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小旅行日記(Dec.2009)

12月9日(水)

一度降雨があったように、その湊町の家々を縦横に結ぶ小道のアスファルトは薄黒く色が変わっていた。確かその小道には、一つの名称があったのに私は思い出せない。マンションをぐるっと回るとても短いその散歩コースは、もう20年以上も私の脚に馴染んでいた。犬と朝5時に起きてそこを散歩した。幾つかある最後の小さな角を曲がり、泥の匂いのするミカン畑の上部を見上げると、8階立ての建物を覆う白い工事用の仮囲いが巨大な棺のようだ、と私は思った。6時にこのマンションの工事屋が建物の前をクルマで通過するので、留守中の部屋のカギを渡す約束をしていた。散歩を終えて部屋に戻ると私の知り合いのオッサンは深々と布団の中に埋もれたままであった。

昨日の午後スタートした新しい小旅行にどうしてオッサンが同行しているのか、私は上手く説明出来ない。旅行をするなど、とてもそのような体調ではない。何もかもが曖昧であり中途半端であり、同時に危険でもあった。それを無難に一応ここまでやりこなした。

まず私が出かける旨を電話し、彼がその30分後に掛け直した。「15分か20分でいい。寄って欲しい」
私が一人で向かうはずの経路の、その途中の駅に友人が住んでいたのだ。そのアパートに入るや彼は口を開いた。「僕も一緒に行く」汚れた服すべてを着替え、やっとこさ駅まで歩いた。2駅目で座席が空くと「座れて一安心した」と言った。心の底からそう言っていた。

駅中で蕎麦をほんの二口三口食べただけで、風呂に入れたのも不思議だが、私に爪を切らせてくれた。足の爪はさせてくれなかった。そして食べた物を全て吐いた。それから何度か吐いた。水、薄い茶、タバコすべてが嘔吐のチャンスを伺っていた。

抱き締めたいのに、と私は思ったが、何もできない。隣のベッドでじっと寝ている男は最初に「寝てるだけだけど、いい?」と私にことわり、その通りにしていた。10日間も食べていないし、家からも出ていなかった。誰にも会いたくなかった、だから今も同じで、どんなストレスも受けたくないという理由を私はわざわざ聞き出した。そうする必要もないのに。
翌朝8時にここを出て、×沢病院のアルコールの診察を受ける、と言う。来てくれただけで感謝すべきなのに。

「ねえ、(関係者は)皆こう言うでしょ、私は姿をくらますべきだって。××の回復のためには。どう思う?」
「どっちでもいいさ」
「私は手伝う方?」
私は反吐によるシンクの汚れを「ねえ、来て」と呼び寄せて掃除させた。パジャマのズボンは尿で汚れているか「自分で臭いを嗅いでよ」と指示した。
「どうかな。どっちかっていうとしてもらいたい。君は姿をくらますことなんか出来ないさ」そう言って笑った。
「飲む人は飲む。放って置け、っていう人もいるわ」死んじゃうんだけどね。
「そうだ、本人しか決められない」

「私はどんな存在?」
「連れ出してくれた。あの部屋から。だから、、」
「はっ」と私は笑った。「連れ出し屋!」世の中にそんな職業があるのかも知れない、私が知らないだけで。

要するに私は正真正銘、蚊帳の外にいて、やはり正真正銘の「小銭入れ」なのだ。恋愛感情なんてどこにもない、今は。しょうがない。病人だから、しょうかない。

「ねえ、元気になってね! ほんとうにね!」腕をつまんでそう言って別れた。井の頭線のホームに上がる階段の手前で。その場所で別れるのは2度目で、最初の時もその足で主治医に会いに行ったというし、今回もそうするのだろう、と私は思った。
by necojill | 2009-12-09 16:15 | | Comments(0)