分かった瞬間を除いて。

「何? 今何って言ったの?」そう言って私は大笑いした。それからすぐに、また静かに怒り出した。

ごめん、私は自分をまだコントロール出来ていない。
しかし、私は3枚の布団を彼の上に掛けた。そのことは間違い無い。
12月9日(水)続

「犬のマンチ触った手で俺を触らないでくれ」と言った。そんなジョークが出ると私は本当に嬉しい。
私は自己流だが人にマッサージを施すのが好きであり、昨日は久々のリクエストがかかった。オッサンを表側にしてから裏側にした。犬が自分も自分もとせがむ。私の犬の場合、恥ずかしい事にそれは性感マッサージなのだが。オッサン4、犬1の割合で順に施術する。そんな出来事を思い出す。


その犬がいま、東京の自宅でガスストーブの送風に耳の毛の束を揺らしている。旅行で食べ切れずに持ち帰ったキッシュとピクルスを、茹でたムール貝の皿と一緒につまんでいる。


さっきオッサンから電話があり、今朝私たちが別れてから今までの様子の連絡をしてくれた。声の音量か電波か、おそらくは前者の問題で非常に聞き取り難い。診察を受け、短期の入院を勧められたそうだ。そのニュースは驚きだったが、少しの安心を私に提供した。このようなニュースを前に、私の役割とは本当は一体何なんだろう、と思う。どうして彼は私に細々と連絡を入れて来るのだろう。


キッシュを食べ終わり、それは再び購入しようと思わせる程美味しかったが、チーズの何種類か入ったパン林檎入りのパン、そのいずれもが半額だったと思う、を食べた。犬がチーズ系の料理2種に例のあの乞うような眼だ。

うっかりうたた寝をしてたしまった。つまりそれは、明日という日に自動的に少しだけ近づいた、という話。
12月9日(水)

一度降雨があったように、その湊町の家々を縦横に結ぶ小道のアスファルトは薄黒く色が変わっていた。確かその小道には、一つの名称があったのに私は思い出せない。マンションをぐるっと回るとても短いその散歩コースは、もう20年以上も私の脚に馴染んでいた。犬と朝5時に起きてそこを散歩した。幾つかある最後の小さな角を曲がり、泥の匂いのするミカン畑の上部を見上げると、8階立ての建物を覆う白い工事用の仮囲いが巨大な棺のようだ、と私は思った。6時にこのマンションの工事屋が建物の前をクルマで通過するので、留守中の部屋のカギを渡す約束をしていた。散歩を終えて部屋に戻ると私の知り合いのオッサンは深々と布団の中に埋もれたままであった。

昨日の午後スタートした新しい小旅行にどうしてオッサンが同行しているのか、私は上手く説明出来ない。旅行をするなど、とてもそのような体調ではない。何もかもが曖昧であり中途半端であり、同時に危険でもあった。それを無難に一応ここまでやりこなした。

まず私が出かける旨を電話し、彼がその30分後に掛け直した。「15分か20分でいい。寄って欲しい」
私が一人で向かうはずの経路の、その途中の駅に友人が住んでいたのだ。そのアパートに入るや彼は口を開いた。「僕も一緒に行く」汚れた服すべてを着替え、やっとこさ駅まで歩いた。2駅目で座席が空くと「座れて一安心した」と言った。心の底からそう言っていた。

駅中で蕎麦をほんの二口三口食べただけで、風呂に入れたのも不思議だが、私に爪を切らせてくれた。足の爪はさせてくれなかった。そして食べた物を全て吐いた。それから何度か吐いた。水、薄い茶、タバコすべてが嘔吐のチャンスを伺っていた。

抱き締めたいのに、と私は思ったが、何もできない。隣のベッドでじっと寝ている男は最初に「寝てるだけだけど、いい?」と私にことわり、その通りにしていた。10日間も食べていないし、家からも出ていなかった。誰にも会いたくなかった、だから今も同じで、どんなストレスも受けたくないという理由を私はわざわざ聞き出した。そうする必要もないのに。
翌朝8時にここを出て、×沢病院のアルコールの診察を受ける、と言う。来てくれただけで感謝すべきなのに。

「ねえ、(関係者は)皆こう言うでしょ、私は姿をくらますべきだって。××の回復のためには。どう思う?」
「どっちでもいいさ」
「私は手伝う方?」
私は反吐によるシンクの汚れを「ねえ、来て」と呼び寄せて掃除させた。パジャマのズボンは尿で汚れているか「自分で臭いを嗅いでよ」と指示した。
「どうかな。どっちかっていうとしてもらいたい。君は姿をくらますことなんか出来ないさ」そう言って笑った。
「飲む人は飲む。放って置け、っていう人もいるわ」死んじゃうんだけどね。
「そうだ、本人しか決められない」

「私はどんな存在?」
「連れ出してくれた。あの部屋から。だから、、」
「はっ」と私は笑った。「連れ出し屋!」世の中にそんな職業があるのかも知れない、私が知らないだけで。

要するに私は正真正銘、蚊帳の外にいて、やはり正真正銘の「小銭入れ」なのだ。恋愛感情なんてどこにもない、今は。しょうがない。病人だから、しょうかない。

「ねえ、元気になってね! ほんとうにね!」腕をつまんでそう言って別れた。井の頭線のホームに上がる階段の手前で。その場所で別れるのは2度目で、最初の時もその足で主治医に会いに行ったというし、今回もそうするのだろう、と私は思った。
12月8日(火)続々

12月8日は成道会、ブッダが悟りを開いた日だ。
昼のNHKニュースによると、各地の禅宗寺院で一般の人向けの座禅会も催され、また僧侶に関しては12月1日から8日まで、寝ずの修行もあると聞く。
信心深い人々の仲間入りを渋って、私は今まで生きて来た。
しかし、控え目ながらも自分自身や周囲に近寄る「老」や「死」のきざしがその入り口を平坦にして和らげた。

私の10個の将来の見積もりを過日、11月28日の日記に記した。その10番目の仕事が「信仰を求める」であった。信仰と言っても、遠いものでは無い。ご飯を食べる前に掌を会わせたり、もっと身近には「吸気と呼気」に祈りを込めて行うだけでよいのだ、と自分では考えている。あるは歩行。だからそれは、いつでもどこでも肌身話さずきっと可能なのだ。なので、ほどほどに行おうと思っている。

排水設備屋と大工が二人でキッチンの水回りの修理を行っている。犬の具合が再びよくない。今日は、しかし今日一日は再び戻らず、そして明日は明日でまたやって来る。Anyway.

*****

スポンサーお願いメールを少し書き直して送信した。
12月8日(火)続

「△△さんに、私のスポンサーになっていただけませんか」というメールを送ろうと思う。

本文はたぶんこんな風になるだろう。
こんにちは、ご無沙汰しております。
いかがお過ごしでしょうか。××では、大変お世話になっております。

以前、△△さんから「○○さんは、12ステップを行う気持はありますか?」というお言葉をお聞きした記憶がありまして、今回思い切ってご連絡いたしました。
昨日、私は生きて行く事がどうにもならなくなった事を正直に認めました。
私は、ご存知のアルコールの重症患者××さんの生死に関する事実を受け入れつつ、自分が生きて行く事が出来るためには、私自身が考え方と生き方の両方を変えることしかないと思いつきました。

では、私はどうしたら12ステップを始められるのでしょうか? たぶんスポンサーをお願いできる方を得たら、始めることができるのだと思います。そこで、唐突ですが△△さんにぜひお願いしたいのですが、、、。お忙しい中恐縮です。よろしくお願いいたします。

以上、メールにて大変失礼いたしました。勝手ですが、もしどちらかでお会いしてお返事を伺えたらと思います。
本当に、どうぞよろしくお願いいたします。

******

生きて行く事がどうにもならなくなった。その事を認めた。

全くその事とは正反対に、ちょうとその頃(昨日)からエスプレッソマシーンで美味しいコーヒーを煎れる事がまた出来るようになった。
私の心の中の冷たい火が、まるでバーナーに似た加減で、銀の重く小さな食器を焼く。
12月8日(火)

ある競技会場の一角に私はいた。
これからスタートするひとつの風変わりな競技にノミネートされていて、それはまさに始まろうとしていた。

ルールは、介助者が主役で、ざまざまな条件を備えた老人や障がい者を自分の好みで一人を選び、スタート地点からゴールまで運ぶのだが、そのまた通過するコース環境も各種あるので自分で選択できる。こう文字で書くとなんだか分かりづらいが、実際もうスタートの合図が鳴っていた。

競技ではあるものの、周囲に相手競技者の姿は見えない。私は自分の選んだコース環境、それは説明書の最初にあったので単にそれにしたのだが、カラフルな障害物など、変化の多くゴタゴタとして歩き難い屋内のコースを、見知らぬ老人の車椅子を押して駆け抜けていた。

私は自分の心の中で興奮を無理に鎮めながらも、この未体験の競技に没頭していた。