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どこかに消えてしまった

7月21日(水)

昨日のことを書こう。

自分の入院前にもう一度神奈川の自分の場所に行く予定で、それが昨日だった。
いつものように、犬と紙袋に入れた中くらいに重い荷物をバッグの他に持っている。TVの気象予報では熱中症予防を告げている気候だ。最寄りの東横線の駅から渋谷に着く。そこから下北沢経由で小田急線に乗り、急行で小田原へ向かう。


下北沢駅のホームに各駅停車が滑り込んだ。
ほぼ同時に次の数分後、快速急行藤沢行きが到着するアナウンスがあった。



大変迷っていたが私は最初の電車を選んだ。
それは友人さんの住む駅にとまるのだ。
なぜ? どうして? 何のため?
地図上で考えれば、そこをそっくり通過するのだし、立ち寄ることは悪いことではない。
(電話が通じない、という理由)

ただ、ちょっと寄るだけだ。
何故?
もし立ち寄らなずに小田原に向かえば「知らないこと」が増えてしまうからだ。



荷物があり気温が暑く、早く目的地に着きたい気持ちを、特別の感情を帯びた意思に道を譲った。経堂駅からいつもの道を徒歩で行き、アパート用の階段を上る。呼んでみたが返答はない。


本人がそこにいない。
床に置かれた扇風機が一人で仕事をしていた。
何と表現したらいいのだろう。
、、、、、、巨大なごみ山の中に部屋がバラバラに溶けていた。
ごみは、、、、もし立体造形の作家にそのタイトルの作品を発注したら、それを納品するだろう。
特に灰皿、何百本の吸殻。どうしてそんな形を維持できるのか不思議な積み上げ方を示していた。


本人はそこにはいなく、、、。
一度道路に降りてから、念のため共同のトイレとシャワー室も見た。
本人がそこにいないという想定はなかったのだが、それは最悪のものより優れていると私は考えた。


「知らないこと」は増えることはなかったか?
そうではなく、「知っていること」が存在し、あらたな「知らないこと」が増えて行った。
少なくともそれらの結果を導く行為はすべて自分で決めたことだった。


小田原に向かった。
(つづく)
by necojill | 2010-07-21 13:21 | | Comments(0)