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カテゴリ:12ステップ( 35 )

5月21日(金)

昨日の余韻が残っている。
どうしてだろう。考えるに、昨日会った人々、顔を知っている人は40〜50名中わずか4、5人だったのだが。


そこにいた人々全体の醸し出す雰囲気に圧倒される。とても真剣に話に傾聴する態度。スピーカーの話に同意するのだろう、短い声を出す人もいた。


会がお開きになり、お互いに挨拶する時、たぶん分ち合いとか、フェローシップで余りにもその人の情報を知っているので、余計な気づかいも要らないかのような。かといって共通の事項が「仕事」でも「趣味」でも、はたまた「血縁」でもない。言葉で言ってしまうと「生き方」とかなのだ。少し重ためな。少し、、、かなり重ためな。


もうひとつ、ACを自称された「同じ取り組みをしている別の仲間」の方の話に、どちらかと言うと新鮮さを感じた。比較的若いその方が12ステップを始め、「棚卸」をしようとしたら「あれ、自分は誰を傷つけて来たんだろう」と立ち往生したと言う。


「まずは『恨み』こそが根源であるとAAでは言うが、自分は誰も恨んでない」「自分はAAの人のように、大酒飲んで暴れたり、人を脅したり、暴力をふるったり、物を盗んだり、ウソをついたりしたことなかったですから」「そんなリストは作りにくい」という意味の事をたぶんおっしゃった。そうしたらAC用の赤い本があり、コレコレこういう風なので大変役に立った、という話。


ところで、その方が傷つけてきたのは大概の場合、自分自身だと気付かれたそうだ。


私はどちらのステップも行った経験が無いので何とも言えない。
しかし私の場合、生きている限りにおいて誰かを確実に傷つけている、と思う。ある場合(や瞬間)は自分が存在するという最低限の事実ですら。さらに暫くの間、まったく鈍感なことに、それに気付かないでいる。


それを気付いたときには、大抵の場合は遅過ぎた、という経験が多い。
だから、そんな出来事を少なくしたい。たった今を生きることで。
5月20日(木)

「池袋木曜ステップ勉強会」の特別企画のお知らせをあるAAメンバーからもらったので、今夜、池袋にある統廃合後の小学校の建物に行った。


AC(アダルトチルドレン)でかつAAメンバーの方(ACAと言う)が、米国で出版されたACのためのステップその他の教則本について、ご自分の体験を交えて話した。もう一人のACの方と二人で。


帰り道、私は知り合いのAAメンバー2人と一緒だった。地下鉄の入り口付近で、そのうちの一人とも別れ、そのあと時々お世話になる一人と歩きながら、自分の近況を語った。ところがなぜだろう。どこか話が微妙にズレてしまう。どう説明したらいいのか、、、。
つまり、その友人の話を聞くと、もうあと数年で内臓疾患か循環器疾患、あるいはガンで、現在スリップしている友人がたちまち死んでしまうような気持になってしまった。


「でも、心配してるって伝えるくらいですかね」と彼は言った。
本当にそのとおりだ。
それを行うのはムリではない。
そのとおりだ。


AC用のステップ本、私は「まだいいです」と断った。
たぶん私はACではない。母は十分私を愛していたと、少なくとも現在では感じているし、父は1歳の時に急逝したから。夫婦関係は、とても短かったが愛情に満ちていた。
ただ、そんな事は別としてその本に興味が無い訳ではない。なのでもう暫くしたら、、、。
2月10日(火)続

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉息子

〈何をしかた?〉「あんた、いい年して色気つきやがって」軽い口げんかをした時、息子が私に向かってそう言った。
「それは嫉妬だよ」と友人が笑った。一番ガールフレンドがいてもいい時期に、そうでない息子の事も、健康な時の彼はおおらかに心に留めてくれていた。

手の内を全部見せちゃ負けだよ、と自分の中の誰かが言った。その続きは息子との会話に中にもあった。
「いいの、私はそれで」
「で彼の手の内は?」息子が聞いた。
「知らない、あまり知らない」
「、、、フェアじゃないな」
「それはどうでもいいの」
「あんたの手札はサイテーだったんだろう」
「まあね最低の部類、これ以上ない位」
「彼の手の内に何かいいカードはあったの?」
「あった! すごくいいカードが何枚か。見たような気がする」
「そう」とても短い言葉で息子は会話をお終いにした。


その本は2日後、郵便局で返送した。「今日中に返送して下さい」というメールをもらっていた。私は体力と気力を喪失していたので、郵便局の行き帰りを息子に付き添ってもらった。科学的データでは時速5.5kmでチャリを漕いでいた。時間外窓口には同じ背丈の無表情の5,6人の黒っぽい服装の人々が並んでいた。皆がそれぞれの目的で別々の生活を維持している。自分とは無関係の。返送が受け付けられ、そして一つの約束事が完了した。私と特別の友人の第一回目の別離だった。そしてその本とは、ビッグブックだった。借りていたのはたった2日間だった(数日後、私はその本を買いにセントラルオフィスに行った)。

付き添ってくれた息子はその時のハイアーパワーだった。息子は私が彼と付き合っていた4年間の間、彼とは一度も会っていない。


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉そこで私が用意した様々な感情のオンパレードを書き出すとすると、、、「口汚く罵倒する・攻撃・いやみ・泣き言・疑う・無礼・利己的・自己中心的・身勝手・高圧的・煮え切らない・理性に欠ける・苛々するエトセトラエトセトラ」。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉棚卸表とは何か。どうやら彼には「貸借対照表」「損益計算書」という兄弟がいるようだが。それはさて置き、チェックすべき「数量や品質」とは、過去に他者に向けて出荷した「恨み」「恐れ」などで、それらを棚からよっこらさと降ろすのかも知れない。そんな世にも恐ろし気な「人生の決算書」を頭に浮かべたとき、我が社一番の「安心商品」は自分の息子かも知れない。

息子を誰よりも大事に思っている。世の中で一番距離が近い肉親かも知れない。産んだその日、私は産科の病室でヘッドホーンを付けて音楽を聴きながら授乳しいていたので看護師にひどく叱られた。真夜中のおっぱいはたまらなく眠いのだ。そんな問題の多い乳を飲んで、スクスク息子は育った。私を越えてくれた。だからその事を本当に神に感謝している。
(今回の棚卸表はこれで一応おわり)
2月9日(火)続々々

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉特別の友人の前の彼女さん(故人)

〈何をしかた?〉身長に比較していうと、多少小太りかとも思った。真冬なのに白っぽいプレーンな半袖のTシャツ姿だった。会ったときと同じ表情、不自然なほど両眼を大きく見開き無表情で私を捉えたままだ。突然こう言った。
「あなた、もう△△さんを追いかけるの、止めた方がいいんじゃないですか?」
異様に暖房の効いた部屋でクリスタルガイザーの小瓶から炭酸水を焼酎の入ったコップに注ぐ。あるいはその逆だったのかも知れない。錠剤の詰まった銀色のシートが何枚もゴム輪でまとめて置かれている。大音響のテレビ、吸い殻の山。私は何にも増して招かれた客ではなかった。
 
「ねえ、私のお金が目当てだったの? 本当?」
「違う」「違う」彼と私が同時に言った。「でもお金も関係ある」私は急いで補足した。確か、彼女はその後でもう一度同じ質問を繰り返した。

帰り際、彼女の片手をそっと握った。その後とても軽くハグをすると、小柄な体を私に預けこそはしなかったが、拒絶もしなかった。傷つけてしまったとしたらごめんなさい。そう言葉に出せばよかった。「今日は突然お邪魔して本当に失礼いたしました」私は自分の言葉が発声されるのを他人の声のように遠くで聞いた。「どうもありがとう」聞き違いでは無かった。彼女の言葉を理解出来ないまま、私はドアを閉めた。

傷ついたのは彼女だった。私と彼が彼女を傷つけた。その日彼はいつものやり方で私を傷つけた(途中で彼女が止めてくれた)。私も十分に彼を傷つけた。しかし、その日彼女は誰も傷つけていない。門を出ると、そこにはまだ薄明るい午後3時台の景色が描かれていた。黒い自転車用のグローブで流れる洟を止めようとしたが最低限の仕事すら許されなかった。瞼をたちまち肥厚させた。


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉インターフォンを押していた。その私は非常識な事をし始めていた。二人の間に入って行って「私だってこの世界にいる」とアピールしたのだった。彼は彼女に、新しい恋人はいたけれど「現在は別れた」と嘘をついて元の彼女さんの家に入り浸っていた。だから「どうぞお二人で付き合って。でも私という存在もいるの。私も彼を愛している。それを知って欲しい」と告げたい衝動に駆られた。それは非理性的で幼稚な感情だった。

「あんたが××ちゃんの前に現れてから、××ちゃんは酒を飲み始めた」と彼は言った。その後で「私かあの人か、どっちか一人にして」と諭した、と彼から聞いた。訃報を知った数週間後、私たち3人を知ってるある方は静かにこう説明した。「あなたの訪問と××さんのご不幸とは関連性は低いと考えて下さい」


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉無力であるという意味は、いくつかある。まず彼女の死という事実に対して無力である。彼の彼女の死に対する悲しみに対して無力である。彼の私(私の言動が彼女を傷つけたこと)に対する怒りに無力である。それらはすべて過ぎ去った事でもあるし、そうでないような気もする。「墓参りに行きたい」と彼は言っていた。それが唯一「霊的なしごと」なのかも知れない、私はとっさにそう思った。


ケイタイを拾い、彼の番号を押した。
数週間ぶりにそうした。誰もそれを取らなかった。
2月9日(火)続々

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉特別の友人

〈何をしかた?〉天候みたいなものだ。晴れている時もあれば、土砂降りの時もある。今はどんよりと雲っている。色々な記憶が不自由な言語で盛り付けられていた。通り過ぎて行く姿を追わないけれど、心のヒダに大切にしまってある。「もともと俺に取ってあんたなんか、いてもいなくてもどっちでもよかったんだ」最初にそう言われた時、心が凍りついた。今は少し霊的に考えられる。何故、相手がそう言ったのかと考えると、きっと自分が無数の方法で相手を傷つけたからだ。そもそも相手を傷つけずに関係する事など不可能だったから。



〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉そこで動物行動学の有名な実験、針金製の母サルとタオルで作った母サルの話を思い出した。針金サルの方には「餌」が付いている。ラボの中の子ザルたちは、食事の時だけ針金サルの所に行き、それ以外の時間はタオルサルに寄り添う。彼に対して、私は一体どっちだったのだろう。針金サルだった。ラストシーンで、その針金には「餌」がどこにも無い。私はタオル地のオスの母ザルを探していたが、そんなものはこの地上に棲息している訳が無い。この研究は「飢え」と「愛情」のテストだったのだ。「赤ん坊ザルは飢えから愛情をおぼえるのではなく、愛に飢えるのである」とその研究の説明にあった。



〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉自分の過ち、欠点の正確な本質とは、、、、たぶんそれは、、、私の専用の神に寄り添い、温もりをもらう事をしなかった事だ。
2月9日(火)続

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉姉

〈何をしかた?〉私は姉が好きだ。しかし姉は私を余り好きではない。私がどうして姉から嫌われているのかを考えた。幾つかの理由、よく姉が口にする事柄が思い浮かんだ。私がワガママである。母とケンカばかりしていたから。私が母を大事にしないから。私が自分の息子の今や将来を真剣に考えていないから。若いうちに退職し、働いていないから。お金をケチケチしているから。それと私たち姉妹で、母親の養育に差別があった事だ。そのように主張する。母は最後のその意見を否定していた。


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉「最近お母さんに似て来たわよ」と言われた。自己中心的なところ、人を思いやらないところ(特別の友人に対しては、生まれて初めて心から本当に思いやっていた!)、「社会性に乏しいからそうなる」と説明された。週末毎に、初対面の人に名刺を渡しているのに、そう評価されてしまうのは、それが真実だからかも知れない。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉私は本心から2歳年上の姉を慕っていた。最近写真を整理した。小中学生の頃の古いモノクロの写真が多数あり、殆どが母の撮影なのだろうが、姉妹揃って楽しそうに笑っている。

姉が私に厳しく話をし始めたのは、ここ5、6年である。母が肺がんに罹患し、悲しい人生の先が見えて来てしまった頃だ。もしかすると、その悲しい気持がそうしたのか。冷静に考え直すとそうでもない。むしろ私の方が間違っていた。きっと私自身の生き方が問題なのだ。
2月8日(月)続々々

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉前夫

〈何をしかた?〉世界一悪い妻だった。結婚には向いていなかったのにそれをした。最初二人は愛し合っていた。だからそんな事は実際誰にも分からなかった。辛い毎日があり別居し離婚した。どうした事か彼と息子を引き離してしまった。面会を継続出来ない私自身の問題が出て来てしまったのだ。

今手元に2種類の紙がある。東京家庭裁判所の『調停期日呼出状』「○○年(家イ)第××××号 夫婦関係調整事件について、、、、出頭してください」私の旧姓が手書きされている。申立人が私で、相手方が前夫。

それと、便せんに前夫の手書きの文字が書かれたものが2枚ある。可愛いいシロクマの描かれた「愛する君へ」、もう一枚は「愛する△△さん、そして◎◎君へ!」というタイトルの手紙だった。あと一枚『ポチの伝言板』という犬のついたメモ紙にはこう書かれていた。「△△(私)元気かな? 今日は◎◎君の誕生日です。心から祝ってやって下さい。ワインと花は常日頃の感謝の気持です。※衣服については、取替は可能ですのでレシートを添えて2週間以内に!」

少しの間、別々に暮らしていた。それから永遠に父子をバラバラにしてしまった。


〈(自我)自分の本能のどの部分が暴走したか?〉換言するとこうである。相手の存在そのもの、あるいは息子と3人で会うことを考えるだけで非常に緊張した。結果2人は後の生涯の中で、バラバラになってしまった。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉当時、私は自分の保身しか考えていなかった。自己中心的な生き方。病気であれば積極的に治療を行うべきであったのかも知れない。ハイアーパワーを求めなかった。子どもの現在と未来の幸福は頭の中でクリアでなかったが、前夫に対してはその何倍もそうであった。私は家庭裁判所の家事相談室でこう喋った。「彼こそ幸せになる権利があるのだと思います」すると調査官が「あなたも幸せになる権利があるのですよ」カウンセラーのその示唆は正しかったが、私自身の発言は欺瞞に満ち満ちていた。
2月8日(月)続々

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉この世を去る少し前からの母親

〈何をしかた?〉何をしたかって? 何もしなかった事をここに書いてはダメだろうか? 多くの子どもたちがこの世を去った両親に対して同様に思うのかも知れない。この世を去ったまさにその夜、私は担当医から呼び出された。だからと言って、今日がその日だとは夢にも思ってなかった。酸素マスクをしていた。鎮かに呼吸をしていたので、、、私はなんと映画を観て過ごしていた。

NTT病院の最上階、緩和ケア病棟のリッチな個室で深夜放送の映画を観てた。恋人がHIV感染か何かで衰弱し没落している。彼が自分自身の作品の受賞式に出席するようを女が勧めている。そのTVを7割みて、3割しか母をみていなかった。とうとうTVを消した。とうとう母は逝ってしまった。私の時間の中で、二つの事が同時に起こったに過ぎない。TV、そして死。つまり私は何もしていない。なにひとつ。


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉同居し、しかも「末期がんの親の介護」を早期退職の理由の第一に挙げた娘が、仕事も無いのに十分に親の世話をしなかったというのは一体どうなっているのだろう、と思われるだろう。つまり、ヘンに「距離を置く」ポーズを取っていたのだ。肉親なのに妙によそよそしい。

何種類もの小鉢の料理をスピーディに盛り付けて「あんたは仕事が早い」と誉められ、下の世話も行うが気持悪いと感じなかった事を自分自身喜んでいた。手を抜いたり、やり残した仕事の種類や分量などどこにも無かった。ずっとそれが続けられると思っていた。学業があったので「あんた大学なんて辞めちゃいなさい」と言われはしたが、介護も研究も両立していたと思っていた。やり残したり、やり足りなかった訳では無い。たったひとつだけ、心がこもっていなかったのだ。たぶんそれだ、と思う。

心が十分にこもっていなかった。どうしてだろう。本人からそう言われたこともないのだが。たぶんその通りだ。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉私はただ冷たかった。それだけを後悔する。私は人から与えられる事だけを感じ取って生きて来た。無償に与える事を、自分の子どもが赤ん坊や幼児であった時を除いて、大人の人間に対して行わなかった。心の底から深く愛しているのに、それを伝える方法を知らなかった。
2月8日(月)続

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉私が30代から40代だった頃の母親

〈何をしかた?〉31歳の晩婚。すでに定年退職していた母はやっと待望の一人暮らしを満喫出来る筈だった。だが33歳で第一子を出産する時に、私たちは母の新築した住処の東側の一部屋に招かれ同居した。しかし案の定たった3年で破局を迎えた。新たに安アパートで一人暮らし始めた私は、赤ん坊とフルタイムの仕事を抱えていたために、保育園の送迎など育児の一部を母に頼むことになった。だが一番の負担は、可愛い孫のそれではない。私が精神的な脆弱さを抱えていたための迷惑なことがら。つまり出産後、妊婦であった頃、あるいはそれ以前での、前夫とのトラブルの仲裁やごく稀に私の通院への付き添いなどであったのだと思う。晩年、母がその頃の話をする事が時々あった。「あの頃あんたは、本当に嫌な子だった。私は本当に迷惑だったわ」


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉新婚旅行中からケンカが目立った。うつになり慈恵医大の神経科に通院した。32歳で妊娠しその時期が最も辛かったので、胎教に悪いと気にしていた。離婚後も通院した。カウンセリングも精神分析も森田療法も受けた。処方薬以外の治療は何でも。しかし家裁の相談の場所以外では効果はあまりなかった。では、私の何がそれを招いたのだろう。それは、十二分に私の幼児性それ以外ではない。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉まるで酸素不足の気体の中にいるかのように、立ち止まり深呼吸すると自分の回りには大変不足しているものが、ずっと遠い所にはあるように見えた。母に電話しては助けを求めた。私は常に誰かに助けを求めている。そんな事をして本当にいいのだろうか、と思いつつ。今まで、口や態度であれほど嫌っていた母に、その当時は頼っていた。そんな私に厳しく怒りつつも、どんなに心を掛けてくれたか。しかし私は自分しか見えなかった。前夫はもちろん、母に対しても「来てくれてありがとう」という一言すら唇から溢れなかった。
2月8日(月)

傷つけた人の棚卸表

〈傷つけた相手〉ある事件の被害者の方(故人)

〈何をしかた?〉私が山歩きを頻繁に行っていた時期、山小屋の主人から性的被害を受けた。それから、それ程時期を置かずにある事件が起きた。そのニュースを私は別の山小屋で聞いた。日当りのいい休憩室で、たまたま一緒にいた女の登山客たちに自分の出来事を話した。その事件とは、その同じ男が一人の若い女性に恐らくは同じ行動を迫り、結果的に殺害した。被害者の方のファーストネームは私と同じだった。その頃、私は事件を挟んで結婚をしており、夫にもその事は話さなかった。「あなたは何もする必要はないですよ、旦那さんにも話さなくていいんですよ」その時、彼女たちは口々にそう言って私に安心させてくれた。


〈自分の本能のどの部分が暴走したか?〉30歳になったばかりの頃、私はGWに「秩父連山縦走」を歩いた。一人でツェルトザックとインスタントの食糧を1週間分担ぎ、最後の瑞牆山に到達する頃は疲労困憊していた。テントを設置し終わるとエネルギーは既に使い果たし、思わず小屋の傍のベンチで横になってしまった。その後で管理人に挨拶しなくてはと訪れると、自分の部屋に招かれ一升瓶の日本酒をふるまわれた。コタツに入り、私はされるままになっていた。その時の相手の言葉をよく覚えている。

私が驚いた事は、自分が何も抵抗しなかった事だった。あったのは愛撫などだけであったが、後に起きた事件が私を加害者の立場に落とし込めた。つまり、抵抗しなかった私の態度が、男をさらなる加害者に、女子大生を悲惨な運命に導いてしまったのではないか、という危惧であった。男はきっと彼女に名前を聞いたのだと思った。私も名前を告げていた。


〈自分の過ち、欠点の正確な本質は何か?〉、、、自分の過ち、欠点の正確な本質は何か? それは、、何も考えないという点だ。私は我に帰り、元気に挨拶までしてそこを離れる事が出来た(私はその頃、別の山小屋のバイトのような事もしていたので、「従業員慣れした態度」を取ることが出来たのだった)。しかし、その少し前の段階でもそれが出来たかも知れない。もし思慮を欠いていなければ、という意味だ。

付け加えるとすると、事件の問題性は別の範疇なのだと現在では思う。その二つを混同してしまっているのは、私の健康でない心の成せる業であったのだと考えている。ご冥福をお祈り申し上げます。そして敢えてここに書いたことの意味は、自分への自戒なのだと思う。