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カテゴリ:夢日記( 65 )

2017年1月4日(水)

家のそばまで来ていて大荷物なのだが、さらに服を試着したくて、人通りの多い路地の角にチャリを停めて用事を済ませた。戻ると、係員のおじさんが二人いて「荷物をどけさせてもらました」とおだやかに言う。「こちらこそすみません」「あ、その中のノートとかも読ませてもらったんですが気になさりますか」と言う。それは授業とかの勉強のノートだったからベつにいいと思った。なんとか全てを大きなザックやらにつめ、服も着込んでチャリを走らせた。チャリはそこまでで、人気のない夕方の自然度の高い公園で、眺めのいい長い歩道を歩いている。ゲートが閉まっていないといいな、と思う。街に出ることができた。しかし、入って来たゲートとは違う場所のような気もする。何か旅の途中なのだ。大変疲れていてどこかで腰をおろしたい。海があった。とてつもない景色だった。砂でできた防波堤のような長い地形を時々大波が舐めている。深い危険な海を子供達がはしゃいで泳ぎ遊んでいる。「ああ、楽しかった」と上がってくる。オスプレイが一機低空を転回飛行して少年が「かっこいい」と叫んだ。私は腰を下ろす場所を見つけ、そうしたがそこに波は来ない。よかった、「それはトイプードルですか」と地元の女性が私に話しかけて来た。そういえば私は大荷物のとき以来ずっと犬連れだった。犬はおとなしくぐったりしている。

2016年12月28日(水)

たった一度だけ、私の背中に縦にムチがあたった。それをしたのは誰かわからないが男で「大変だ、一発で皮膚が切れた」と叫んだ。私はまったく何も痛みを感じなかったのだが、だからといってその男が言った言葉を疑わなかった。服も着ていたし、痛みも血などもない。たぶん自分はアンドロイドなのかもしれないと思った。自分の家のなかに入り、するべきことを始めた。自分は小型犬と暮らしているようだった。10枚ほどの大きな潰したダンボールを自転車のカゴに積んで、犬も乗せ、近所の小さい家内工場のようなところに持って行くのだ。サドルの上に白色のカバーをした大きめの座布団を敷き、それが安定しないでズレ落ちそうなので苦労してよろよろこいだ。なんとか店に着いた。行く道すがら、他の人々も大量のダンボールを出していて、大型トラックの業者がすでにダンボールを満載した姿で到着し時間をかけて荷を積み込んでいる。それを横目で見ていた。私はそのトラックには頼まない。昔から知っている所でするのだ。私は10枚のダンボールを小売店業者に手渡すと、金をくれた。昔の五千円札を5、6枚もくれた。よく見るとその黒っぽい紙幣はどこかの貧しい国の通貨なので抗議すると、うさんくさい男は奥に引き返して日本円のコインばかりでで2千円弱くれた。どうしてこんなに小銭がもらえるのか不思議だった。ひょっとしたらムチの男だったのかもしれない、と思った。家に戻った。部屋の中はごちゃごちゃしている。犬を床に下ろした。いろいろなことが起こる。見回すと犬は敷物の中でくつろいでいたのでほっとした。

2016年1月25日(月)

私たちは雪の尾根を引き返すところだった。二人連れで、相方は大柄な男だった。大変な降雪だが、友人どうしの散歩のような出来事だった。他のハイカーの姿もあった。その折り返し地点は自分の知っている町の駅に向かう大通りとパラレルで、鞍部にはのれんのかかった小洒落た料理屋が営業しているのが見えた。友人は「寄っていこう」とは言わなかったのはケチだからかな、と思った。そこで来た道を折り返し始めた。私はサンダルのような不思議なカンタンな靴を履いていて「それ必要ないよ、脱いじゃいなよ」と友人が数回言った。雪は冷たくなく、深さはくるぶし程度だったし、まあ履いていた方が歩きやすいので忠告には従わなかった。そのとき友人も他の人々も尾根の高い位置を歩いていた。私だけ右下に傾斜した道の低い部分を歩いていた。「そっちは危険だよ、もしかしたら雪が流れてくるよ」と友人が私に忠告した。「そうか、なるほど」と思った瞬間、さらさらと川の水が荒れるように雪が私の背後から来た。まるでグラニュー糖のように軽く、最初は大した量ではなかったが、次第にまるで雪崩のように私の身長を覆い隠すほどの勢いで増えていった。私は路肩にあった金網に両手指を絡ませて立っていた。首から上ももうじき埋もれてしまう、と思った。
2-14年10月22日(水)

なにか忙しい出来事があって私の自宅への戻りが遅れた。家の前には知人と親戚の男たちが陽気な気持でいて「今日は宴会を予定してたじゃない?」と私に言った。「あ、そうだった、すみません」と私は誤り「すぐに用意するわ」とつづけた。部屋は比較的むっとしていたが、すぐに沢山の瓶ビールと缶ビール、つまみを並べ人々は楽しく飲み始めた。「だったら出前のパーティー!」と私が言い皆も同意した。寿司が沢山届き食べた。そのあと、ハイキングに行くことになった。歩きながら、誰だか忘れたが友人の一人には息子がいて事業が成功している。「自分のせがれは金儲けが上手くてね」と彼は笑った。メンバーの中には私の母もいた。比較的若く元気だった。しかし雪が多くついている場所ではだれもが苦労したし、母は怖がって「私はここまででいいわ」と言った。なん軒かの食堂があってどこも美味そうな料理を並べていた。そのうちの2軒は寿司屋だった。「じゃあここで休んでいる?」私が言った。そのあと角を曲がると雪は無く、公園のような頂上はなだらかですぐ近くだった。戻って母に「頂上はすぐそこだし簡単そうよ」と伝えたが「足をくじいちゃったみたい」と彼女は言った。それは困ったわ、と思った。
2014年10月20日(月)

地面は緩く傾斜していて、それは自分たちのいる地球が非常に小さい球形で、世界の裏側に歩いて行くのに数秒しかかからない。私は女の赤ん坊と一緒だった。彼女の発達段階はたぶん2歳くらいでやっと話が出来るレベルだった。二人は屋外で立ってくつろいでいた。何か必要なことを私が言い、手をつないでいる彼女が従った。少しの散歩で地球のような惑星の裏側に行ってみた。幼児用のうたを自分たちで創作して、繰り返し、二つ目のフレーズを子供が大笑いしながら歌って喜んだ。私はなにか、その場所に少しの危険があり彼女をかばう必要を感じていた。(もう少し複雑な状況の説明があったが、忘れてしまった)

少しするとひとだかりがあって「ケンカだ、ケンカだ」と聞こえた。20代初めか10代の男が二人ではげしくもみ合っていた。地面が極端に傾斜しているので、私は子供を抱いて安全な場所を探した。興味もあり、その二人をみると一人は頭部に負傷していた。まるでダーウィン・ウインチという肉食鳥にやられたみたいだと思った。
2014年3月14日(木)

昼食後に昼寝などをして夢をみた。「比較的元気な病身の母」がまだ生きていた。私がいくつかの料理を盛りつけていると、母が「それ美味しそうね。ちょっと頂戴」と言った。私は母が積極的にモノを食べたことが少しうれしかった。その前に、普段は玉子焼きくらいしかしない息子もちゃんとした料理を終えていて、なかなかやるじゃない、と私は思った。冷蔵庫を開けると、上の方の段に母が買って煮たらしい魚の濃い茶色のあらが2種類あって大き目の丼に入っていた。イヌネコに供するようなものだった。節約して、こんな安いものを買って食べているんだ、と私は密かに思った。
2013年5月9日(木)

起きて3時間たったので、もうディテールは記憶から飛んでしまっている。なので主だったところだけ。
主要登場人物;私と、初めて会った小柄な比較的若い日本人女性
場所;インドの北部
会話;私「へえ、じゃあここまではそういうルートだったの?」
   相手さん「うん、でアンタのほうは?」
   私「私は自然豊かな中をひとりで徒歩で来たよ」
    「でこれから先は?」
   相手さん「アフリカ! 北から直線的に斜め西に南下するの」
   私「ふうん、斜め??? 手段は?」
   相手さん「いろいろ、その場に従う」
気分;私は達成感に満ちていた。健康で大らか。不安とかどこにもない。


昨日は学会誌投稿論文の初校を赤入れして「ええい」と郵送してしまった。あとは犬の世話と家の整理くらい。
  
はっきりとした夢を見た。その夢の主な登場人物は私、そして亡くなった特別の友人、多くのエキストラだちだった。最初の場面はどこかの大きなビルの中で私は何人かといた。誰かが隣の部屋に住んでいる外国人の若い男に挨拶に行った。すぐに打ち解けたらしく私たち数人も招かれた。その部屋の主は、妻が外出中で自分の赤ん坊と二人きりなので、子供をあやしながら何かの修理をしているのだが大変だ、という意味のことを説明した。赤ん坊は産まれたてで美しかった。最初に訪れた男は赤ん坊に夢中だったので他の人々は修理の方を手伝った。私は紙で出来た大きな丸く不思議な立体型の菓子箱のふたをビニールテープで直した。長く裂けた隙間から菓子が取り出せるように仕上げると、その方法は誤りであったのでさらに手直しすることになった。その指導は主が直接私に伝えた。私はその主夫婦を以前から知っていたので他の人々に、彼の奥さんはスゴい美人だよと教えた。しばらくして私たちがそこを出て歩いてると、さっきの赤ん坊の両親とすれ違った。妻は黒髪の細身の欧米人で姿勢よく並んで歩いていた。「でも彼の方がずっとハンサムよ」と一人の女が言った。そして私はいつものように胸から犬をぶら下げていた。そのあたりから亡くなった私の友人が登場していた。何かの理由で全員がものすごいスピードで駅に向った。私と友人が少し遅れて最後になった。5メートルほどのほぼ垂直のコンクリートの絶壁のような場所を自分の手足だけで降りる場所があった。友人にとってその動作はどこか大変危な気だったので「大丈夫?」とだけ私が言った。すると相手は私を睨みつけ何かの悪態を付いた。最後の垂直のジャンプは二人にとって容易ではなかった。汚水を含んだ枯葉の中を2、3歩続けた。私は犬をかばいながらなんとか通過すると、もう友人の姿はずっと先のほうを走っていた。道を見失わないように、と私たちは考えていたのだ。首をかしげた動作が見えた。友人は最後に走り去るひとりの方角をキャッチしたようだった。友人を含め全ての人々が私の視界から去り、私は一人になって取り残され、もう方角も何もかもわからなくなった。

8月20日(月)

ずいぶんハッキリした夢だった。起きてから「XX君のお母さんが夢に出て来た」と息子にあらすじまで語った。
大きな宴会があって見知らぬ百人程の日本人観光客のような成員だった。ビュッフェ形式でご馳走が並んでいる。私はXX君のママを見つけて挨拶し一緒に食べようと思った。挨拶や雑談を交わした。彼女の生き方を私は尊敬しているような話をして私は彼女の役に立ちたいという少し具体的な話をした。彼女は恐縮して笑い、逆に私を誉めたりした。その後、彼女は何かの理由であまり動きやすい感じではなかったので身軽な私が色々と料理を運んだ。寿司や刺身の大切れは新鮮ですぐにでもお腹に入れたかった。何度か往復して彼女は喜んだ。そろそろ一緒に食べようかと思ったら「2時間制です」とアナウンスがあり、ちょうど終了する時刻だった。気付くと彼女は私の運んだ料理を持参したいくつもの大きなタッパーに入れてバッグに納めて終わるところだった。私は彼女に挨拶をすることも無く、もう一度ビュッフェのところに行ってみると和菓子や洋菓子がまだ何種類もあった。時間的には終了しているのに皆まだ菓子をバッグに詰めている。私もそうした。すると「お菓子をお持ち帰りは出来ません。こちらにすべて放出して下さい」「日本人ならすべてそうするはずです」という警告のアナウンスがあった。私はそうしなかったように記憶している。その後はよく覚えていない。

その夢の話を聞いて「あんたXX君のお母さんにコンプレックス持ってるな」と息子が私に言った。
1月2日(月)

3つの夢を見た(そのうち1つはすでに忘れてしまった)。他の一つはチャリで外国とか馴染みのない社会体制の地域を巡っている。ここで駐輪しバレると国外追放とか大変なことになる。届け出をしていないので。でもそうしてしまう、というヤバい夢。
もう一つはホテルの温泉で午前中は宿泊客のみの利用。なのにビジターの私はそれもタダで午前中に紛れて入浴している。蛇口のところが混んでいて親子連れと一緒になる。私はパンツをそれも重ねてはいているのでを脱いでも脱いでも裸になれない。お湯があまりにもちょろちょろだ。もういいので出てしまうけど「お客様!!!!」と追いかけて来られたらどうしよう、というヤバい夢。
続編で、そのホテルの庭に小さく獰猛な野生サルが紛れ込みホテルの大きく白い犬がおっとりと追いかけている。警察官がやっと来て麻酔銃で倒した。