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病院にて(5)

7月25日(日)

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真逆なのだ。
そうではなく、、、、私がその不幸を招いてしまったのです、とまだ(その電話の時点でも、その後のアパートで数時間を二人の妹さん方と一緒に過ごした間にも、数日たった今現在でも)説明していない。


「兄の想い出の品を一緒に整理しませんか」という誘いでアパートに行った時、待ち合わせの時刻に私は建物の外の道路にいた。3、40分のその時間、立ったまま私は3人の人々に携帯メールを送った。
まず、AAの世話になっている友人、私の彼を知っている。一人のカウンセラー、同じく私と彼とを知っている。もう一人のカウンセラー、やはり私と彼とを知っている。私自身の相談員で彼女は彼とは2度しか会っていないが。


どれもが非常に短い同じ内容のメールだった。
「○○様、××さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。△△」
3人ともじきに、モバイルなので短い、しかし心のこもった返信を頂けた。


妹さん方との仕事は一段落して、犬を冷房を効かせた和室に4.5時間閉じ込めていたので、先に失礼した。その夜、私はAAの世話になっている別の友人にPCメールを送った。そして姉にモバイルメールを送ったのは、翌朝自分の入院するためのバスの中であった。


「可哀想だね、早死にだったね、、」と姉のメールが始まっていた。


「可哀想」
それが次に訪れた感情のすべてだった。


同時に次の別の感情が待ち構えてた。
「可哀想」という感情には「さみしい」という感情がしっかり縫い付けてあったので、それらは排除すべき、という意見だった。今のあんたに必要ない。「さみしい」とかそんな種類は。
そして「私のせいだ」100%そう、という考えがそれだった。
(つづく)
by necojill | 2010-07-25 20:21 | 書き残し | Comments(0)