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2010年 07月 13日 ( 2 )

7月13日(火)

「死んでいるみたい、もしくは植物人間」
そう私は説明した。
もうセッションの4分の3は終わっている時刻で、その途中の雑談でもいつその話を始めようかという口切りのような気配は無い事は無かった。やっと、その話になった。いつものことだが相手の呼称に戸惑っている。「彼」という方法に、普通は落ち着く。吃音のようにそれを言う。


「二日に一度くらい(私が)電話するだけなのですが」
そう語った。
エリザベス・キューブラー=ロスの例の五段階(六段階?)を例に、今は「受容」に至ったとか、ものわかりのよさそうな話を私は語った。ほんとはそんな整理されていない。


f0204425_2193753.jpg赤城ホスピタルの家族入院の話を私が行い、そんな「同じ屋根の下で暮らしていらっしゃるご家族と比べたらずっと私は楽なんです」何百分の1。それにここにも来れる。


ここに来れる事は私にとって、表現出来ないほど嬉しい事なのだ。
話すはずの話題が吹っ飛んでしまい、人生丸ごとを見失うにしろ、どんなにちぐはぐな心を携えていようが(その日の私の服装のように世間一般からは「どんな場所にも場違い」と評価され様が)少なくともこのドアの中ではそれが無い。


それは素晴らしい安堵なのだ。
カウンセラーさんの表情、言葉の一言一言が忘れられない。
7月13日(火)

本棚にある日本聖書協会発行の現典を捲った。
今朝はその『マタイによる福音書 第一章』を読んだ、とりあえず。
キリストが生誕する話だった。
登場人物はマリア、ヨセフ、予言者、そしてキリスト(もしかして精霊も?)。
いつもながらちょいと堅苦しい、、。


昨日の夕方、友人さんにまた電話した。
「はい、もしもし××です」
「あの、どうしてるの?」
「寝たり起きたり」
「この間は電波の悪い電話でごめん」
「別にいいよ」
「ありがとう、、、吐いたりしている?」
「吐いていない」
「タバコを買いに出た?」
「シケモク吸ってる」
「あれから一歩も出ていない?」
「うん」
「部屋とトイレだけ?」
「うん」
「起きていてよかった」
「うん、今から本読んで寝るところさ」
「そう」
「あの、一日置きくらいに電話していい?」
「別にいいよ」
「じゃ」
「うん」
電話のこと、いいよと言ってくれて本当に嬉しかった。


でもひょっとすると、その人はいつの間にかあの部屋の一部に同化してしまうような気がした。
生きつつも物質の一部になってしまう。壁にある幾つもの重た気なカバンや乾物なんかの入ったレジ袋や古いカレンダーやセピア色のメモ用紙の仲間入りをとっくに許されている。


だってそんなに長い時間、たった一人きりでずっとそこにいたら!


アマゾン中古本で、ウォルター・ワンゲリン の『小説「聖書」旧約篇、新約篇 』を各1冊注文した。
それがどんな姿の本なのか知らないのだが、、もうちょっとは読みやすいかも。