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12月31日(木)続々々

〜自分自身と出会うために〜

相当クサいサブタイトルだけど、やっぱりそういう事かなと思う。
自分で自分が分かってしまったら、全知全能という事で病人。分からないので面白いし健康なのだろう。
大変限られた一瞬の生を生きる。

ジョー・マキュー著『回復のステップ』p.18にこう書かれている。
「私たち人間は、この地球上にほんのわずかのあいだしかいられないことに気づいてほしい。世の果てしない時間の広がりのなかでは、私たちの一生はほんの一瞬でしかない。それは目に見えないほどの点のようにものである」

こうした考えは、宇宙物理学者にも共通するのだろう。自然哲学と宇宙論、宗教と素粒子物理学が融合する。


今年はとか、来年という区切りもそうなら、さまざまな専門家の作ったプログラムを一種忠実に踏む事も、筆箱の筆記用具を使うような、たわいもない仕草なのだと思う。

もし私の脳や行為が、8本足のタコのように色々融通が効いて、8種類の仕事が同時に出来ると仮定したら、その1本の腕でそのプログラムを書き進める。後の7本は未だ目的を決めていない。海水を泳いでいるうちに、きっと何かに出会うのだ。


さてと、、、年越し蕎麦を作りにキッチンへ行こう。
乾麺を上手に茹でられたら、今年の仕事はこれで終了。


みなさま、大変お世話になりました、よいお年を!
12月31日(木)続々

このブログについて、たった一つ、どうしてもここで断りたいことがある。
以前いつかの日記でも書いたが、、、ここに毎日のように登場する私の特定の友人について。ブログに書く事に関して、、、つまりその本人はどういう考えを持っているかという点である。私自身が大変感謝している事。


「(自分の事をあんたがブログに書いて、全世界にオープンにしても)まったく構わないよ」という点について!!!


「どうしてなの?」その時少し驚いて、私は聞いた。
誰もそれが自分の事だなんて分からないからだ、と答えた。そうね、と私は答えたのを覚えている。それが真実であろうが無かろうが、寛大であるという点がはっきりと残っている。普通の友人では、その理論は通用しないと思う。世間では私小説を公開したとたんに、別れたカップルなどの話も聞く。彼の私へのある種の感情の別表現なのかも知れない。


そして、本人が読んでいるかどうかという点に関して。(読める環境にいる場合は)朝のインターネット配信の新聞を開けるの同じ動作で、大体このブログを開けていると言う。

大変注意すべき事は、それは特殊なのだという意味で、私の周囲の人々に関しては無遠慮に登場させてはいけないと考えている。好意を持って書こうが、その事は極力避けるようにすべきだと私は思う。
12月31日(木)続

ブログを書いている事について、考えてみた。
今年の4月から始めた。今年一年で自分が新しく始めた事の中では大きな事だ。
年の終わりにふと考えてみた。
誰に向けて、何を書くのか。そして目的は?


《読み手》〜自分自身を除いて、、、
1.不特定の方々、友人知人を含む
2.依存症のご家族など、同じ立場の方々が読んでいただけたらと思う
3.私のAAの知人、私の援助職(カウンセラー)の方々などに読んでもらえたらと願う

《書く内容》
1.日々の出来事と感想
2.何かのテーマについての考え
3.夢日記

《目的》
1.後に読み返す時のための記録として
2.自分自身を知るため
3.考えを整理するため

ありきたりである。
しかたない、と言うかそんなもんだ。書く事で何かが変わるとしたらスゴい。それを実験している意味もあったりして。
12月31日(木)

強い風が二階のガラス窓の外で時々自分の存在を誇示している。

大掃除の4日目、自分の部屋の片付けの続きをした。音楽テープとビデオテープを100本程まとめて捨てた。
それとクロゼットの最上部とか、籐家具の細々とした細部に隠れたホコリの除去。つまりは金属製の編み針の先でゴッソリと掬い出すのだ。ホレホレなかなかの量じゃ、と独り喜ぶ。後は家全体のザッと掃除機掛け。
その後、犬を風呂に入れ(自分と一緒に)、ブラッシングで仕上げた。


料理の方は、、、昨夜のスーパーで、半額に値引きされた品々、加工肉、魚貝、総菜、ケーキ、野菜、果物、飲み物を買い足し、正月の正しい越冬に備える事にした。食料品買い出しも3店舗目を終えた訳だ。


だからどうと言う話でも無いのだが。正月という客人を単なる「習い」として「お招きする」という風な、、。まあ、部屋がキレイになった事はいい事だ。誰かさんアパートの部屋がキレイになった話を昨日本人にしたら、「ありがとう」って言ってくれたし。
12月30日(水)続々

今夜、アラノンに参加した。
繰り返しになるが「アラノン」とは、アルコール(または薬物)依存の人の家族と友人の自助グループであり、日本各地に190カ所以上あるとそのHPを開くと説明されている。

そこは、今年最後のミーティングであった。十数人の参加者はすべて女性であった。つまり夫の飲酒が9割。《聞きっ放し》の約束事のため、内容はそこまでで終わり。


今日私はそこで、自己紹介のような事と、二つのテーマに絞った。最近、相手の生死が危ういという状況で自分自身の「底付き」があった事。したがって12ステップのプログラムを行う用意が出来た事、付け足しとしてブログを書いている事。恥ずかしながらその話をしてしまった。すると終わった後、3人の方から反応があった。


以前、URLをお教えすると伝えていた方、時々お会いする方の2名に名刺を渡した。もう一人、以前にURLをお伝えしていた方が意外な言葉を掛けた。
「ブログ、時々見てますよ!」
「ええっ、本当ですか?」
嬉しかった。そしてたぶん赤面してしまった。部屋の暗さでバレない程度に、だ。


とにかく、ここで話を聞ける事は本当に幸運だ。今日、そこに集まった人々の、心のヒダの近辺に私が通り過ぎたという事実は、奇跡的で特別な出来事に違いない。


帰路、南北線でご一緒した方に、フローリングのワックス掛けの話の続きをほんの少しだけ聞いた。階段も、するのかどうか。
「そうですか!?」でも老犬が滑り落ちないといいが、、、。
12月30日(水)続

今日の昼、入院したボーイフレンドの見舞いに行った。12月21日からだから、10日間近くの病棟生活になっていた。色々なモノが抜け落ちて元気そうだった。

「久しぶりだね」と最初に相手が私を見て言った。
なぜか私はそんな感じもしなかった。
たぶんそれは、入院する直前は、イヤと言う程、相手の顔に向って視線を投げ掛けていたからだ。殆ど反応の無い顔。だって酒と処方薬で正体無くしたその顔は、もう見飽きた程だったから。


その上、この間、病棟日記のような官製葉書がほぼ毎日届き、電話も一日一回ほどある。それらは、淡々としたモノであり他意も無い。そして実際会うと、半時間程であったが、何かが変化したという感じも特にしない。実は後から少し感じたのだけど、、、。


私の苦手な煙草を吸い続け、昼食で出されたミルクのパッケージを時々ストロで飲んでいた。雑誌を1冊買ってみたが、まだ活字は読めないと言って君にあげるよ、と言う。手持ち無沙汰だったのでパラパラとそれをめくると「また表紙に指で押さえる。痕が付く」と注意する。自分の退院計画を喋る。緊張が取り除かれた感じも無くは無い。それはよかった。私の事も「どう?」自分から少しは訊ねる。珍しい事だ。親密な動作を少し長めにする。


「じゃね」と言って帰ろうとすると「送って行く」と言う。自転車置場まで。そこで私が支度をするのを待っている。また挨拶をして(困ったオッサン!)、こぎ出そうとする。すると一緒の方向に歩き出す。「あれ、まだいるの?」「散歩さ、、」私も降りて門まで押して行く。そこで正式に別れた。この楽章は長いエンディングだった。


家からの走行距離を計ると、片道約11.5kmであった。家に戻り、タンメンにボイルした海老を入れたソバを食べて、自分の部屋に上がり、ぼんやりネットを眺めていた。寒い陽気では無いのだが、足先だけがとても冷える。マフラーを首元に、足に電気ストーブを当てる。


私に一番近い人は、今日病院の喫茶スペースで挨拶した、家族会でご一緒した△△さんのお母上だ。年末年始に同じように入院されたご子息の面会で来られていた。私は「頑張って下さいね」と励まされた。その方のご健康を心からお祈りする。息子さんより、どちらかと言うとその方の方の、、、。
12月30日(水)

その夢で私は半分団体行動にはまった旅をしていた。場所は伊豆半島。出発日時と集合日時が決まっていて、その他は自由行動なのだが、行くべきコース(観光スポットと呼ぶには、例によって非現実的な風景なのだが)は限定されている。


私はいろいろ考えて、案を決める。自分としてやはりどうしても訪れたい場所とかが、あったようだ。そこには他の人々は、あまり行かなかったようで、地元の住民に出会う程度だった。海の景色でなかった。時間が迫っていたが、伊豆なので「せっかくだから海も行きたい」と欲張り足を伸ばす。ヘトヘトになって何とか皆に合流出来たようだ。


すると、そこに最近知り合ったような10代の大変大人しい女の子がいて、私が話しかけ、相手をしてもらう。妙な感じなのだが、私は彼女に気に入られたいとか、特別な関係になって欲しいと思っている。一風変わった子で、どこが私の好みなのか自分でも分からない。隣にお揃いの民族調のジャケットを着た男の子がずっと座っていて、二人とも背丈が大変低いのだが、結局連れ添って私から去って行ってしまう。男の子の方は、安全に彼女を私から遠ざけようという結論に達したようで残念だった。


次の場面で私は他のメンバーとともにハイキングをしていた。「〜とともに」と言っても、実は個々人は別々で、自分の歩幅や速度で自由に登っていた。背の高い、がっしりとした体格の欧米人の男たちだった。歩いているシーンはわずかに数分間だけだった。景色については、確かに夢らしく、ビビッドで有り得ないような魅力的なものであったと思う。「そうか、そんなに遠出しなくても、自分の近くにこんな素敵な山道があるんだ」と安心した。
12月29日(火)

今日、ケビンのキリンバ演奏、そしてアフリカをルーツに持つミュージシャン達によるジャムを聴きに行った。踊った。アフリカ伝統音楽 JAZZ FUNK AFRICA ! 
Year End Festa - Tribute to Earth Wind & Fire -。自宅の近所にある「マサイショップ」というケニア関係の店で知り合った店長の紹介によるイベント。その会場は横浜の赤レンガ倉庫だったが、、、思い切って家からチャリで向った。


今日一日の感想としては、チャリが75%、音楽が15%、残り10%は混沌とした人間関係。つまり私が病院に行かなかった事、電話が無い事など、例のあれこれ。


それはそれとして、往復54.28km。走行時間4時間19分2秒。すると平均速度は、、、。最高速度は、、、。恥ずかしくて書けない。これはママチャリのデータに近い。良かった点、横浜のみなとみらいをチャリで走れた事。それは浜っ子でなければなかなか出来ない業だ。すごく気持いい。家からちょっと遠かったけど。


パーカッションに再び惚れた。特にアフリカ系は病み付きになる。踊れたのもいい。この出会いに感謝する。年の背なので、今日などは箱根駅伝のコース下見と行きました。しかし一方で、病気の友人さんは昨夜の夢には主演されていたのに、、どうなされたのか。その、つまり、、、顕著な出来事とは一応切り離された、恒常的なうつって、周囲の人間はどう接したらいいのか。どなたか教えて欲しい。

出来れば音楽、一緒に聴きたかった。
12月28日(月)

今頃の時間、この年の瀬でありながら残務整理に追われている会社の人々が確かにいる。5年前から早期退職している私は、その点アタマがあがらない。そんな時は、亡き母親の援助に感謝すべきだと考える。取り敢えず、健康で衣食住に事欠かなく、精神的にも落ち着いた年の瀬を迎えようとしている。


忘年会と呼べるかどうか、そういった会合もこの時期、数回あった。酒の席が1つ、お茶のパーティーが3つであった。酒の席は、環境ボランティアのグループ。お茶の席の方は、坐禅のグループ、フェミニストのグループ、依存症家族グループであった。そのどれもがアットホームで、自分が歓迎されている気持がした。


今年一年を振り返ると、あまりに極端な出来事が多く、それは新年の1月2日から始まった。このPCにもまだ落としていない古い日記の文字の累積が、もしそれを開けるとすると、あっという間に私の心をそこに連れ戻すだろう。その時の事を整理する仕事が残っている。いつかはそれをしなければ、と思う。たった一年前なのに、もう100年も昔みたいな感じがする。


4年間近く付き合っていた相手が、お互いの方法が噛み合なくて、この一年間もやはり、とても淋しい思いをしていた。それはその人の、一種の精神科の傷病に関係するのだと、時々思っても、やはりその時々は立ちすくんでしまう。そんな私の姿が、逆に苛々を高めて相手に苦痛を与え続けたのだと思う。


相手の時々言う言葉「人生、なるようにしかならない」をどう理解したらいいのか、分からない。明るく、悟ったように語る。「へえ、そう?」とただ私は言う。


何も努力せずに、流れにまかせていればよい、という意味だろうか。それとも、誰かと(例えば私と)争いを避けて(支配しようとなどせず)平和に過ごしたいという意味だろうか、それにはお互いの努力が必要なので、流れに任せるという感じもしない。


その「人生、なるようにしかならない」と言う言葉は、私からずっと離れた遠くの彼方から聞こえてくる感じがする。でも今度、それをちゃんと聞いてみよう、思い切って。何かを、そういう風に思い切って「しよう」と思うのは、勇気が要る。なぜなら、この頃はそうしていない。「そうなの」とか「ふうん」とかしか、話せない。


私はチューブから、ほんのちょっと絞り出した歯磨きペーストみたいに相づちを打つ。


来年とか今年とかの区切りは、一体どこにあるのか解りづらい。NHK番組とかが、それを区切ってくれるだけだ。来年、もし私の態度が、より自然により温か味のあるもので組み立てられてもいいヨ、と相手から言われたら本当に嬉しい。
12月27日(日)

多くの人々は、旅人は別として、決まり切った場所で毎日を過ごす。
自宅のベッドで5〜8時間、これは分かり易い。食事を取る場所、その後の寛ぐ場所もあるだろう。バスルームしかり。

通勤する人にとっては家からのその道、乗り物の箱、再び事務所ビルまでの道。何万回となく繰り返し提供される風景。机と椅子。ロッカールーム。レストランやその他の店舗。それには慣れなきゃいけない。好みで無い場合だって。そうして私自身もウン十年間やって来た。


今の私にとって、慣れ親しんでいる場所とは、つまり日常の多くの時間を過ごす場所は今現在自宅である。旅を開始するには、つまりその旅の発車時刻までの時間がたっぷりあるので、そうしている。


自宅の1階、細長いリビング(キッチンが左方面にあり、2室は殆どと1室である)、そして日付が替わる頃やっとこさ階段を昇って上がるベッドルーム、この二つ。
それらの年末の大掃除がほぼ終わった。


一昨日は大々的な掃除機掛け。
昨日はカーテンと窓ガラスと網戸、フローリングのワックス掛け。
今日は寝室。拭き掃除をして蚊帳を外した。不用な品々を捨てた。クッションを新しくした。今日、たまたま韓国の民俗調クッションを手に入れたので。


ホコリを取り除くとか、黒光りした汚れをクリーンアップするという意味で、清掃は好きだ。前はそうでも無かった。自分は家事の中では、料理や洗濯の方が好きなのだと思っていた。けれども掃除もバカに出来ない。達成感たるや、料理、洗濯以上である。裁縫はまだまだダメであるが。家事、、、これは性別に関係の無い仕事であるのはモチロンなのに、つい忘れて「女の仕事」とか言ってしまうのは、なぜだろう。
たぶん、長年の間に染み込んだ「ジェンダーバイヤス」が舌の先から転がり落ちるのだ。そうかそうか。自分はまだまだ古い古い。


明日は会社関係の最終営業日が多い。コンタクトを済ます。