人気ブログランキング | 話題のタグを見る

今日のグループカウンセリング

3月10日(木)

「話す」という方法。お互いに自分の気持を話しそれを聞く。単純だが無理がなく、落ち着きや満足感もある。3巡した。

1巡目、私はこう言った。「話がとても苦手だ。日常の事を話すとすると、退職して時間があるはずなのに秒読みだったりする、それで楽しいの? と息子に聞かれたりする。スケジュールを一杯にしたりする。そんな日常だ。また最近出来た友人たちには、どうも2種類の人間がいるようだ。ある人々は自分自身の事に多くの関心がある。別の何人かは、自分自身の事も話すが同時に私についても関心を示してくれる。けれども自分としては、ある程度人の話を聞くことに興味がある。それは重度の認知症の隣に座らせていただき、わかった」


2巡目、私はたぶんこう話した。「重度の認知症の方と接しているのは、亡くなった人が別の病名だが似た病状を示していたので、そうすることで私自身が安心するからなのだと思う。また自分の今行っている仕事というか作業自体は、進んでいるのですが、それとは別に感情のレベルでは説明困難な、傷口にくっついたガーゼのような、傷もガーゼも自分という、どろどろとして引き離せない疼痛を抱えている」


3巡目には今日ここに来た感想を述べるのですが、私もありきたりのことを短く語った。それは、つまり自分自身について口で話すという行為は大変貴重であり、「ある意味、不思議な仲間」と時空間を共有している意味を味わっていたこと。


もう一つ、今日改修途中のビルの一室で、忘れられない言葉があった。「毎日毎日が変化せずに繰り返されることの幸せもある」なぜなら昨日までの平凡な幸せが、今日突然失われる、という不幸もあるのだから。またそのことを幸せと認識する幸せがもう一つある。


いま自宅のPCに、期せずしてある友人から届いたメールの最後には「死」や「生」の文字が書かれていました。でも愛する旦那がいらっしゃるの方なので、私はとてもうらやましいです。
by necojill | 2011-03-10 23:58 | 書き残し | Comments(2)
Commented by honma at 2011-03-11 18:48 x
どうもです。
昨日と同じ今日、そして同じ明日。今日の地震で、それがいかに儚いか思い知らされました。
Commented by necojill at 2011-03-12 13:06
おっしゃるとおりです。目を背けたくなります。ありきたりですが心が痛みます。自分が今生きていることを神に感謝したくなります。ありがとうございました。