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カテゴリ:仏教( 11 )

2014年12月13日(土)

友人がフェイスブックにアップしてくれていたので私はその会場に行くことができた。「在日チベット人コミュニティーはこの日を記念して、いつもチベットを応援してくださっている日本の皆様と共にこの喜びの日をご一緒にお祝いしたい」という文言にひかれていた。神田にある貸し会議室に集られていたのはほとんどが在日チベット人の方々のように思えた。お祝いなので正装をされている方が多い。私は遅れて到着したのでちょうどお経を皆で読んでいるところだった。関係者の挨拶が続き、後半はお祝いの軽食、デシ、カプセ、バター茶をいただきながら、歌や演奏に聴き入った。私は次の時間に約束を作っていたので、会が終わったあと何のお手伝いもしないで、その場を去らせていただいた。f0204425_21332425.jpg
2014年1月4日(土)

今日は母の命日でどうじに七回忌でした。f0204425_9451068.jpg
高円寺の満願寺さんで午前11時からお経、12時から駅前のダイニングバーで会食。時間を誤ったり、私の着替えた服が不評だったり、料理がショボかったり、お香典返しを当日用意出来なかったり(1時間間違えて焦って)と色々ダメでした。この次はしっかり喪主を行おうと思います。6年後、ですが。
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↑シカのソーセージ食べた
2013年12月4日(水)

午後、港区にある永平寺別院長谷寺に寄らせてただいた。昨日お会いした知人様にお願いして。御征忌という行事(12 月8日を成道会と呼び、釈迦が悟りを開いた日で、この日までの1週間寺に籠もり座禅などの修行を続ける。お坊様の他に別院では一般の在家もその機会を得て、同じく一週間一歩も寺からでずに厳しい修行を行う)をとり行っておられたのが遠景からわかった。夕食を終えて、一列になり誰もがその食器を高々と持ちながら廊下を歩いておられた。その光景を本当に遠くから拝見でき、それはよい経験だった。

そのあとに表参道までもどり、別の知人のスタジオでサクソフォンのコンサートを聴き入った。
f0204425_1730057.jpg2013年12月3日(火)

自らを「三日坊主」とおっしゃる出家された知人様よりお経の贈物をいただきました。永平寺、、、、「犬が逝ったら私も座ろう」と思っていましたが、いまだに果たしていません。
10月20日(木)
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↑こっちはキリストさんだったワ↑
生き物を殺してはいけない。
他人のものを盗んではいけない。
自分の妻(または夫)以外と交わってはいけない。
嘘をついてはいけない。
酒を飲んではいけない。
あらゆる性行為を行わない。

歌舞音曲を見たり聞いたりせず、装飾品、化粧・香水など身を飾るものを使用しない。
天蓋付きで足の高いベッドに寝ない。
正午以降は食事をしない。

あれ??? 数が合わない。でもこれが正解かもしれない。正しい生き方としましては。
4月27日(火)続

先の記事の最後に書いた、その友人がメールをくれた。
そしてその後少しチャットをした。
テーマは人はなぜ物を買う(=所有する)のか? 
何故出家者は物を持たずに生きていけるのか?


私は自分の買物という快楽について、友人は友人でそれに似た行為の本質について書いた。
(引用して書きたいけど未承認だからできない)

偶然か必然か,二人とも仏道に関心がありその場所を意識した。
授戒法会と呼ぶのだろうか、私は日本の曹洞宗にもっとも親近感がある。
友人はタイ国の仏教に出家の経験がある。
スゴいと思う。
1月18日(月)続々々

「・・・同じことを何度も何度も、今度は違う結果が出るのではないかと期待してやり続ける・・・しかし、これまでやってきたことをそのまま続けるということは、痛い目にあい続けることを意味する」「熱いストーブの上に手を乗せたときの痛みを思い出してみる。手を乗せて、良いことなど一度もなかった」(p.58)

またこの本によると、私が取り組むべきものとは、「利己的」「不正直」「身勝手・恐れ」「配慮の不足」だった。

原始仏典の『八斎戒』もこれに少し似ている(カッコ内は私の身勝手な解釈)。
1.生きものを殺したり、殺させてはならない(配慮の不足/身勝手)
2.与えられないものをとってはならない(利己心/身勝手)
3.うそをついてはならない(不正直)
4.淫事のような不浄な行いをしてはならない(不正直/身勝手)
5.人を狂酔せしめる酒を飲むべきでない(こ、これは、、、)
6.夜に時ならぬ食事をとってはならない(配慮の不足)
7.花ざかりを着たり芳香を用いてはならない(利己心/配慮の不足)
8.地上に床を敷いて臥すべし(利己心)


ついでに『スッタニパータ』第767偈
「欲望をかなえたいと望み貧欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ」


まとめ、私は何度も同じ間違いを繰り返している。『八斎戒』その2、身勝手な感情で相手(と自分)の気持を苦しめた。それを取り除く仕事が用意されている。ジョー・マキューは寛大な書き方をするが、それは私にもそのプログラムが出来るかも知れないという、その気にさせてくれる方法だと思う。
12月17日(木)

夕食後、犬を留守番させて、ある座禅会に出席した。今回膝が痛いので「椅子座禅」を初めてお願いした。今年最後の座禅の後に素敵なパーティーが用意されていた。若い僧侶が15人程と一般参加者、どちらかと言うと年配の、が20〜30名程いた。飲み物は茶とソフトドリンクだったが、料理、菓子、果物など隅々に心が籠っていた。尼僧の副住職がお一人おられた。


私ともう一人の女性で、彼女に一般的な「在家得度」について質問した。
「失礼ですが、お寺のお方ですか?」とまず聞かれた。二人ともそうでは無かった。
「では、大体こういうことです」と説明された。
それは、年齢、性別、職歴、国籍などを問わず本人の「励み」のみにより得られる修行の一定成果のようだ。宗派により異なるが概ね6ヶ月の住み込み修行は、ただただ和尚様の仰る事全てに従う必要があり、辛く厳しいものだそうだ。しかし「すべては慣れですよ」とも言われた。自分に合った寺を選ぶとよいそうだ。そんな私の脳裏には永平寺しか浮かばない。


尼僧、その響きは魅力的だ。
私より、積極的に質問した若いもう一人に対して尼僧が最後に質問した。
「なぜ、得度に興味を持たれたのですか?」
「うーん、自分自身が汚れた暮らしをしていて(笑)、純真な生き方に憧れるのです」なるほど、そうですか。私もまったくそうだ。出家とはこの世で一番贅沢な考え(生き方)だと私は思う。
12月8日(火)続々

12月8日は成道会、ブッダが悟りを開いた日だ。
昼のNHKニュースによると、各地の禅宗寺院で一般の人向けの座禅会も催され、また僧侶に関しては12月1日から8日まで、寝ずの修行もあると聞く。
信心深い人々の仲間入りを渋って、私は今まで生きて来た。
しかし、控え目ながらも自分自身や周囲に近寄る「老」や「死」のきざしがその入り口を平坦にして和らげた。

私の10個の将来の見積もりを過日、11月28日の日記に記した。その10番目の仕事が「信仰を求める」であった。信仰と言っても、遠いものでは無い。ご飯を食べる前に掌を会わせたり、もっと身近には「吸気と呼気」に祈りを込めて行うだけでよいのだ、と自分では考えている。あるは歩行。だからそれは、いつでもどこでも肌身話さずきっと可能なのだ。なので、ほどほどに行おうと思っている。

排水設備屋と大工が二人でキッチンの水回りの修理を行っている。犬の具合が再びよくない。今日は、しかし今日一日は再び戻らず、そして明日は明日でまたやって来る。Anyway.

*****

スポンサーお願いメールを少し書き直して送信した。
9月26日(土)

彼岸の時期、墓参りを予定している。母と父の墓地、そこをを私、姉、義兄、息子、甥そして犬が訪れる。1年半前に逝った母、あれから何度目になるかは分からない。まだ若い仏だ。それに比べ50数年前、年若い地球物理学者であった父は私が1歳の時に海底火山の噴火の調査により、その火山活動の犠牲になった。殉職だった。明神礁の事故を知る人は少なくなった。30歳の写真の男だがパパと呼ぶ。違和感は無い。献花、花鋏、線香にろうそく、軍手、新聞紙。それらを揃える時、母の声が近く遠く聞こえて来る。じゃ、後でね、と心の中で目配せする。

「お兄ちゃんと一緒に行くんだよ」と犬に言い聞かせて一足先に主治医の診察を受けに、私は出る。墓参りが終わった後、また犬を息子に頼んで友人の見舞いに行く。それはどちらかと言うと「愛」だ。息子は外泊の留守番を気持ちよく引き受けてくれる。「迷惑代」は課金されるが。「愛」と「金」。仏教のカテゴリに書くには、もうちょっと清心な心を混ぜ込まないとNGかも知れない。