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どちらでもいい

8月20日(金)

こんな風に日記を書く事が、人からどのように評価されようが気にしない。一日何回書こうが。何行それを書こうが。あるいは何も書かずに済まそうが。それはどちらでもいい事なのだ。たまたま私はボールペンでノートに記すことの何倍もラクチンなので、こんな風にタイピングを行っている。


以前この日記の存在意義を幾つか羅列してみた事があって記憶に薄ぼんやりと残っている。その中にはたぶん「自分が見た友人さんの姿を書き留める」とか「その時自分がどう感じたかをどうしても書きたい」というような意味が含まれていたと思う。今となっては、その表現自体は正確ではないが。それは真実だった。


それは120%以上真実であって、それ以外の記述は取るに足らない重さを持っている。しかも、それに成功した訳でもない。


こういう意味で書くという行為は、追憶に過ぎないのだが、それはどうしようもない喘ぎのようなものだ。自分が何を見、何を感じ、何を考えたのか。相手さんはますます自分から遠ざかる。その記述の中で刻一刻と。きっちり蓋の閉まる容器に入れられた弁当の中身のように。


今日感じた素直な感情を最後に書くと。
相手さんを抱き締めたい、と思った。今日の夕方、入る必要も無いスーパーマーケットの奥深く、やはり迷い込んで行った。そこでふとすれ違った一人の男に僅かな汗の匂いがした時、あの人は違う匂いだったと思った。その時、目の前には空間だけがあった。これからはずっとただのガランとした空間だけがあるのだと思った。


きっと誰にも通じないだろう。おまけに滑稽で可笑しいかも。
それが日記の宿命と言えば宿命。
つまり、その辺の事は相当どちらでもいい。
by necojill | 2010-08-20 18:50 | 追悼 | Comments(0)