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カテゴリ:追悼( 149 )

2014年9月29日(月)

チャリなので天候をうかがいつつ今日秋の彼岸墓参りに行きました。朝5時45分家を出発(もう空はかなり明るい)、7時45分到着(疲れた)。1時間作業とお参り。釜揚げうどんの昼食。帰り吉祥寺手前で息子のチャリがパンクし、私は一足先に帰りました。

ところで今日はフランスの蚤の市で1ユーロで買った中古チャリ用ビブパンツというものを装着てみました。ねらい目は股部のパットですが、ご利益を感じるような感じないような、、、。


フェイスブックのメッセンジャーのページを開く度に世界がまるで止まってしまったみたいに感じる。
7月20日(金)

以前私がお付き合いしていて、勝手に死んでしまった男の三回忌の法事がご親族の事情で無くなり、私は一人で札幌の墓地に行く方法も捨てその日、つまり今日は東京にいた。ただ、仏花は前日にスーパーで買って用意していたしそれをどこに持って行きそこで何をするのかもしっかり決めていた。ゆっくりと朝8時台にチャリで走った。付き合っていた間ずっと自分が通っていたルートを花や線香をデイパックに向った。
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2年間が経ち「風景」は私の顔を忘れているような素振りをした。しかし本当に相手さんが住んでいる町に着くとそれは少し変わった。
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濃い記憶が滲出しだし私はその糸に絡められていった。何枚かの写真を取り終えながらどうにかお線香を焚く場所に着いた。花を道路に置き燭台にロウソクと線香を立て順に火をつけた。祈った。
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その場所は、まったく正確ではない。故人が倒れ119番通報された場所という意味では。私が勝手にそう思い込んでいるだけだった。以前「酒を買いに行くよ」と言って一緒にコンビニに付き合った時に、もう非常に悪い健康状態だったので歩行が息苦しく座り込んだ場所がそこだった。酒、、、今日はお供えに買った酒を家に忘れて来たのに気付いた。そこでも写真を数枚撮り、花と線香を残して立ち去った。


まったくパッとしない出来事だった。何かするべきことを済ませたという感じもしない。


最近耳にした言葉で「人はどんなに長く生きたかではなく、どんな風に生きたかが重要だ」といった内容を記憶している。それも一理あるとするとこのオッサンは結構イイ線行っていたのかも知れない。自己愛が強いぶん、成功者だったんでしょうから。少なくとも私なんかよりはずっと。
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7月2日(月)

知り合いの方が重篤な病に倒れられたニュースを聞いたのは1週間前くらいだったと思います。こんなとき奥様にお電話をしてよいものか、でも明日そうしてみようと思う。このことと相手さんの命日と関係があるのですが。ずいぶん考えたのですが、命日のお墓参り(三回忌)は故人が倒れられた場所、区道の路上に花束を添えて一人静かに行おうと決めました。遠方にありますお墓参りの方は、もし行けるとしましたらその知り合いの方のお見舞いを兼ねて落ち着いてからと思います。

健康であることは、私自身がいまそうなのですが、何にも増して感謝すべきことだと思います。

今日の昼間したことは、犬の病院に行き、今月分のフィラリアの飲み薬と腹部の感染性皮膚炎の診察と4日分の飲み薬をもらったこと。マイクロソフトのサポートデスクに電話して、壊れかけたファイルを救出し先方に最終原稿として送る仕事でした。夕食はタコスを作って楽しみ、その後はまだダラダラと過ごしています。
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7月1日(日)

かれこれ3時間ネットを検索し続けています。いつどこで亡くなった相手さんの命日を忍ぼうかと考えて。もしお墓参りに行くとしたら。極めて加齢で衰弱しつつある犬連れの長距離旅行など犠牲が多いと知りつつも。航空機、鉄道、長距離バス(夜行便と昼便)、フェリーとあらゆる交通手段をチェックし、犬連れには寝台特急しかないと分りました。それをベースにペットと泊まれる宿まで検索したのですが。落とし穴はJR各社の1ヶ月前の発売システムです。普通最初の数分後に完売。今を持って空席などがあるわけなく、、、、非現実的なプランに夢うつつでした。しかし私は正しい感情に支配されています。

追悼、グリーフという感情。混入物がなく清らかな、、、、平静と呼べるかどうかはわからない。たぶん違うと思う。けれどこの感情は追悼そのものだと思う。自分を責める部分が消えて深い哀しみだけがある。
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遺品の一部
6月14日(木)

今日(と明日)は梅雨の中休みのようで銀座方面へチャリで行けてよかった。まずオンデマンド印刷屋に寄って成果物を受け取った。それを知り合いのキュレーターの方に1部をお見せするとオット、レイアウトがずれてしまっていることに気付いたのです。これって、、(無言)。取りあえず数々の有用なアドバイスを頂き、家路へと向いました。

日比谷通りを芝郵便局まで走り、交差点で信号待ちをしていますと"ASEAN CENTER"というビルが目に入り、そこには玄葉大臣の額装写真なんかもあったのですが、フィリピンの作家の写真展などもしていました。そして机上には沢山のパンフレットがあり、その中に「報道写真とデザインの父 名取洋之助展」を日比谷図書文化館で300円で観られるというので、エッチラ日比谷まで戻りました。初めて改装後の旧日比谷図書館に入りました。あらら千代田区に移管されていたのですね。私が都立図書館職員だった頃とは別世界でした。全館WiFi可。うーんでもなんか、、、。

とりあえず小戯れた売店で「湯めぐりマップ」などという本を300円で買いました。


話は変わりますが。
私は先日「一つのことを思い詰める方ですか?」と新しいカウンセラーからたずねられた記憶がありますが、本当にそうです。Macはメールの到着時に「ピン!」とか「ポン!」とかいう音を伴うのですが、それはシンゾーとジンゾーとカンゾーとスイゾーが同時に共鳴停止するくらいに響きます。するとたいていはツマラナイマネックス証券のニューズレターだったりします。さっきなどはお風呂に入っていて、湯船に自分のオナラが小さな音を立てたとき、それがメールの到着音に聞こえました。ウトウトしていたときです。
早く待っているメールが来ますように!
6月12日(火)

後づけになりますが、昨日はマンション内の拭き掃除、チャリ散歩を終えて今朝帰京しました。午前中のジムとプールを済ませ、午後はFPの約束のある都心までバスと地下鉄で向った。円をドルに替えるなどのアドバイスを含む2時間の講義を受け、その足で銀座3丁目めざし地下道と地上をつたって行った。オンデマンド屋が4時に納品されるという連絡を受けたからだ。それは図録冊子の抜き刷りのようなもので、A4モノクロ出力したもの、12ページ、アートポスト220kg、中綴じ製本となっていた。価格の安さには脱帽です。516円でしたから。日比谷から都バスに乗って家路に向ったわけです。
3月21日(水)

付き合っていた頃、亡くなった相手さんは私にこう言った。「なあに1年だって10年の長さに相当するさ」と。その感覚は私の中で継続していた。本人が鬼籍に入った後も。正確に。

http://reptile84.exblog.jp/13158206/


exciteblog の編集構成で読者が自然とそのBlog の過去の記事に行くような風になっていて、2年前の墓参りの記事に行き当たった。そうしたらそこに相手さんが生きていて。(1年=10年なので)もう何年も経ったような感覚でいた私には驚きだった。そしてその記事を読んだ。もちろんいつでもそれは出来るし、そうすることを避けていた訳でもなかった。


次の瞬間(気持のうえでですが)私はそのアパートにいた。墓参りの帰りであって、夕暮れが近づいたその時間帯に私がそこにいたし今もまったく同じことをしている。


私の心は、、、固く重量のあるスチール家具のような男の身体の下に置き忘れられた1枚のDMハガキだ。あまりにも平凡で見分けがつかない。けれど男の体臭や排泄物がついている。f0204425_22245948.jpg

→NYブルックリンの大変小さな教会


11月9日(水)

かねての約束で上京されたお二人と品川プリンスのメインタワーでお会いすることが出来た。一軒のレストランに入り私は知人さんから新しくお借りしたタイの写真とボスニアの写真を料理のまだ並べられていないテーブルに開いた。「重たいのに持って来てくれたんですね」とお一人が言った。そうしたかったのだ。


スパゲティーが3種類運ばれて来て、それを分け合ってゆっくり食べた。最近のこと、昔のことなどを話した。私は大学の自習室で初めてお兄さんにお会いした時の印象やゼミでの彼の発言の様子などを想い出しながら話した。自転車乗りの派手な格好をしていて私の方を見ながら(と私は感じた)何度かすれ違っていた時の様子だ。ゼミの教室では真直ぐ背筋を延ばし、よく通る声で他のゼミ生たちの理解を越えた難解なやりとりを教師と行っていた。それを説明した。


「兄のことはとても目立つ変わった人間だと皆が言います」と妹さんのお一人が表現された。それはきっと魅力的で一種独特な霊的エネルギーのことだ。私は「そのとおり」と応えた。
「すべて、済んだこと。ポジティブに考えます」と双子の妹さんのお一人がおっしゃった。まさにそう言うこと、と私も同意した。Xマスの装飾のまえで記念写真を数枚撮った。それから私はホテルの駐車場に戻り、停めてあったチャリで新八ツ山橋から五反田を通って家路に向った。
9月18日(日)

(論文の改稿作業が一段落し、昼寝なんかもしてしまったので、遺作展の作業に移っています)

キャプションをどのような内容にまとめるか、は頭が痛い。今回の展示に関してキャプション自体は必須であり重要であることは理解できます。故人である写真作家が彼の作品に対する想いをすでに書いているので、私がそれを拾って記す。もし写真自体に有り余る力があるのなら、サイズの問題を含め、その必要は少ないのかも知れない。けれどそうではない。かつて彼自身「民族誌」という言葉を好み、インタビューの肉声とスーパーインポーズを挿入したDVDの成果品を頭に描いていたのだから。今回ここにディスクラプションがあってもよいと思う。




仮に「コラボレーション」というやり方を採用するとすると、私自身は消極的なのですが、一案としてこのようなスタイルになるかと思う。

今苦しんでいる誰かのためにメッセージ(写真を撮る
と言う行為)を運ぶのが僕に託された義務だとしたら、
それをやらないのは卑怯な事だ。好色といわれるほど
セックスにとらわれたくないし、吝嗇と言われるほど
節約はしない、もてる物のすべてを投げ打ってでもす
るつもり、これは意思決定表明かな。すべては今苦し
んでいる誰かのために僕が配置されている。モーゼの
代役はできないにしても。(ここに彼のロゴを入れる)      


                         
                        
くたびれたオレンジ色のフリーズジャケットの上に
坊主頭があり、眼鏡の奥で両眼が笑っていたのだと
思う。古アパートの2階の古い非常階段の上の古い
男。そして片手を私に振った。 わかるように。私も
同じ動作をした。わかるように。(ここに私のロゴ
を入れる)



グラフィカルなのですが、このページで展開するのはきびしいところがあります。
9月14日(水)

階下にあった外付けドライブを接続しDVDプレイヤーを起動した。私はこの作品の一部を修士論文の口頭試問会場で観たがナレーションが彼自身の肉声だった。今日はわずかに波の音のようなノイズが全編に流れていることに気付いた。スライドの枚数は300カットほどで重複してる。180くらいまでカウントして、その後は諦めた。アプリケーションのデータを観る限り約30分にまとめてあった。ほとんどが左右またはその逆にパンしたり、あるいはズームアップである。モノクロの風景の多くは美しく人々の表情は固目だが深い。それらの人々のうちの約半数を私は知っていた。しかし、この編集作業ソフトウエアの商品名や技術に私はまったく詳しくない。その知識は重要でないといいと思った。私が伝えたいことが少しはっきりした、気がした。


(いま私の計画している彼の遺作展で)私は、たぶん黒子になるのだろう。キュレーターという仕事名に近いかも知れない。私はコラボレーションという意味が理解できないばかりか、いまだ興味を持てないことがあるいは自然なことだと思っている。彼の肉声がその会場で録音されていなかったことは、今思えば当時の私の最大の過失だった。(終わり)