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被災地にいってきました(3)

5月1日(日)
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ここからは時系列で記録を辿ろうと思う。

4月22日(金)
1日目、午後9時に新宿中央公園前で集合した。総勢180名が5台のバス。私たちは事前にグループ分けされていた5名のうちの4名が夜行バスで向った。受付もボランティアで、その人に往復バス代5千円とボランティア保険加入確認証を見せる。何しろ荷物の重量にめげた。さらにトイレを済ますためにNSビルに小走りした。都庁では時間外勤務の職員(かつての自分)が退庁するところだった。つまりこのエリアにはホームレスと都庁職員、ボランティアが同所的に存在していた。


4月23日(土)
2日目、何もしない日。朝になってしまった東北地方をピンクバスが走り抜ける。私は車窓から被災した風景を探す。数カ所の仮設住宅があった。すでに雨足もあった。次第に本降りになりつつあり、テント設営が危惧された。オリエンテーションはバスの中で行われた。5ー21班はデリバリー班だとわかった。キッチンで作った料理をクルマで地域に持参し給仕する仕事のようだ。その後も着陸後、航空機がターミナルへの誘導路で戸惑っている感じにバスの中にいた。「待つ時間もボランティア」と説明された。暴風雨の中、テントを張りその中で半日を過ごした。


4月24日(日)〜29日(金)
3日目〜7日目、デリバリー活動日。午後あるいは午前、午後の両方の時間に現場に向う。折畳みテーブル、汁料理の入った寸胴、ご飯の保温ひつ、漬物のボール、使い捨て容器、箸、輪ゴム、ビニール手袋、ゴミ袋、手製メニュー看板などを1、2台のワゴン車などに積む。準備は出発1時間前に始める。一緒に持参する物資(飲み物、衣類、衛生用品、菓子など)を選択するからだ。料理やご飯の出来上がりを待ってすぐに出発する。様々な天候があり、その都度全員が初心者のメンバーは無意味に焦る。たいていは5人中の4人と他のグループからの応援1名が加わり5名でこなす。私たちは「不動町」「大曲」「永巌寺」という3カ所の地域で仕事を行った。それぞれ特色のある場所だ。帰った後、すぐに食器を洗い、記録を付け、空いた時間は指定された雑用もこなす。クリーン班の車での送迎、トイレ掃除、ゴミ拾い、駐車場誘導、キッチン手伝い、ストア(倉庫)の整理手伝い、テント張り、資材の清掃など様々ある。


その他に朝礼のような「全体集合」(ディレクターの挨拶、配車の伝達、ラジオ体操第一をする)、その後すぐ「分科会集合」がある。そこで当日の重要な伝達事項が話される。私たち「デリバリー班」はその行き先、メンバー固定、泥デリ(デリバリー各グループ中から希望者1人を排出して結成された一日限りの独自の泥チームのこと。希望者はどちらかと言うと多い。なぜなら皆、もともと泥仕事をするつもりで来ていたからだ)を決める。作業分科班ごとにADさんが1人いて、また彼(彼女)を支えるLL(リーダーリーダー)さんが数名いる。その下にチームおよびチームリーダーがいる。チームリーダーは毎晩6時半からミーティングがある。帰ったら反省会を行い、私のようなチームメンバーに情報を届ける。


食事は空いた時間に自炊で摂る。現場で昼食を摂る際は、エナジーバーやパンなどの簡単なものになる。水は大目に持参する。万が一新しい地震で被災した場合をやや想定しているらしい。実際、小さな余震があったに過ぎない。


ピースボートと仲のよいap bank(音楽プロデューサー小林武史と、Mr.Childrenの櫻井和寿の2名が中心に興したNPO)は石巻社会福祉協議会ボランティアセンターに登録して活動を行っている。ap bankの方は週末だけのボランティアのようだ。この組織は非常に立派な巨大テントサイトを常設している。またこの二つの組織の管理する倉庫には全国、全世界から送られて来た支援物資がうなっている。キッチンは屋外で、一人の管理栄養士が腕を振るっている。生鮮食糧品も支援物資だと聞く。メニューは食材をながめて栄養士が案を練る。


泥チームの仕事(クリーンとよぶ)は、石巻市内中央町の「愛プラザ」駐車場に拠点を置き、そこから各場所に散って行く。主に津波で堆積したヘドロをスコップで除去し、土嚢に詰めてネコ車で拠点に運ぶ仕事のようだ。駐車場、店舗、個人宅などがある。個人装備は上下の防水ヤッケ、手ぬぐい、ヘルメット、ゴーグル、防塵マスク、安全長靴の上部をガムテープで固定する、耐油手袋または皮手袋。体表を露出しない、などの注意を言われる。まれに「営業」として活動の宣伝やニーズの把握を行う場合もあるらしい。終了後は日本財団の基地に向かい、道具や全身をジェット噴射で洗う。ちょっとした爽快感がある。私自身は4月28日に「ドロデリ」に参加することが出来た。床屋と洋品屋の「仕上げ清掃」だった。たった1日だったが、そこでは妙な連帯感が生まれる。


4月30日(土)
最終日は「全体集合」の後、すぐに後輩の「第6陣」が夜行バスで到着するので、テント設営を手伝ったり、引き継ぎを行う。それが終わったあとで、バスに乗り込み一路新宿へ向う。


という訳で、あっという間の1週間が過ぎる。感想は色々あるが、一番の関心はそこに集まるボランティアの面々でもなければ(ついついそっちに目が行ってしまう)、組織論でもない(これもどうしても一言二言言いたくなる)はずだ。
まずは被災の現実だったり、復旧復興の歩みだったり、住民の気持の理解だったりするべきなのに。そういうチャンスが遠巻きには絶対あるのだが。なかなか見え辛かったりする。それでもどうにかこうにか感じた事を記憶がある限り記録したいと思う。もし時間が許せば、だが。
(つづく)
by necojill | 2011-05-01 23:31 | 被災地 | Comments(0)